2011年10月08日(土) 近鉄 お伊勢参り 第七回 その1/2 近鉄 榊原温泉口駅から亀ヶ広へ (電車、徒歩)
大阪から伊勢を目指す近鉄主催の「歴史を訪ねるスペシャルウォーク お伊勢参り」は第6回が中止になったため、4か月ぶりの第7回目だ。
今回のテーマは「雲出川沿いに拓けた街道から一志の里へ」で、榊原温泉口駅をスタートして初瀬街道を辿りつつ川合高岡駅のゴールを目指した。
【補足】
- コース周辺の道標、常夜燈などについては、先日みえ歴史街道ウォーキングマップで貰った「初瀬街道」版も参考にしたため、写真のタイトルに「(み歴マ 初瀬 64)」とある場合、「みえ歴史街道ウォーキングマップ初瀬街道の(64)」を示している。
- また、コースマップ(2170)は近鉄から受け取ったコースマップ上でのスタート地点からの距離を表している。
今日は8時34分伊勢市駅発の大阪上本町行き急行に乗り、榊原温泉口駅には9時13分に到着した。
榊原温泉口駅のホームは高所にあるため、本日巡る方向を望むとこんな風景だった。
トイレを済ませて受付の列に列ぶと既に受付は開始され、個々に出発となっていた。(そうだ、このハイキングは近鉄の大阪と名古屋の共催で三重県側は名古屋が担当になっている。今まではコースの途中でスタンプを押していたが、今回からはスタートでスタンプが押された。これはお伊勢さん125社めぐりと同じ方式だ。)
スタンプ帳に押印してもらい、コースマップを受け取ると私も早速スタートした。
榊原温泉口から坂道を下り、
しばらくまっすぐ進んだ後、純金観音の看板で左折した。
道路の反対側にこれを発見。思わずパチリ。三重県の境界杭の上に置き石が二段、何かいい雰囲気だ。
しばらくは直進。
両側には田んぼが広がっている。
小さな大村川を馬場橋で渡ると津市白山郷土資料館の壁面が見えてきた。
次の角を左折すると津市白山郷土資料館の正面となる。
館内は土足厳禁なので、入口で靴を脱ぎスリッパに履き替えた。カウンターで貰ったパンフレットはこれだ。
資料館で特に気になったのがこのポスター。伊勢古市 旅館両口屋とあり、この地から伊勢へ移ったとある。
確か、JR神宮125めぐり 内宮めぐり でも掲載した
が両口屋で今は空き家になっている雰囲気だった。
津市白山郷土資料館を出るとコースとは逆方向へ向かった。国道165号線沿いに慶応四年建立の常夜燈があることなので、まず最初の寄り道だ。
これが常夜燈(み歴マ 初瀬 64)で、遠くには青山高原の風車が見える。
竿石には慶応四年とある。
道路の反対側のガードレール越しにパチリ。
常夜燈から津市白山郷土資料館へ戻る途中、木造の古い2階建ての建物をパチリ。公共機関の建物の雰囲気だ。正体は?
津市白山郷土資料館まで戻り、前を通り過ぎ、右側の倭交番を過ぎると
この変則五叉路に出る。コースマップでは右折(右の奥方向)、(み歴マ 初瀬)のコース取りは直進、さらに左方向に山神がある書かれている。
ここでも寄り道。山神をパチリ。
先の五叉路をコースマップに従って進むと倭1交差点(国道165号線)に出る。
信号待ちの後、横断歩道を渡ると緩やかな上り坂となり、上りきってパチリ。
下りの先ではUターンして畑の脇の
くねくね道へ向かった。この先のデイサービスのところを右折して坂を上りきると
左手にNTTの三重白山大三RTーBOXなるものがある。これは何だ?と疑問に思いつつも先を急いだ。
坂を下り左へ曲がるとこの常夜燈だ。ここは初瀬街道では無さそうだが、
建立は古く、文久三年とある。
正面からパチリ。宝珠石が傾き、台石の一部がずれている。
なお、見上げると笠石には火袋石からずれないような細工が施されている。
常夜燈の観察を終えると称名寺を目指して歩き出した。
小野川橋を渡る手前に祠にお参りして、その後で小野川橋をパチリ。
橋を渡りきってから振り返ってパチリ。
しばらく右側に水路を見ながら歩くと
水路は前方へ続くものの、道路は丁字路となっている。
丁度、この場所に両宮献燈と山神が建っている。
これだ。
この丁字路を左折すると前方に青山高原の風車が見える。
この先左側に建っているのが石柱(み歴マ 初瀬 58)。
ここを右折すると再び初瀬街道となる。
少しの間、左手には国道165号線が並走している。
国道から離れ家並みを進むと、左手にひょうたんかぼちゃが。ハイカー(おばさん)が声をかけたら、作業中のおじさんが「自由に持っていって」と言った。おばさんはとてもうれしそうだった。
素朴な触れ合いを目の当たりにして、ほのぼの感満々で進むと
常夜燈だ。これは常夜燈(み歴マ 初瀬 57)。
火袋台石の彫刻が目立ったので、パチリ。
建立は慶応三年。右側の深い筋は模様、それとも盃状穴の一種? 深い筋の左側にも浅い線が見える。スプーンで繰り返す擦るとこんな感じになりそうだが?
正面からパチリ。
この常夜燈の正面には田んぼが広がっていた。干しワラもパチリ。
進行方向には称名寺が見える。
石積み沿いを進むと
石の出っ張り。積み石の一つだけが飛び出している。この石の役目はなんだ?疑問をできないまま進むと
称名寺の石段下には地蔵堂(み歴マ 初瀬 56)がある。
ここで振り返るとこの石段が続く。
石段を上ると右手に御堂がある。
境内を散策すると文久の文字を発見したので思わすパチリ。
称名寺からの眺望はこれだ。
境内では語り部さんの説明が続けられていた。
私が石段を下りると、他のハイカーが続々と上っていった。
それにしても石積みのこの出っ張り石の理由は?
称名寺を後にすると2本の道筋が、どちらが初瀬街道?
現代風の道標(初瀬街道大三(二本木)地内)を過ぎると
右手の遠くに地蔵状の物体を発見した。
近づいて正面からパチリ。地蔵(み歴マ 初瀬 53)だ。
畑道を戻ってくると右前方には山神。
近くでパチリ。
この道の突き当たりは丁字路となっている。そして、ここを左折(下の画像の下方向)。
東明寺跡を探しながら歩いたが、発見したのは「東明寺」の名板のみ。(帰宅後によく見てみると、後ろの建物は御堂のようだ。もしかしたらあの建物の中に県指定文化財「木造薬師如来立像」が保管されている?)
次に立ち止まったのは、常夜燈(み歴マ 初瀬 50)。回りには民家が多く、常夜燈のみを撮影することは困難だ。
竿石には、天保四年とある。
ここから丁子屋まで幅の狭い道を進むと
その先には、旧旅籠「角屋」と丁子屋がある。
旧旅籠「角屋」は空き家になっているそうだが、
その向かいの丁子屋は安政四年に旅籠屋から「造り醤油・味噌屋」にかわり現在も営業を続けている。
(創業は安政五年、現在の名称は有限会社丁子屋商店)
商品の一つがこの「丁子味噌(赤だし)」(味噌にはほかの種類もあった。) 。これは300円だが、量り売りしてくれるとのこと。
二本木宿の先にはこの分岐がある。初瀬街道は左であるが、現在は近鉄線路となっているため通れない。そのため、右へ迂回。
ただし、歩いていると手作りのこの案内板があった。(初瀬街道?)
柿畑などを通りすぎると
道幅が狭くなり、
この先、楠木橋の手前あたりで本来の初瀬街道と合流するそうだが、そのポイントは分からなかった。
楠木橋を渡ると桜並木になる。
桜並木の途中、左側にこの案内板を見つけたのでここでも寄り道。
矢印に従い進むと線路の手前右側には茶畑が広がっている。古墳はどこ? と
振り返ると、これだ。もしかして、これらのこんもりしたものが古墳? 古墳の正体を確認できずに不完全燃焼でこの場を後にした。(入口の案内板に古墳の配置図でも描いてあると分かり易いだろう・・・、ひとりごと)
桜並木へ戻りさらに進むと
右手には雲出川が見えてくる。
これだ。赤岩橋上流側の固定堰。
赤岩橋まで進むと左手には
石碑が建っている。
赤岩橋を過ぎた辺り、河川敷への階段に腰掛けて昼食をとった。
暫しの休憩の後、川合高岡駅を目指すために立ち上がった。
【 20111008の記録 】
- 近鉄 お伊勢参り 第七回 その1/2 近鉄 榊原温泉口駅から亀ヶ広へ
- 近鉄 お伊勢参り 第七回 その2/2 亀ヶ広から近鉄 川合高岡駅へ