2011年02月26日(土) 箕曲中松原神社 (徒歩)
てくてくまっぷ(近鉄) を手に入れるため近鉄宇治山田駅を訪問した際、近くの箕曲中松原神社(みのなかまつばらじんじゃ)に参拝した。
箕曲中松原神社への鳥居は2か所にある。こちらは中部電力へ向かう一方通行路にある鳥居だ。
石柱には「縣社 箕曲中松原神社」と刻されている。
鳥居をくぐると正面には蕃塀があり、右手には手水舎がある。
手水石には箕曲中と刻されている。
上部にはこれらの穴。どこかで見たことがある。
そうだ、これらは世木神社で知った盃状穴だ。
【参考】 盃状穴とは(世木神社)
この手水石の裏側には安政二年九月と刻されている。1855年、ペリー来航の二年後だ。
手水舎の前には高札に楠社と記された楠があり、樹齢800年とある。
こちらで参拝し、
その向かいには遥拝所がある。こちらでは遥拝した。
こちらが箕曲中松原神社。
鳥居をくぐり拝殿へ進み、
参拝すると、賽銭箱の右手に当社の栞が置かれていた。残り一部となっていたが折角なのでいただいてきた。これだ。
続いて境内を散策すると、社殿の左手には
岩渕町連合会等の建物、
その右隣には倉庫か?
さらにその右には祓所と
岩渕町奉曳車々庫がある。ガラス窓から透けて見えるキャラクタの人形が時代を感じさせる。
別の鳥居の方へ向かう途中で、楠越しに箕曲中松原神社をパチリ。
社務所の前を通ると、これだ。
このしめ縄、何かが違う? 初めて見る門符だ。「弥栄(いやさか)」と書かれていた。
この案内板の後ろには、
多数の穴が空いた石(盃状穴と関係があるのか?)、さらにその奥には
水鏡御拝所がある。
最後に、さきほどの案内板の正面には「伊勢豊受稲荷神社」の幟が。
鳥居をくぐると、
文字通りお稲荷さんだ。
参拝してから気が付いたのは、この「寒中御見舞」の紙札だ。どこかで見たことがある。
そうか、外宮だ。
【参考】 寒中御見舞の紙札(外宮)
ここには多くの寒中御見舞が残されている。
箕曲中松原神社を後にして近鉄宇治山田駅へ向かうと、
こちらには伊勢豊受稲荷神社への鳥居が独立して立っていた。
さらに歩道橋の上から箕曲中松原神社の社叢をパチリ。
この後、近鉄宇治山田駅へ向かった。