2011年08月28日(日) 青峰山 正福寺 (徒歩)
近鉄 お伊勢さん125社めぐり(第8回磯部・鳥羽7社) の独自オプションとして 沓掛駅~青峰山 正福寺 – 青峰道(磯部道) を歩き青峰山正福寺へたどり着いた。
こちらが大門だ。確かにかなり大きく立派な山門だ。
大門の手前右には、この道標がある。「右 磯部満とや、左 鳥羽ミち」
建立の年は、文政九年。
また、大門の手前左にはかなり背の高い石灯籠があり、「永代常夜燈 大阪 西宮 樽舩 問屋中」とある。
建立の年は天保八年。
また、大門の前にはこの案内板がある。
青峰山正福寺大門と石灯籠
青峰山は、海上守護の霊峰として広く知られています。ここ正福寺は、天平年間(729~748)に聖武天皇の勅願(ちょくがん)により僧行基(ぎょうぎ)が開いたと伝えられています。
山門は、天保13年(1842)の完成といわれ、的矢の大工棟梁(とうりょう)、中村九造が長い歳月をかけて造りあげたものです。入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺(ほんがわらぶき)、三間一戸の楼門(ろうもん)で、各部に多用された彫刻は、それぞれ繊細を極め、江戸時代末期の特色をよくあらわしています。当時、その彫刻の見事さから、鳥羽藩には過ぎたるものとして、評判であったそうです。
また、山門前の高さ約7メートルの石灯籠は、弘化2年(1845)に奉納されたもので、前面に「永代常夜燈 大阪西宮 樽舩問屋中」、裏面には「天保八丁酉年五月 海上安全」と刻まれています。
正福寺には江戸時代、大阪から江戸へ酒荷を運ぶ、わが国の海運史上に重要な役割を果たした樽廻船(たるかいせん)の文書が貴重な資料として残っています。山門 鳥羽市指定文化財(建築物)
石灯籠 鳥羽市指定文化財(有形民俗)
昭和47年5月24日指定
所有者 青峰山正福寺
鳥羽市教育委員会
そして、こちらが大門。
なお、右側の仁王像の前にはこの様な由緒と注意書きが記された板が置かれていた。
また、大門のすぐ前には通常の常夜燈が。こちらは左側、
こちらは右側に。
そして、大門に視線を戻すと、至る所に繊細な彫刻が施されている。
これは、皇室を表す「菊の御紋」?
大門を通り抜けてから振り返り、パチリ。
さらに、大門から離れて、パチリ。右側に写っているのは鐘楼堂。
鐘楼堂の下には、オリエンタルな雰囲気の音が出る楽器を演奏している人がいた。
そして、境内へ向うと、お寺には不似合いな賑やかな音楽が流れ、屋台などが準備を始めていた。
これから125社鳥めぐりに戻ることを考えると、ここではゆっくりもできないので、駆け足で境内を一巡りした。
まずは右手の寺務所。
門に吊るされたしめ縄はかなりくたびれている。
左手に手水舎。
手水舎からの風景をパチリ。
手水舎から石段を上がると、左手に聖如意輪堂。 「厄落し観音」の張り紙があった。
右手には金堂。
さらに、前方には、赤い色の弁天堂、さらにその奥右側には
石段の上に大師堂。(写真を撮り忘れたが、大師堂の右には延命地蔵尊がある。)
大師堂へのお参りを終えて、石段を下ると左手(金堂の左側)に聖天堂がある。
ここでは海上安全祈願があり、海運業者による信仰のあつさが伺える。
さらに、金堂へと通じる回廊には多数の絵馬が掛けられている。
こちらが金堂。回廊を下った先の扉からパチリ。
金堂の正面へ回り込むと、扉には「船の舵」が彫られている。山上にはあるが、海とともに生きる寺だ。
ここには繊細な彫刻。
お堂へ入ると、内部にも多数の彫刻や吊り灯籠。
先ほどの境内へ戻ると、近鉄松尾駅へ向かうために青峰道(松尾道)を探した。
案内はないが、てくてくまっぴを参考に青峰道(松尾道)への取り付きが見つかった。正福寺の駐車場が見えるこの辺だ。
今の時代はここまで手軽に車で来れることを知り、少しショックを受けつつ、青峰山 正福寺~松尾駅 – 青峰道(松尾道)にて松尾駅を目指した。
【 20110828の記録 】
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