2010年12月12日(日) 125社(五十鈴川めぐり) (徒歩)
お伊勢さん125社の五十鈴川めぐりも久しぶりなので、昨夜に思い立ち早朝に出発することにした。朝の6時出発を予定していたが寝坊してしまったので7時出発となった。
国道23号線にて朝日が神々しかったので、まず今日の1枚目をパチリ。
しばらく歩くと左手に北向き地蔵がある。今回はスルー。
勢田川まで来ると太陽は少しずつ高度を上げているがまだ川面での反射がまぶしい。
国道23号線の勢田川橋にて上流をパチリ。
下流をパチリ。太陽の光と影による陰と陽の対比が極端であるためか、神秘的に見えた。
その後、引き込まれるように浜郷神社・栄通神社へと寄り道した。詳細については、
【参考】 浜郷神社・栄通神社の真相と月次祭
浜郷神社・栄通神社での1時間ほどの寄り道を終え、本来の目的である五十鈴川めぐりに戻った。
国道23号線と二見街道との立体交差を横目に見ながら横断歩道で二見街道を渡ろうとしたところ、右方向から左折車が猛スピードで曲がってきた。危なかった。この場所は横断者がほとんどいないためかドライバーにも油断があるのだろう。危険だ。
事故にならずに二見街道を渡り、国道23号線へと合流した。
次の交差点 黒瀬町にて左折し、次の十字路を右折して鹿海町へと入った。
しばらく道なりに進み、
突き当たりを左折すると、左手にはこの風景が広がっていた。
ちょんまげワールド伊勢の天守閣もかすかに見えた。
次の丁字路を右折し、民家の間を抜けると突き当たりには、
この小屋がある。
左手はこの風景だ。
水路沿いに進むことも考えたが、いつもと異なるアプローチを試したくなり、
田圃の畔を利用して鳥居の正面へ向かうルートを取った。(今は休耕状態なのでご容赦を。)
畔を歩き、
さらに歩き、
さらに、さらに歩き、
加努弥神社へ到着し、石神さまに参拝した。
加努弥神社に向かって右手には、次の目的地である鏡宮神社の奥にある朝熊神社の御座す山が見える。
田圃の間の道を五十鈴川までまっすぐ歩くと、
五十鈴川の左岸堤防から正面に鏡宮神社が見える。しかし、橋がないので右手に見える橋で迂回しなくてはいけない。
目的地から遠ざかる方向へしばらく歩くと、
堀割橋があるので風景を堪能しながら橋を渡った。
五十鈴川の右岸もいい風景だ。
鏡宮神社の社叢へ近づくと、左手に
この案内板がある。木場だ。江戸時代から昭和16~17年頃まで遷宮ための貯木場として利用されていたとある。
鏡宮神社の社域は道路よりもかなり下がっている。コンクリートの階段を下ると、
この風景となる。一般的な社叢とは異なり、フルオープンに近い。
特に社殿の周囲に高木がほとんど存在しない。
社殿の右側を奥へ進むと、石段があり朝熊川の川面へと下りられる。この辺は海の干満により水位が大きく変動するため、今日は水が上がっていた。
そのため、虎石は水に浸かった状態だった。
【参考】水位が低い状態は、 加努弥神社ほか
あまりないビューからパチリ。
参拝を終えて参道を戻り、
階段を上りきってパチリ。今日はトレッキングシューズでの長距離歩行テストも兼ねていた。今のところ順調だ。
鏡宮神社と朝熊神社は朝熊川の対岸にあるため、朝熊神社へ向かうには朝熊川を渡らなくてはいけない。ところが、あたかも参拝のために準備されたように、すぐ近くには歩行者だけが渡れるほど幅の狭い橋が架かっている。
反対側から見ると、左に鏡宮神社、右に朝熊神社が。
橋の袂まで戻り、よく見るとこの掲示があった。発注者は「神宮司廳 営繕部管理課」と記されている。となると、この橋は神宮が建造したものだ。もしこの橋が無ければ、神職は船で渡るか、迂回して遠くの橋を利用しないと朝熊川を渡れないことになる。でも、この橋ができる前はどうしていたのだろう? 船が利用されたのだろうか? また課題だ。
朝熊橋から朝熊神社を望むと、人影が。多分以前お会いしたお守りの方だ。
橋を渡り、朝熊神社、朝熊御前神社の社叢へ近づいた。
左手には先ほど参拝した鏡宮神社が見える。
先ほどのお守りの方に挨拶し、早速石段を登った。
社頭ではお守りの方の奥様が清掃されていた。(感謝)
お守りの方から教えられた通り、奥から順、朝熊神社、朝熊御前神社へと参拝した。
参拝を終え社叢を後にし、ふと考えた。「この橋を渡ってしまうといつものルートだ。今日は別ルートを開拓しよう。」
結局、蟹田排水機場を左に巻き、
朝熊川の右岸に沿って神宮神田へ抜けるルートを採ることにした。(正確な道は知らないが何とかなるだろうと・・・)
まず、伊勢二見鳥羽ラインをトンネルで抜け、どんどん道なりに進んだ。
周囲には誰もいない静かな風景だ。
朝熊川はここで二手に分かれている。
合流地点では川の色が二色に分かれていて、手前は非常に透き通っていた。
すぐ先には、「しんななはらはし」があり、この橋を渡ってしばらくすると、
この標識(近畿自然歩道)があった。右手方向は御塩浜4.6kmとなっている。ここにも自然歩道が通っているのか。今度調べて歩いてみよう。
今日はこの道標を無視して、まっすぐ進んだ。すると、朝熊道にぶち当たった。
丁字路を右折し、しばらくするとこの鉄橋がある。
さらに進むと左手には妻入りの民家が並んでいる。
坂を上り、右へカーブしながら下り切ると次の道標がある。
これも近畿自然歩道のものだ。神宮神田200m。
すぐ、左手が神宮神田の敷地の端だ。
神宮神田の角からの一望だ。遠くは見えないほど広い。
さらに進むと中央あたりに黒木鳥居が立っている。
また、奥の谷筋へ向かう辺りには、
このように斜面が切られた場所がある。この部分はどんな役目を負っているのだろうか?
神宮神田を後にして、すぐ右手にも近畿自然歩道の道標がある。
この先は右折、左折のクランクとなっている。その先には大土御祖神社(宇治乃奴鬼神社を同座)、国津御祖神社(葦立弖神社を同座)の社叢がある。
横から見ると社叢の中央には凹みがあった。
社域への入口はかなりの木々に覆われて、お伊勢さん125社に興味が無い人には見過ごされそうな感じだ。
社域へ入ると参道には大木が。
木々の間から大土御祖神社の鳥居が見える。
木々を避けながら大土御祖神社、宇治乃奴鬼神社に参拝した。
この柱は補修されているのか? それとも最初から節が抜かれていたのだろうか
さらに、その奥には国津御祖神社がある。
社叢の外からクラブ活動でランニングしている子供たちの声が聞こえてきた。ここは高木も多く深い杜のイメージだが、実は日常世界と密接だ。外宮の御正宮で救急車のサイレンが聞こえたのと同じ感覚だ。
そんなことを考えながら、さらに奥へと向かい国津御祖神社、葦立弖神社に参拝した。
御垣の扉と社殿の扉の黒い金物が気になったのでパチリ、
ふと横を見ると、隣の櫲樟尾(くすお)神社の紅葉が。
社叢を離れ、振り返ると道路を移動する工事が進められている。
五十鈴橋で五十鈴川を渡り、
振り返るとこの風景に。パチリ。
楠部町公民館の前を過ぎ、この路地へ。
この先には 皇女森 宇治乃奴鬼神社々域 がある。今回立ち寄ったが、詳細は、
【参考】 皇女森 宇治乃奴鬼神社々域
その後、ジャスコ伊勢店でトイレを借りた。このルートには公衆トイレが無いので注意が必要だ。
今日は正午には帰宅することを心にして家を出たので、この先(宇治山田神社等)はパスすることとし、行幸道路を外宮方向へと歩いた。
道路沿いには秋を名残り惜しむかのように所々に紅葉があった。
が、落ち葉も多い。
この後は、正午までに帰宅できるよう早足で歩いた。結果的には11時55分に自宅へと到着した。何とか目標は達成。
【参考】 2010年12月12日
- 125社(五十鈴川めぐり)
- 浜郷神社・栄通神社の真相と月次祭
- 皇女森 宇治乃奴鬼神社々域