2010年03月27日(土) 宮川、外宮めぐり(自転車)
本日よりコンパスを持参し、社殿の向きを写真にとることにした。
宮川の右岸を上流に向かうと左手に営業していないパチンコ店の建物が見える。この後ろに見えるのが、河原神社(摂社)の社叢である。
パチンコ店を過ぎてすぐを左折すると、
山に向いた風景が広がる。突き当たりを左折すると、
もう目の前には、河原神社である。この前には駐車できるスペースがある。車でも大丈夫だ。
見上げると空が抜けていた。思わずパチリ!
コンパスの真下が社殿の向きで、赤い矢印が北を指しているから、この社殿は南から少し西に降れている。
次の園相神社へ向かう途中、宮本神社へ立ち寄った。
宮本神社を後にし、緩やかな坂を左へ大きく曲がると園相神社(摂社)が現れる。
来た道を振り返るとその先は見えない。
ここには禁殺生碑がある。
参道の上に木々が生えており、社殿が見え隠れする。
社殿の向きは、ほぼ南である。
園相神社を出て、久具都比賣神社へ向かう途中、宮川の左岸にある宮リバーの近くに祠を見つけたので参拝した。
さらに進むと、右手の上り坂の途中にも祠がある。
その後、ひたすらペダルを漕ぐと、度会小学校を過ぎて右カーブを下り切った辺りに久具都比賣橋がある。
橋を渡って数十m行くと、次の表示板が見える。
ここを左に曲がり、茶畑の道を進むと道なりに左へと曲がって行く。
T字路を左折すると久具都比賣神社(摂社)にたどり着く。
社殿の向きは、ほぼ南である。
みかんがお供えされていた。
天気が良いので、社域内の暗さが強調されている。
先ほどのT字路を先へ進むと、宮川の河岸に出る。橋がかかるまではこの辺に渡しがあったのだろうか?
河岸からT字路へもどり、伊勢市内を目指した。
伊勢市へ向かう途中、横輪川にかかる橋からの眺め。先に見えるのは新しく開通した道路の橋。
橋の辺りから八柱神社の社叢が見える。
大木の下、鳥居には大きなしめ縄が飾られている。
津村町交差点を右折し、かぐらばリゾートを過ぎ、さらにアップダウンを繰り返すと養命の滝の入口までたどり着いた。
養命の滝の入口の手前右下、鉄製の階段で小川を越える橋を降りて行くと、地元の方の信仰神らしき石神様が祀られている。
階段を上り、「養命の滝」の看板に従って右折すると、すぐ左手に養命神社の鳥居がある。鳥居の先は急な階段が続いている。自転車を降り、階段を上り始めた。今までの疲れが脚にきいているのか、やけに脚が重かった。
ちなみに、養命神社の前から先ほどの石神さまの杜を見たのが次の写真である。
石段を登りきると、その先には鳥居、手水舎、さらに社殿がある。
養命神社を後にして、舗装された坂道を登って行くと伊勢自動車道にかかる陸橋が現れてくる。この橋を渡り、養命の滝の案内表示に従うと山道に入る。山道を2~300m進むと2筋の滝に出会える。
滝の左手には祠がある。
養命の滝を後にし、田上大水神社まで一気に走った。
田上大水神社の手前には、材木置場がある。場内の重機には「神宮司廳 営林部」と書かれていた。
ここが、田上大水神社(摂社)であり、こんもりとした小山の上にある。古墳とも言われている。
石段を登ると、御垣とその前面のスペースしかなく、左右には余裕がない。
また、ここでは田上大水御前神社(摂社)が同じ御垣内に御座す。そのため、田上大水神社は正面に、田上大水御前神社が左手に右向きに配置されている。
こちらが田上大水御前神社である。
こちらが、田上大水神社である。
田上大水神社がほぼ南を向いているので、田上大水御前神社が東を向いていることになる。
御垣の裏へ回り、撮影したのが次の写真で、左側が田上大水神社である。
帰り道はとても急に思えた。
神社の隣に切り株が横たわっていたので、それに腰かけて遅い昼食をとった。例によっておにぎり。
材木置場を右に回り込むと道路の左手に山末神社(摂社)が御座す。
石垣と鳥居の間は非常に狭く、人が通れる程度である。
社殿がほぼ南を向いているので、この形状の社域にこの向きで配置したため、鳥居があの位置になったのだろう。
山末神社をでて、左へ進むと右手に旧豊宮崎文庫の門が見えてくる。
道路を挟んで反対側に、度会大国玉比賣神社(摂社)、伊我理神社(末社)、井中神社(末社)が御座す社域への入り口がある。
整えられた参道を進むとポツンと手水石がある。
その右手の石段を登ると度会大国玉比賣神社が御座す。
社殿は南向きである。
祭が執り行われたのか? 米と塩がまかれていた。
また、石段の途中にある木のこぶの辺りにも多くの塩がかけられたらしい跡があり、地面には大量の塩が落ちていた。(実際、塩であるかは?)
また、左隣には石段から御敷地までが準備されている。
次の写真は、伊我理神社から度会大国玉比賣神社を望んだものである。
参道を奥へ進むと、伊我理神社(末社)への石段が現れる。
伊我理神社には、井中神社(末社)が同座されている。
伊我理神社はほぼ東を向いている。
ここでも、祭が執り行われたのだろうか?
外宮の手前左側に茜社がある。
やっと外宮に着いた。北御門口の入口に自転車を駐め、まずは手水舎へ向かった。
心身を清めてから火除橋を渡った。
火除橋の外側はこのように苔むしている。
火除橋を渡り、すぐ右手に参道があるので、そこへ入って行くと、その先には、度会国御神社(摂社)、大津神社(摂社)、上御井神社(所管社)がある。
まず最初に、度会国御神社(摂社)が御座す。
社殿はほぼ南向きである。
その先には大津神社(摂社)が御座す。
社殿の向きは南西に近い。
さらに奥へ進むと大樹の前を左へ曲がると「入林禁止」の看板がある。上御井神社はこの先にあるそうなので、ここから遥拝した。
来た道をもとの参道へもどり御正宮へと歩を進めると、木々の間から忌火屋殿らしい建物が見えた。
これは忌火屋殿だ。この奥に御酒殿がある。ここも立ち入りできないので遥拝した。
御正宮の板垣の裏側の通路で、ずっと先の方は新御敷地へとつながっているようだ。
ここから見えるのは、御正殿だろうか?
五丈殿、九丈殿を越えて右折し、右手に御座す四至神(榊の下の御石)で拝んた。
四至神を過ぎ、右手には奥まで続く板垣が。
正面の板垣沿いに進むと、鳥居へたどり着く。
豊受大神宮の向きは、完全に南向きだ。
参拝を終えて、参道から振り返ると、
御正宮の前には、パワースポットとして注目されている三つ石がある。
参道を右手に進み、亀石を渡ると、別宮へ(ただし、この写真は別宮側からの撮影)
突き当たりの階段を上がり、さらに左の階段を登った。(次の写真は、階段を踊り場まで登りきってから振り返って撮影)
踊り場から右へ進む。
すると、右手に新御敷地の覆屋が目に入る。
さらに奥へ進むと、
社殿はほぼ南を向いている。
先ほどの踊り場から石段を下る。階段を下っている途中右手には風宮(別宮)が見える。階段をまっすぐ下りきると、前面に土宮(別宮)が現れる。ここから左の沢筋へ入ると2~30m先に、下御井神社(所管社)がある。
御井に覆屋がかけられたもので、社殿は存在しない。
向きは、ほぼ南東である。
参道を戻ると左手には、山から集まる水が流れる水路越しに、土宮(別宮)が見える。
この社殿の向きは、ほぼ南東である。祭神である大土御祖神は宮川の氾濫を治める堤防守護の神として尊ばれているとのことなので、宮川を背負う向きに配置されているのか? この点は今後の調査テーマである。そういえば、下御井神社も南東向きであった。
今回のめぐりの最終の御宮であり、わたしが好きな御宮である風宮(別宮)である。次の写真は多賀宮から石段を下る途中からのカットである。
社殿の向きは、南から少し西に振れている。土宮とは60~70度程度の差があるだろう。
風宮は、様々な方向から社殿を見ることができるため、非常に勉強になる。
とくに、このカットはいにしえを感じさせる雰囲気があり、大好きだ。
また、千木と破風の関係、これらの重なり具合が一目瞭然である。
たまたま、珍しい光景に出くわした。何か儀式が始まるのかと思ったが、実はお賽銭の回収作業であった。
風宮を後にして表参道を進み、神楽殿、斎館の入口を過ぎ、火除橋にたどり着いた。
どうも、火除橋は工事中で、左手に仮橋がかけられている。
リズミカルに金槌で側面を叩いていた。設置後に圧縮された状態が元に戻り、隙間をなくすための技なのだろうか? 理由を聞きたかったが、宮大工の皆さんは作業に集中されていたのでそんな余裕がなかった。
北御門口へ戻り、自転車に乗り、神路通りを月夜見神社(別宮)へ向かった。
月夜見宮の右奥には高河原神社(摂社)が御座す。
高河原神社の社殿はほぼ南西を向いている。月夜見宮の向きを測っていないが、高河原神社とほぼ同じ向きと思える。
これで本日のめぐりは終了した。
今日は盛りだくさんの一日であった。自転車だと少し脚を伸ばそうが連続し、通常のめぐり以上の収穫がある。
p_m_a さん
ありがとうございます。
> キタヰさんは、月夜見宮左側のお稲荷さん(らしきもの)へは参拝されなかったのかなと思いまして。
私はこの時も参拝しました。(月夜見さんへ参拝すると時々参拝します。)また、写真を撮ったのですが、他の掲載分が多く、選に漏れてしまっていたようです。
お稲荷さん(祠ではなく、石)は老木の根元の空洞部分に祭られています。その前には榊とさらにその前には一対の狐が・・・ そして、さらに小さな賽銭箱と鳥居があります。
この日、私がお参りした時、おばあちゃんが長い時間お祈りしていました。多分地元の方だと思います。
> 由縁はさっぱり。
私も知りません。今度お参りしている方に聞いてみたいと思います。
今まで私はとにかく体験することのみを重視していたため、知識はほとんどゼロに等しいです。最近はめぐりも一段落して気分的にも余裕が出てきたので、由緒なども勉強して知識武装したいと思っています。
では、また、
いっぱい月夜見さんの記事があったので、どこにしようかと思いましたが、ここへ失礼しますね。
キタヰさんは、月夜見宮左側のお稲荷さん(らしきもの)へは参拝されなかったのかなと思いまして。
神宮とは関係がなくて、地元の人に信仰されている神さまだそうですが・・・由縁はさっぱり。
茜社みたいに由緒が摂社ではないかというお社であるなら、こうやって残っているのも頷けますが・・・。