2011年09月10日(土) 天の岩戸(志摩市磯部町恵利原) (車、徒歩)
先日、近鉄 お伊勢さん125社めぐり(第8回磯部・鳥羽7社)で訪問した志摩市磯部郷土資料館を再訪する前に「天の岩戸」へ立ち寄った。
内宮の近くの宇治浦田交差点から県道32号伊勢磯部線(通称、伊勢道路)を磯部方面へ走り、志摩路トンネルを抜けると下りのワインディングロードとなる。下りきる直前、神路ダムの水面が見える直前にこの鳥居が立ち、天の岩戸への入口となっている。
鳥居をくぐり、左手に神路ダムを見ながら進むと、「天の岩戸へ600m」の案内板が現れる。
ここから数十m走ると、右手に「家建(やたて)の茶屋跡」の案内板があり、
その反対側には祠がある。
「家建(やたて)の茶屋跡」の案内板の付近から茶屋跡の「オオシマザクラ」の方を望むと道標のようなものが見えた。
ただし、入口は閉ざされていた。
すると、そこへ現れたのはトラックでコンバインを運んできたオレンジ色のつなぎの方。雑談の中で、この辺は猪による稲の被害がひどいため、田んぼの回りを囲っているそうで、あの道標への入口はこの方が封鎖しているとのこと。この囲いの中の稲は、酒米として有名な山田錦の母とされる「伊勢錦」で、完全な自然農法(放任?)で育っているとのこと。ちなみにこの米は、「八兵衛」の酒蔵から委託を受けているそうだ。(帰宅後にインターネットで「八兵衛 伊勢錦」をキーワードに検索したところ「元坂酒造株式会社」がヒットした。多分正解だと思う。神宮に清酒「五十鈴川」を奉納している会社だ。
【参考】 三重県産清酒奉納(内宮)の銘柄、醸造元一覧
先ほどの扉は太い縄で留められているが、元に戻しておくのであれば中へ入っても良いとの許可を得たので道標の近くへ向かった。両側には「伊勢錦」の田が広がる。右手のこの場所には猪が稲を倒した跡があった。いくら囲いを作っても猪は上手のようだ。
左手には谷筋の上方に向けて田が続いている。
こちらが道標だ。草の背がかなり高くなっているため、道標の下部を見ることはできないが、
「南 天の岩戸・・」 「西 磯部名所家・・」と読める。
または、背面には「北 天の岩・・」 「東 安政(?)三・・・」
帰宅後に、資料「磯部の道標と町石地蔵」で確認したところ、(19)の道標で次のように刻されているはずだ。
東 安政三辰十二月建立施主前橋幸助
南 天の岩戸案内所
西 磯部名所家建茶屋
北 天の岩戸案内所
こちらが、「オオシマザクラ」。
根元に、
石柱があるが、何と刻されているかは不明?
道標の見学を終え、先ほどの扉を太い縄でしっかりと固定すると、天の岩戸へと向かった。家建(やたて)の茶屋跡付近の鳥居をくぐり、
先へ進むと
200~300mで駐車場へたどり着く。ここからは車を駐めて歩きとなる。
アスファルト舗装された道を進むと「天の岩戸へ200m」の案内板が現れ、
その先には「天の岩戸参道」の道標が建っている。
この辺から道幅が狭まり、鳥居をくぐると
両側の石燈篭に見守られながら天の岩戸へと近づく。
その先には名水百選の案内板と右手には
太鼓橋がある。
天の岩戸からの湧水が「みそぎの瀧」となり絶え間なく流れ落ちている。
こちらが「みそぎの瀧」。
さらに進むと、鳥居の前の狛犬に迎えられる。
鳥居をくぐると拝殿がある。
右手には社殿がある。
こちらが天の岩戸で、岩穴に近づくと冷気が漂って来た。水だけでなく、空気も心地よい。
参拝を終え、帰ろうとすると、「風穴」の行き先表示があった。距離を示す部分の文字が薄れていたが数百mだろうと勝手に判断して階段を登った。
数分でたどり着いたの風穴がここだ。
岩穴の前にしめ縄が張られている。
天の岩戸まで戻り、みそぎの瀧の側にある鳥居をくぐり返した。
この後、駐車場へ戻り、志摩市磯部郷土資料館を目指した。途中で撮影したのがこの神路ダム。天の岩戸からの湧水もこのダムに流れ込んでいる。
【 20110910 の記録 】
- 天の岩戸(志摩市磯部町恵利原)
- 志摩市立磯部郷土資料館(再訪)
- 的矢の日和山散策