2011年11月23日(土) 大村神社(み歴マ 初瀬96) (電車、徒歩)
近鉄 お伊勢参り 第六回 その2/2 息速別命の陵墓から近鉄 青山町駅へ (中止分の自主実施) にて大村神社へ。
【補足】
みえ歴史街道ウォーキングマップについて
- コース周辺の道標、常夜燈などについては、みえ歴史街道ウォーキングマップの「初瀬街道」版を参考にしたため、写真のタイト ルに「(み歴マ 初瀬 114)」とある場合は「みえ歴史街道ウォーキングマップ初瀬街道の(114)」を示している。
西参道から大村神社へ向かうと鳥居の前に社標があり、
社標の右手には常夜燈、
さらに右側には「参道改修碑」が建っている。
これらを確認した後
鳥居をくぐると
その先には石段が続き、左右には多数の常夜燈が建っている。
さらに石段を上ると、御造営の寄附を記す石柱が多数並んでいる。このあたりは「金三十万円」がズラリ。
石段を上りきり、振り返ってパチリ。ここには「金五十万円」の寄附も。
本殿側をパチリ。
さらに参道沿いの常夜燈をパチリ。あれ、あの常夜燈、傾いている。
これらの常夜燈の前、参道左手には社務所があり、
その奥には複数の「参籠所」が並んでいる。参籠所の前には名前を記した多数の札が掛かっているがこの参籠所は誰がどのように利用するのだろう?
右手の手水舎で心身を清めてから
手水石を見ると「宝永三年(1706)」と刻されている。
手水舎の隣には鳥居があり、その先には拝殿が見える。
鳥居の左手には「御祭神、御由緒ほか」が記されている。
鳥居をくぐり、まっすぐ進むと
拝殿がある。今は「七五三」シーズンだ。
この社名額からは、「延喜式神名帳」にも載っている古社としての存在感が・・・。
お参りした後、少しは離れて拝殿をパチリ。
拝殿の右手には大村殿があり、その一部が神札授与所になっている。
そこで、次の御由緒略記をいただいた。
境内見取図を拡大すると、これだ。西参道から石段を上り、社務所、参籠所の前を通り、参籠所の向かいにある手水舎で心身を清めてから本殿の前にある拝殿でお参りした。その後、大村殿へ。先ほど、拝殿の左手に見えた背の高い杉は「巳の大杉」だ。
宝殿の高札を確認すると、
その左手には地震守護 要石社が建っている。
要石社の左右には「水かけなまず」が横たわり、「七五三」に来ていた女の子が「『なまず』に水を掛ける。」と言って近づいてきた。
そして、要石社の社殿の中には
要石が。
拝殿の前を通り過ぎ、
南参道へと出て、拝殿をパチリ。
さらに拝殿の左側面もパチリ。
こちらは南参道の左側、ここにも多数の参籠所が建っている。
参籠所の向かい、南参道の右手には虫食の鐘(むしくいのつりがね)がある鐘楼がある。
【参考】 あおやま風土記 日本三奇鐘の一つ 大村神社の虫食鐘
鐘楼へ入ると
賽銭箱があり、「所願成就の鐘 お一人一回心静かについてください」と記されていたので、賽銭を投げ入れてから
やさしく静かに鐘をついた。
しばらく鐘楼にたたずみ、鐘の響きに耳を傾けた。実際は聞こえていないのだろうが、ずっと余韻が響いているように思えた。
南参道をパチリと撮影してから
南参道を進むと鳥居の先の紅葉が目に入った。思わす誘われて近づくと立派な民家のようだった。景色だけ頂こうとパチリ、パチリ・・
この前には桜山公園が広がり、
桜の時期には見事に花見ができるのだろう。
公園のベンチ脇から下界を見下ろすとかなりの高さを稼いだことに気づいた。
ここでもしばらく「ぼーーっ」として過ごすと大村神社の南参道へ戻った。
南参道の駐車場側には「元宮坊 禅定寺跡」の石柱が建っている。禅定寺は先ほどの虫食の鐘の元の所有者だ。
以上で大村神社を後にした。
【 20111126の記録 】 近鉄 お伊勢参り 第六回(中止分の自主実施)
- その1/2 近鉄 伊賀神戸駅から阿保宿の大常夜燈へ
- その2/2 息速別命の陵墓から近鉄 青山町駅へ
→ 大村神社(み歴マ 初瀬96)