2011年01月29日(土) JR神宮125めぐり 内宮めぐり (徒歩)
今日と明日の2日間、JR東海が主催する式年遷宮記念 神宮125社めぐり 第5弾 内宮めぐりが実施されるので、初日に参加した。
スタート時間が伊勢市駅8:30~11:30なので、8:20頃に到着すると
スタート受付には「さわやかウォーキング」のテントが立てられていた。
テントの近くにいる方に「スタートの受付は8:30からですか?」と尋ねたところ、「すでに出発されている方もいます。」との回答と共に次のパンフレットが渡された。(インターネットのホームページ上で公開されているものと同じだ。)
早速、めぐり開始。伊勢市駅前から外宮へ向かう外宮参道を進むと、ウォーカーらしき人たちがちらほら、マイペースで歩いていた。
ほどなく外宮前に到着。せんぐう館の建設は着々と進められている。
【参考】 式年遷宮記念 せんぐう館(建設中)
信号が青に変わり外宮の表参道へ向かった。
火除橋を渡り、左手にある手水舎で心身を清めた。
まずは、第一鳥居。
参道を進むと第二鳥居をくぐり、その先右手には神楽殿がある。
さらに、進むと石畳の上に祭られた石神さまである四至神が。ここで二拝二拍手一拝し、
外宮の御正宮である豊受大神宮へ。
今日は先が長~いため、いつものようにゆったりとしていられない。移動は急いで、参拝はゆったりとのペースを保つことを決意。
別宮への参道を進むと、
その突き当たり左手には、多賀宮への石階だ。
多賀宮で参拝。
石階をまっすぐ下りきり、左手には
下御井神社。
さらに続いて、土宮。
風宮。
参道を戻ると御池に御正宮の姿が映っていたのでパチリ。
神札授与所の前を左へ折れて北御門参道へ。左手には九丈殿と五丈殿がある。
さらに進むと左手に、忌火屋殿とその奥に御酒殿がある。御酒殿に向かい御酒殿神を遥拝。
今日も忌火屋殿の屋根から煙が出ていた。
【参考】
さらに進み、御厩の先を左折して幅の狭い参道へ入り、上御井神社を遥拝する場所を目指した。
【参考】 寒中御見舞の紙札(外宮)
途中には度会国御神社、大津神社が御座すが、まずはこの参道を突き当たりまで進んだ。
この先には立ち入れない。上御井神社が御座す方角は不明だが、ここで遥拝した。
参道を折り返し、大津神社、
さらに、度会国御神社に参拝した。
北御門から表参道の神苑まで戻った。
以上で神宮神域内をめぐり終えたので、先を急いだ。
じんぐう館の建設現場を横目に見ながら、茜社の前を過ぎると次の交差点は左折のはずだが、
ここまで来たら近くの神社にも寄ろうと考え、旧豊宮崎文庫の門の前を過ぎ、
右手にある社域へ入ろうとすると、工事中?
定の立札の取替工事中であった。
工事されている方に伺ったところ、「札の文字が見えなくなったり、材が劣化したら交換する。」とのことだった。
参道を進み、右手の石階の上にある度会大国玉比賣神社に参拝。
さらに参道を奥へ進み、石階の上に御座す伊我理神社(井中神社を同座)に参拝した。
正規のルートへ戻ろうとしたが、伊勢市立郷土資料館が今年度で閉鎖される新聞記事を思いだし、
その前でパチリ。(閉館前にもう一度訪問しよう。)
【参考】
(2011年03月20日 追記: 伊勢市立郷土資料館は、
平成23年3月31日(木)で閉館します
※建物の耐震不足と老朽化による閉館です。保管している資料の一部は、今後、小俣総合支所1階に設ける「郷土資料室」で展示し、将来的には市の空き施設を利用して郷土資料館を再開する予定です。
詳細は、 伊勢市立郷土資料館 )
やっと正規ルートに戻ってきた。祖霊社の敷地内にある両宮永代常夜燈を右手に見ながら古市街道を進んだ。
この辺で石碑等を見学していたら、後ろからウォーカーの集団に追い越された。
しばらくは黙々と歩くと、小田の橋(小田橋)へたどり着いた。
小田橋から勢田川の下流を見た。(実は、帰りには下流にある錦水橋からこの場所を望むことになった。)
橋を渡ると左手にこの案内板がある。ここにある参宮街道資料館を目指した。
しばらく進むと坂道となった。ここが間の山だ。「間の山お杉お玉」の石碑は左手にあったはずだが見当たらなかった。
【参考】
坂を上り、途中まで来ると右手に・・・
あっ、「間の山お杉お玉」の石碑がある。基礎部分のコンクリートが新らしそうだ。もしかするとこの場所に移動されたのか? 近くに地元の方は見当たらなかったので、事実は?だ。
間の山を上り切る手前にはこの様に変わり果てた姿の古い家がある。規模の大きさからすると昔は旅館だったのだろうか?壁面には蔦が絡まり、もったいない。
古市街道を先へ進むと、右手に「備前屋跡」、
その先右手に「古市芝居跡」、
郵便局の前を通り過ぎ、右手に大林寺の文字が見えた。油屋騒動の関係で・・・(うろ覚え)で名前は聞いたことがあったので立ち寄ることに。
ここが大林寺、左の石柱には「伊勢音頭 油屋騒動 大林寺」と刻されている。
こちらが油屋騒動の主人公である遊女お紺と孫福斉の比翼塚だ。
古市街道へ戻ると近鉄の線路を越えて、その先に長峯神社が見えた。
この場所から道路の反対側を見るとここにも石柱がある。
ここが油屋跡だ。今の古市街道はありふれた生活道路であるため、これらの石柱を見ても遊廓等で賑わった当時をイメージできない。歴史とは恐ろしいものだ。
近鉄の線路の上を通り過ぎると左手に長峯神社が見える。
多くのウォーカーが歩いているが、ここに立ち寄らない人も多い。歩くことが目的の人たちには興味がないのだろうか?私にとって歩くことは手段であるので、歩くだけでは意味がないためどうしても寄り道が多くなってしまう。
狛犬に迎えられ、鳥居をくぐると
境内の最奥左手に社殿がある。右手の手水舎で心身を清めてから参拝した。
左側にある社務所で、
パンフレットを頂いた。こちらの祭神は天照大御神が天岩屋へお隠れになった時に舞を舞われた天鈿女命(あめのうずめのみこと)で、芸能の祖神として崇拝されている。
長峯神社を後にし、古市街道を進むと「旅館 麻吉」の看板がある。
標石もある。
60m先へ行くとシンプルな「麻吉」の看板が。
この先は階段となっており、建物も階段状に下がっている。
引き戸の近くには、「登録有形文化財」の掲示がある。維持するのは大変だろう。
階段を下り、
階下で振り返るとこんな感じだ。パチリ。
歴史、伝統を維持することの大変さを想像しつつ、古市街道へ戻ると、寂照寺の案内板が目に入った。あまり寄り道しても・・・と思いつつも、
お寺の門の方向を見ると。妙な光景が見えてしまった。お寺の中に鳥居だ。これは見学するしかない。
参道を進むと、境内の中央には月僊上人の銅像の奥に鳥居がある。
鳥居をくぐり、その先にあるお社を覗くと、お狐さま。と言うことはお稲荷さんなのか?
今回はあえてこの疑問を解消せずに残しつつ先へ進むと、古市街道が伊勢自動車道と交差する手前左側に伊勢古市参宮街道資料館がある。
今日の企画である「開運干支飴」プレゼントはこの場所で実施されていた。
頂いた「開運干支飴」を自宅でパチリ。
おみくじも付いていた。
これが飴。紅白のうさぎだ。食べてしまうのが可哀想?
話はめぐりに戻り、伊勢古市参宮街道資料館へ。
こちらがパンフレット。
今日は、伊勢古市参宮街道資料館平成22年度企画展「伊勢歌舞伎」の展示中であった。
資料館で古市の昔の雰囲気を感じたのち、現実の古市街道へ戻った。しばらく進むと左手には「月よみ宮さん・・」の標石が。どう見ても民家へ向かう感じだが?
さらにその先には桜木地蔵の道標。こちらはパス。
古市街道の終点に近い牛谷坂の手前には、神宮司廳頒布部の敷地があり、
道路を挟んだ反対側には巨大な常夜燈がある。
これが牛谷坂。かなり急な傾斜だ。
通常のルートは丁字路の交差点まで進むが、私は猿田彦神社の裏手にある御田の前を通り、猿田彦神社の正面へ向かった。
境内と御田をつなぐ参道からパチリ。
こちらが、猿田彦神社の入口だ。
改めて正面でパチリ。
猿田彦神社に参拝し、内宮を目指した。
浦田交差点でこの規制看板が。
浦田交差点を右折し、
しばらくすると神宮会館が。
宇治橋前まで来ると、「駐輪場」の札が新しい。気になってしまったのでこれを中心にパチリ。やはり参拝客は多い。
宇治橋を渡り、神苑の前に来ても人が多いため、神苑の中を歩くことにした。
松の木が剪定されていた
手水舎で心身を清めたた後、第一鳥居をくぐると祓所の前には、打ち水の境界がくっきりとしていた。
今日の方針は「移動は速やかに、参拝はゆったり」なので内宮神域もテンポよく順次参拝した。
まずは瀧祭神。ここで、私が参拝に伺ったことを天照大御神にお知らせ願った。
第二鳥居をくぐり参道を急ぐと御正宮の石階下へ到着した。石階は参拝客でぎっしり。参拝できるまでかなり時間がかかりそうだったので、今日は石階下から遥拝した。
次は、荒祭宮遥拝所を右に巻いて、御稲御倉へ出た。ここで御稲御倉神に参拝。
さらに、先の石階を下り。荒祭宮に参拝。
移動のスピードが上がり、忌火屋殿の近くで御酒殿神つづいて由貴御倉神に参拝。
さらに、四至神に参拝。
臨時で設営されている神札授与所で剣祓(500円)を受けた。
つづいて、風日祈宮橋を渡り、風日祈宮に参拝。
帰りの参道を進むと御厩に神馬が。
参集殿の裏手にある通路を進み、衛士見張所の前を過ぎ右折するとその先には子安神社と大山祗神社が。両社に参拝し、
宇治橋まで戻ってきた。いつもと比較するとかなり急ぎ足の参拝だった。
ルートマップでは、饗土橋姫神社を先にめぐりように設定されていたが、チェックミスのため内宮のあとからの参拝となった。タクシーが駐車するスペースの脇を通り、
饗土橋姫神社の前へたどり着いた。
まずは右手にある津長神社(新川神社、石井神社を同座)に参拝し、
続いて、饗土橋姫神社、
最後に大水神社(川相神社、熊淵神社を同座)に参拝した。
ここから見える林崎文庫は前回見た秋の様相から一転して冬の雰囲気となっていた。
【参考:林崎文庫】
すでに12時を過ぎていたので、五十鈴川の川辺まで出て烏帽子岩の前で昼食(恒例のおにぎり3個)にした。
昼食が終わると12時半になっていた。今までゴールタイムを意識していなかったので改めてコースマップを見ると、伊勢市駅に15:00までとなっていた。いままでのペースで回っているとたどり着けないかも?と考え、ここはゴール優先で歩くことにした。
おはらい町通りは芋洗い状態だったので、五十鈴川沿いを歩いて浦田駐車場へ向かった。
五十鈴川の河川敷でも満車状態でだった。最近の神宮人気は本物だ。
しかも今日は有料で駐車料金は整理料として1,000円だ。人件費がかかるにしてもかなりの利益が上がるだろう。利益を有効利用して欲しい。
駐車場を横切り、正規ルートへ戻った。御幸道路を歩き、月讀宮へとたどり着いた。
参道を進むと突き当たりに手水舎があるが、その右手に葭原神社があるので、先に参拝した。
もとの参道へ戻り、月讀宮へ。ここは圧巻である。別宮の社殿が4宇並立している。
まずは、月讀宮、
次いで、月讀荒御魂宮、
さらに、伊佐奈岐宮、
伊佐奈彌宮の順に参拝した。
私が使用しているコンパクトデジカメでは広角が弱いため、全体を撮影することができない。(残念)それでも月讀宮を中心にパチリ。
振り返ると新御敷地でこの光景が。思わずパチリ。
移動は迅速に。月讀宮から御幸道路へ出て、先を急いだ。伊勢自動車道の高架をくぐり、緩やかな傾斜の坂を上ると金属製の大鳥居がある。
これを過ぎると右手には神宮文庫の入り口に立派な門がある。この黒門(通称)は、御師 福島みさき大夫の邸門が移築されたものだ。
左手には古市へ二町の道標が。午前中に通過した大林寺のあたりに通じている。
その先には神宮徴古館へ向かう道が右に曲がりながら上っているが、その手前には「皇大神宮 別宮 倭姫宮表参道」の標石が立っている。
ここで鳥居をくぐり参道を進むと、ここは下りの坂となっている。
谷のそこまで来て、空を見上げるとこんな感じだ。
石階を上ると右手に宿衛舎があり、左手の手水舎で心身を清めた。さらに先へ進むと突き当たりの左手に倭姫宮が。
宿衛舎の前を通り、裏参道を通り宮域をでてパチリ。この時点で1時20分頃だった。
後は伊勢市駅へゴールするだけなので、神宮徴古館を見学する時間は十分確保できた。
2月27日までは次の企画展が開催されているので、こちらも見学した。(※入場には私が所有している特別参宮章(2級賛助会員)を利用)
見学を終えても14:00頃だった。1時間もあれば寄り道をしても15:00には伊勢市駅へ到着できる。
とは言ってもあまり寄り道する場所がなかったため、伊勢市駅を目指してひたすら歩いた。
勢田川まで来ると午前中に通過した小田橋が見えたのでパチリ。
ここは錦水橋だ。
その後、伊勢市駅の前まで来たところ、世木神社の前に「節分祭」の立看板があり、寄り道してしまった。
この話は 【参考】 盃状穴とは(世木神社)
世木神社でかなり時間を過ごしたが、無事ゴールできた。
【コースマップの片隅には参拝41社と書かれていたが、実際私が参拝したのは?】
外宮めぐり分で13社、内宮めぐり分(興玉神等の石神さまも含め)20社、五十鈴川めぐり分6社であり、計39社となった。これに神宮以外で参拝した長峯神社、猿田彦神社、佐留女神社(猿田彦神社の社域にある)3社を加えると42社だ。
ところでJRが想定していた41社にはどの神社が含まれているのだろうか? 最後に疑問を残しつつも・・・。
【20110129の記録】
- JR神宮125めぐり 内宮めぐり
- 式年遷宮記念 せんぐう館(建設中)
- 寒中御見舞の紙札(外宮)
- 盃状穴とは(世木神社)
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