2011年01月23日(日) 田丸道遺跡現地説明会(第2回) (車)
数日前に三重県からのメールで、次の遺跡説明会の開催を知った。
通学路の下から古代の木組み堰!玉城町妙法寺地区で発掘調査現地説明会を開催します
玉城町妙法寺地内で実施した、田丸道遺跡の発掘調査現地説明会を開催します。
有田小学校へ通う子どもたちの通学路の下から、古墳時代後期頃(今から1,500年ほど前)の川跡と、その中に木組みの堰(せき)が見つかりました。堰は、川の流れを少し止めて、田畑に水を導くための施設です。今回の調査区は、昨年12月23日に説明会を開催した塚田古墳群のすぐ北側にあたります。
堰は、木の杭を交互に組み合わせて造られています。このような堰が見つかるのは珍しく、三重県内では北堀池遺跡(伊賀市)や片部遺跡・貝蔵遺跡(松阪市)などで見つかっている程度です。
この堰は、工事がはじまれば無くなってしまいます。この機会に、古墳時代の優れた土木技術に触れてみてください。
1 日時 平成23年1月23日(日) 10時00分から11時00分まで
2 場所 田丸道遺跡 発掘調査現場 (三重県度会郡玉城町妙法寺)
3 現地への行き方 JR参宮線田丸駅の北東約1キロメートル(徒歩約15分)
車でお越しの方は、県道37号(鳥羽松阪線)の世古1交差点を南に進み、2つ目の信号を東に曲がってすぐの場所です。
4 説明者 三重県埋蔵文化財センター職員
5 参加 どなたでも参加できます。(申し込み不要)
6 その他 ・できるだけ公共交通機関をご利用ください。
・雨天の場合は中止します
・問い合わせ先 三重県埋蔵文化財センター調査研究1課 森川・山口
・当日の連絡先 080−4307−0290(山口公用携帯)
開始時刻よりも20分ほど前に到着できるように出発し、三重県度会郡玉城町妙法寺・中楽にある塚田古墳群・田丸道遺跡を目指した。私が到着したときは2~3台の車であったが、その後続々と車がやってきて参加者は100名を越えていたのではないだろうか。
この地域では宮川用水を水田へ引くため、地表下3mに太いパイプを埋める工事中だ。本遺跡のように川跡から木片が多量に発見されるケースは県下でも珍しいため緊急に説明会が開催されたが、公開できるのは今日の10:00~11:00のみだった。その後は加工された木片を取り除くのみで工事が再開されるそうだ。
この小山が塚田古墳で、前回(第1回)の説明会で紹介されたそうだ。
今回の調査区はこの古墳の北側で、3m幅で南北に70~80mの長さが掘られていた。
定刻になると説明会が開始され、最初に本遺跡に関する4つのキーワードが紹介された。
- 狭い調査区で、幅が3m
- 水との戦い(工事する人も埋もれていた木も)
- 多数の木製品
- 外城田川
この現場では3条の川跡が発見され、各流れは長方形の調査区と交差するように西から東へと向かっていた。その後、舞台は現場へと移り、調査区の南から北へと向かって進んだ。
調査区の南端に川跡1があり、圃場整備される直前くらいまで実際に流れていたと考えられるとのこと。
次は川跡2だがここからは土器などが発見されていないために川が流れていた正確な時代などは不明だが、川跡3と同世代と考えれるそうだ。
最後が川跡3。この川は川幅が55m、もっとも深いところで2.3m。現状の外城田川と同等クラスの川だったようで、流れを変える前の外城田川かもしれない。
この川跡では川底に木の杭を打ち込んで作られた木組みの堰が見つかっている。このような堰は柵(しがらみ)と呼ばれ、川の水の流れを変えて別の場所へ誘導するためのものだ。周辺に作られたつくられた田んぼ(堰の南側)へ水を引くために作られたと考えられるそうだ。
この部分の土は粘土のようだ。
その北には堰の跡があり、この堰付近からは古墳時代後期(今から1,500年前)頃の土器のほか、板材を中心とした多数の木製品と川に水が流れていた頃の植物(どんぐりや鬼くるみなど)が見つかった。そして、川跡3が完全に埋まるのは発見された土器から平安時代後期(今から約900年前)と考えられるとのこと。
これがしがらみの役割のイメージで、
こちらは、松阪市の片部遺跡の写真だ。
発掘には非常に気を遣い、噴霧器で水分を掛けながら丁寧に掘り出したそうだ。
ここには、下駄が残っている。
拡大するとこれだ。この下駄は左足用でサイズは23.5cm。底の減り具合から予想するとガニ股ではなかったか?とのこと。なお、なぜか四つの穴が開いている。この木片一つでもさまざまなことを知ることができるものだ。
さらにその近くには大甕(須恵器?)が。
これを拡大すると文様が見える。
この板は側面が滑らかなカーブを描いているので、桶サイズの曲げ物の底ではないか?とのこと。
さらにその北にも柵(しがらみ)の跡が。
調査区の終点にはこの木製品が。
何なのかははっきり分かっていないそうだが、しっかりとした穴が2ヶ所に開けられているので牛に代掻をさせた時に利用した木片ではないか?とも。
これで調査区の北端だ。
ここから南に向かって調査区を見渡すとこんな感じ。
ここは重機が入れないため、手作業で土を運びだしたそうだ。
現地での説明が終了すると、発掘されたものの説明に移った。
土器類。
右側は木製のくりもの(椀?)が溶けたようになっているそうだ。
こちらはドングリと鬼くるみ(最初は桃の種と思われていたものはどうも鬼くるみのようだと)
最後に現場を見渡し、
川が流れていたと思われる場所を眺めた。この下には調査区以上の遺跡が封じ込められているのだろう。
「いにしえのロマン」を感じながら、田丸道遺跡を後にした。
【参考】 三重県のホームページ