2011年08月12日(金) 松阪市文化財センター はにわ館 (車、徒歩)
先日、野登瀬B遺跡現地説明会(津市美杉町下多気) に参加した時、次のパンフレットをもらった。
今朝は自宅の草刈り、午後から時間が空いたので松阪へ向かった。
松阪公園の駐車場に車を駐め、阪内川を渡り、鈴の森公園のなかを通り抜けるとその先にはこのゲートがあった。「文化財センター はにわ館」。そして、このゲートの右の柱には先ほどのパンフレットが拡大して掲示されていた。(実は、右の建物に表玄関があるようだ。)
ゲートをくぐるとその先には近代的な屋根の下に、
赤煉瓦の建物が隠れている。
緑色のプレートには、
登録有形文化財
第24-0044号
この建造物は貴重な国民的財産です。
文化庁
とある。以前、この公園の敷地にはカネボウ綿糸松坂工場があり、跡地が公園等になった今も赤煉瓦倉庫は修復、維持されている。この中には第1から第3のギャラリースペースが確保され、各種催しが行われているようだ。
赤煉瓦倉庫の前の通路を奥へ進むと左手に別の建物が見える。こちらが「はにわ館」だ。
はにわ館への通路へ入り、右後ろを見ると、赤煉瓦倉庫の端部は本来の倉庫の役目を担っている雰囲気だった。遺跡からの出土品でも保管されているのだろうか?
のようなことを想像しながら通路を進むと「はにわ館」。
受付で入館料の100円を支払うと各種パンフレットと次のポストカードが手渡された。「入館記念」のスタンプが押されている。
通路を進むと右手に第1展示室、中へ入ると「伊勢の王墓 宝塚古墳の謎」の文字。「そうだったのか!!櫛田川」の展示ではない? でも、第1だから、第2に・・・ と考え、まずはこの展示を見学した。
宝塚古墳は船形埴輪が出土されて注目されたそうだ。
1号墳と2号墳があり、こちらは1号墳の全景のミニチュア。
さらに手前中央の「造り出し(つくりだし)」部分を拡大したものがこれ。
そして、これが注目を集めた船形埴輪だ。
その他多数の埴輪が、出土位置を示して展示されている。また各埴輪にはクイズが設定されていてすべてに答えていけば理解が深まるだろう。(時間がないため、私は2~3問に答えて断念してしまった。)
私にとって印象的だった埴輪は、これと
これ。こちらは名前を失念してしまったが、この影が何とも印象的だった。
後で、よくよく考えてみると、この建物は「はにわ館」なので、この展示が無ければ成り立たないだろうとひとりで頷いた。
続いて、本日の目的である「そうだったのか!!櫛田川」の展示を見学するために第2展示室へ向かった。
展示室へ入ると左の壁面に全体感が分かるように遺跡年表と分布地図が貼られていた。時系列、地理的な全体感が一望できてベターだ。
そしてまず驚いたのは、こちらの掲示「月出の中央構造線」だ。関東から九州までほぼ西に 1,000km も続く大きな断層(中央構造線)。しかもこの断層が伊勢市二見町松下を通っている。松下の辺りにはよく出かけるがこの事実はまったく知らなかった。松下の辺りでも断層を確認できる場所はあるのだろうか?
そして、本題へ戻ると展示室を右回りに、上流から下流へと区分されて展示されていた。実際には展示を見ていただくこととし、ここでは私の印象に残った出土品を取り上げる。
【上流】
これは最初の土偶と解説されている。親指くらいの大きさだ。
【中流 (旧石器時代~縄文時代)】
こちらはお棺だそうだ。両手で抱えられるほどの大きさなので、遺骨くらいしか納められないほどの大きさだが、どのように葬られたのだろう?
【中流 (古代~中世)】
奈良時代には瓦工場があったそうだ。
【下流 (旧石器時代~弥生時代)】
【下流 (古墳時代)】
こちらは壺の表面に朱色の線が見える。
【下流 (古代~中世)】
さらにこちらでは、「神宮寺」の文字が墨で書かれている。
そして、展示室中央へ移ると、金属類が・・・。
環状鏡板付轡。馬の口に付ける馬具か。
さらに、三角縁神獣鏡 – レプリカなど。
・・・
あまりにも展示物が多くて、急ぎ足になってしまった。
(もっと時間に余裕を持って訪問したい場所だ。展示も見たいが、松坂城周辺も散策したいし・・・)
以上で、松阪市文化財センター「はにわ館」を後にした。
折角松阪へ来たので、周辺を散策へ、
【 20110812 の記録(松阪) 】
- 松阪市文化財センター はにわ館
- 国指定特別史跡 本居宣長旧宅跡
- 三井家発祥地
- 御城番屋敷(重要文化財旧松坂御城番長屋)
- 松阪神社、本居宣長ノ宮
- 松坂城跡