2011年11月20日(日) 伊勢市の石造遺物めぐり-その4(宇治岳道) (電車、徒歩)
今日は、「その1」で発見できなかった宇治岳道の石造遺物を再確認した。
「伊勢市の石造遺物めぐり」シリーズの記録では伊勢市教育委員会が発行した 「市制80周年記念出版 伊勢市の石造遺物」を参考にめぐるので、画像データの見出しには()内に本書籍内での管理番号を付与した。ただし、書籍内に該当する石造遺物が見当 たらない場合は(?)となっている。
以前、伊勢市の石造遺物めぐり-その1(宇治岳道) にて宇治岳道(神宮司庁の近く~朝熊峠)の石造遺物を調査したが、「市制80周年記念出版 伊勢市の石造遺物」にて紹介されている石造遺物の一部は確認することができなかった。
本日、近鉄朝熊駅を出発して朝熊岳道から朝熊ヶ岳山頂を経由し、宇治岳道にて神宮司庁付近へ至るルートを歩いたところ、「その1」では見つからなかった地蔵町石等を確認できた。
ここでは、朝熊峠から神宮司庁付近へ宇治岳道を歩いた記録を。
朝熊峠を出発した。
しばらく続くアスファルト道路には蜂の巣が落ちていた。
また、民家を過ぎると右手には柿の実が。
その先の電波塔を通り過ぎると
(2011年7月16日撮影分)
すぐ左側で二丁地蔵町石が見つかった。ただし、「市制80周年記念出版 伊勢市の石造遺物」には記載なし。
さらに、数m先でも三十七丁地蔵町石が見つかった。これは(U44)のようだ。
振り返ると(U44)の奥に電波塔が見える。
坂道を下ると左手の祠の先には前回も紹介した地蔵町石群があるが、
ここでは前回撮影し忘れた四十七丁地蔵町石(U39)をパチリ。(U39)の下部は土に埋まっている。
さらに歩くと四十三丁地蔵町石(U35)を過ぎてから
(2011年7月16日撮影分)
右手の斜面に次の石造遺物を発見した。
上部が欠落していて、これだけでは判断できない。ただ、一つ前が(U35)、そして次に発見したのが(U33)なので、この地蔵町石は(U34?)の可能性が高い。
そしてその先には
蔓に隠されるように右手に地蔵町石が二体。
左側が四十一丁地蔵町石 (U32)で
右側が四十二丁地蔵町石(U33)だ。
さらに進むと
右手の木々の中に視線が吸い寄せられた。あっ、こんなところに。
木の枝をかき分けて木々の中へと進むと、そこには四十町角柱町石(U30)が建っていた。この場所はなかなか見つけられないだろう。今回はラッキーだった。
伊勢志摩スカイラインに架かる清水橋を渡り、
前回にも確認した三十五丁地蔵町石(?)等付近へ。前回より光の状態が良かったので、掲載。
さらに進むと右手に
振り返るとこんな斜面の木の陰に斜めに建っている。(次の写真の左上の部分に)
その先では山道の左側が崩落していた。谷筋に目をやると石柱のようなものが見えた。
カメラの倍率を最大にしてパチリ。それは「是従神宮宮域」の石柱だった。
そして一瞬伊勢志摩スカイライン一宇田展望台が見えるポイントを過ぎると
句碑(U12)にたどり着いた。(U12)の手前で振り向いてパチリ。
そしてこちらが句碑(U12)。
磯部道への分岐を過ぎると
しばらくは黙々と歩いた。
その後、前回にも確認した大黒石を過ぎてから
(2011年7月16日撮影分)
所々で左手に山々を望みながら進むと
左側の山道沿いに十町角柱町石を発見した。こんなわかりやすい場所なのに前回発見できなかったのが不思議だ。ただし、「市制80周年記念出版 伊勢市の石造遺物」には記載なし。
その後は秋の終わりを感じながら宇治岳道を下った。
今回は集団による山歩きだったのでいつもよりもゆっくりペースだったし、歩く方向が逆だったため、前回見落とした石造遺物を発見できたのだろう。