2011年06月11日(土) 近鉄 お伊勢参り 第五回 その6/9 旧細川邸「やなせ宿」から名張藤堂家邸跡へ (電車、徒歩)
旧細川邸「やなせ宿」 を出て、名張藤堂家邸跡へ向かった。なお、途中で寄り道もあった。
まずはコースマップに従って進むと左手に「江戸川乱歩先生生誕地」の石柱があった。でもここは民家の敷地内だし、コースマップでは該当しない場所だし、とりあえずここはパスして先へ進んだ。
一度、「やなせ宿」の方を振り向いてパチリ。
前方へ進むと特徴的なこの石がある民家の前で左折すると
数mでこの矢印だ。
左を見るとここにも「江戸川乱歩先生生誕地」の石柱がある。さらに、ここには路地があり先へ行けそうだ。
早速、路地へ入った。
路地の奥には小さな公園の空間が広がり、江戸川乱歩生誕地碑が建っている。
詳細は、【参考】 江戸川乱歩生誕地
江戸川乱歩生誕地碑公園を出て、右へ向かうとこの煙突が見える。
突き当たりを右折し、銭湯の前を通過してしばらくすると左手の写真館の前に登録有形文化財の登録証が展示されていた。
この建物が文化財だ。
「やなせ宿」もそうだったし、この辺りには重文が多そうだ。
そんなことを考えながら歩いているとこの新しい看板。そうか、この通りは「初瀬街道」だ。
さらに先へ進むと、左手には簗瀬稲荷神社と元町太鼓台倉庫があり
古めかしい雰囲気の旅館 寺新本店があった。
しばらくすると一の鳥居へ出た。
コースマップではルートになっていないが、一の鳥居に掲げられた社名額にある「宇流冨志禰神社」が気になりどうしようもなくなった。ここで寄り道だ。
詳細は、【参考】 宇流冨志禰神社
宇流冨志禰神社への参拝を終えると一の鳥居まで戻ってきて、名張藤堂家邸跡へ向かうことになったが、時すでに遅し。コースを誘導する矢印シールは回収されていた。あまりにも寄り道時間が長すぎたようだった。
あとはコースマップと勘を頼りに名張藤堂家邸跡へ。
コースマップの比率が正しければ、この路地で正解のはずだ。通りの名は榊町通りとある。
思い切って細い路地へと入ると「玉乃湯」の看板。
その先には玉乃湯の入口があった。
玉乃湯の前の水路はこんな感じだ。夏の風呂上りは水路からの涼風が心地よさそうだ。
玉乃湯を突き当たりを左折(上の水路とは逆方向)してしばらく進むと前方に鳥居が見えた。
鳥居を見たら近づかずにはいられない。
鳥居へ向かうと社標には壽栄神社とあった。
参道を進むと立派な門が見えてきた。まるで屋敷のようだ。
門に近づくと、「名張藤堂家邸跡 旧正門(通称 太鼓門)」の掲示があった。名張藤堂家邸跡、ということは今日の本来のゴールに近い場所にいる証明だ。自分が歩いたルートが正しかった確証を得た。
確かに立派な門だ。
提灯を掛ける場所もある。
門前から街並みを見下ろすとこんな感じだ。さすが藤堂家。
もう一度振り返り、門に感激していて忘れていた神社へと歩を進めた。
門は立派だが、神社は質素な感じだ。とりあえず参拝。
太鼓門を出ると、
左手に通路があるので、それに従って進むと
土塀が見えた。これは名張藤堂家邸跡に違いないと確信した。
土塀に従い進むと車道へ出た。左が多分、名張藤堂家邸跡。だが、右手にこの案内板を発見したので、確認に。
予想通りだ。
そして、こちらは文化三年(江戸末期)の名張絵図であり、太鼓門は現在と別の場所にある。
名張藤堂家邸跡へ向った。
【参考】 名張藤堂家邸跡
【20110611の記録】
- 近鉄 赤目口駅から八幡神社へ
- 八幡神社から相楽神社へ
- 相楽神社から稲荷神社へ
- 稲荷神社
- 稲荷神社 から旧細川邸「やなせ宿」へ
- 旧細川邸「やなせ宿」から名張藤堂家邸跡へ
- → 江戸川乱歩生誕地
- → 宇流冨志禰神社
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