2011年12月10日(土) 近鉄 お伊勢さん125社めぐり(第12回内宮20社) (徒歩)
近鉄 お伊勢さん125社めぐりの最終回である「第12回内宮20社めぐり」に参加した。今日はウォーキングに目覚めた【キタヰの妻】も同行することになった。
スタート受付が宇治山田駅、ゴールが五十鈴川駅なので今日はすべて徒歩での行動とした。自宅を8時半過ぎに出ると9時10分頃に宇治山田駅へ到着した。
今日は今までとは異なり、受付の付近に「本日のゴール受付時間のお知らせ」が掲示されていた。私も満願なので子の時間中のゴールが必須だ。
次のコースマップを受け取ると早速出発だ。とは言っても何度も歩いたこのルート、地図が無くても好きなように歩ける。
宇治山田駅を出て、バス停を過ぎ、左折すると
三つ目の交差点を左折。近鉄鳥羽線の高架をくぐると
小田橋に到着した。
小田橋を渡り、道なりに進むと
間の山(尾部坂)の上りの起点付近左手に石柱を確認した。表面には「尾上神社」と刻されている。この奥は民家で神社らしいものは見当たらない。(?)
疑問を抱きつつも【キタヰの妻】を追いかけて間の山(尾部坂)を急いだ。
坂の途中右手には「間の山 お杉お玉」の石標が建っている。以前は坂の下の方に建っていたものだ。
坂を上りきる辺りには旅館「両口屋」の建物が荒廃して残されている。
両口屋と言えば、近鉄 お伊勢参り 第七回 その1/2 近鉄 榊原温泉口駅から亀ヶ広へ にて津市白山郷土資料館で見つけたポスターを思い出した。
(20111008)
坂を上りきって振り返って、パチリ。旅館「両口屋」跡はY字路にある。
市営テニスコート前を過ぎると右手に、備前屋跡の石標が建つ。
その先には伊勢古市郵便局があり、「古市街道」の「古市」の名が現れる。
郵便局を過ぎて、右へ入ると大林寺がある。
大林寺本堂の左手には案内板があり、
その奥には油屋騒動の主人公である遊女お紺と孫福斉の比翼塚がある。
こちらがお紺の墓石だ。
古市街道へ戻り先へ進むと、近鉄鳥羽線を越える橋の手前右側には油屋騒動の舞台となった「油屋(旅館)跡」の石標が建つ。
近鉄鳥羽線を越える橋の上から本日のゴールである五十鈴川駅方面を望み、パチリ。
数十m歩くと左手に長峯神社。主祭神は天鈿女命(あめのうずめのみこと)で、芸能の神社とされている。
お参りを済ませて参道を戻ると、
右手の社務所には人だかりが。
長峯神社を後にして古市街道を進むと麻吉(旅館)への入口。多くのハイカーが左折していった。私たちも左折。
階段状の敷地に段々に建つ旅館の間の階段を下り伊勢自動車道の側道まで出ると、振り返ってパチリ。
【参考】 麻吉(旅館)と道標
勝って知った場所なので、伊勢自動車道の側道を進み、伊勢古市参宮街道資料館へたどり着いた。
現在、「23年度 第3回企画展 古市遊廓」が開催されていた。現在は遊廓の「ゆ」の字の面影もないこの地で「遊廓」に関する展示を見てもなかなか実感が沸かず、想像もできなかった。建物だけでも残っていれば・・・。
資料館を出るとその後は細い道路(車が対向できない場所も多い)を黙々と歩くと道路幅が広くなった先に神宮司庁頒布部がある。
その斜め向かいには背の高い常夜燈が建っている。
これだ。常夜燈の間に見えるのが、公園等で見られる街灯なので、常夜燈の大きさが図り知れるだろう。
常夜燈の前の石柱の裏を見ると、建築工事係の森川さんは「油屋内」と彫られている。油屋には工事を担当する組織(?)が存在していた?
最後に、側面からパチリ。
常夜燈の先は牛谷坂となっている。
坂を下りきると右手には、宇治惣門(通称、黒門)跡の石標が建つ。
丁字路を左折すると左手に
猿田彦神社がある。
参拝すると、拝殿の前に人だかりが・・・。
これだ。方位石に人が集まっていた。
私たちは猿田彦神社の社域内にある佐瑠女神社にもお参りしてから猿田彦神社を後にした。
この後は宇治浦田町交差点を右折して宇治橋前へと向かった。
CAN(きゃん)バスの側面をじっくりと見る機会はあまり無いので、パチリ。よく見ると「さまざまな名所のイラストがちりばめられている。」
宇治橋前へ到着。通常なら左手の宇治橋へ向かうが、125社では右手のタクシー乗り場の奥へと向かった。
こちらがタクシー乗り場の奥で、神宮司庁により「定」の高札が掲げられている。
この神域には多くの神様が御座している。
まずは向かって右手の津長神社(新川神社、石井神社を同座)にお参りした。
続いて、中央の饗土橋姫神社へ。
こちらは宇治橋の守り神で宇治橋の掛け替え前に造り替えられたため、すでに外側は変色している。屋根の裏側や側面と比較するとその違いがよく分かる。
この社域の最後、大水神社(川相神社、熊淵神社を同座)に参拝した。
タクシー乗り場付近へ戻ると宇治橋前は人だらけだった。
林崎文庫の道標の前を通り、
ロータリーの右手から進むと
集団記念撮影のプレートが片付けの途中だったので、これを借りて一枚パチリ。
また宇治橋の右手には今月の祭典の予定が掲示されていた。
宇治橋を渡り、
神苑前の参道を望むと
まずは、第一鳥居へ向かう参道を外れて大山祗神社、子安神社へと向かった。衛士見張所の脇を通って、神宮司庁へ向かうとその階段下右手に社名が書かれた高札がある。
専用の手水石で心身を清めて、奥に御座す大山祗神社、
手前の子安神社の順で参拝した。
参道へ戻る途中で、パチリ。
神苑前の参道へ戻るとダンプの姿が。
近づくと荷台側面の「伊勢神宮玉砂利献納」と書かれていた。多分、毎年末、献納されている玉砂利だろう。
火除橋を渡り、斎館、手水舎
第一鳥居を過ぎて、
御手洗場へ向かってパチリ。
御手洗場の裏手に御座す瀧祭神にお参りすると、
裏の細い参道で風日祈宮橋を渡り、風日祈宮へお参りした。
風日祈宮橋を戻ると、
北詰に立つ木の節が様々な物に見えてきた。思わず、パチリ。
御正宮へ向かうため、神札授与所、神楽殿、そして忌火屋殿の前を通り、
新御敷地の石段下へ来ると何かの作業が・・・。古材を利用している。そうか、年始の帰り道の土台を古材で作っているのだ。
ただし、常夜燈の上部が取り外されているのは? 理由は何だろう。
さらに進む、御正宮の石段下にある御贄調舎をパチリ。
そして、御正宮をパチリ。御正宮およびその周辺には多くの神様が御座している。御正宮(皇大神宮)、さらには宮比神、興玉神、屋乃波比伎神。すべての神様にお参りした。
御正宮での参拝を終えて参道を戻っていると真っ直ぐな杉が少ないことに今頃になって気づいた。パチリ。
別宮遥拝所の前を右手へ向かい、御稲御倉の前で御正宮の新御敷地をパチリ。覆屋の中では作業が進められているようで、木を叩く音が聞こえていた。
なお、「神宮会館メールマガジン 第 116号」には
さて、両宮御敷地に過日簀屋根(すやね)が組み上げられました。これは新たなご社殿の造営工事を進めるにあたり、足場を組み、風雨を除けるための覆い屋です。来年には簀屋根の中で作業が始まり、ご遷宮への気運がさらに高まってまいります。年末年始のご参拝の折は、簀屋根等の様子もご覧下さい。
とある。(簀屋根の工事が進められているのだろうか?)
御稲御倉にお参り、
続いて、 荒祭宮。
さらに、御酒殿、
その隣の由貴御倉、
そして最後には、
四至神にお参りした。以上で近鉄 お伊勢さん125社めぐり ですべてにお参りしたことになる。
後は五十鈴川駅へ戻るだけだ。
参集殿前のこの木が目についたのでパチリ。
その後は宇治橋を渡ると昼食を摂るために、五十鈴川の烏帽子岩近くへ向かった。川辺に腰を下ろして【キタヰの妻】とおにぎりをパクり。
束の間の昼食タイムを終えると、おかげ横丁の前を通り、おはらい町通りを宇治浦田町交差点へ向かった。
後は、宇治浦田町交差点から御幸道路をひたすら歩くだけ。国道23号線との分岐の標識に変化?
「伊勢神宮(外宮)」が追加されているようだ。観光客の増加により改善されたのだろうか?
伊勢市街へ向かうと、月讀宮前で五十鈴川駅へ(徒歩8分)の標識が。
歩道の変形に目を奪われつつも
五十鈴川駅を目指すと、近鉄鳥羽線の高架下に近鉄の赤い矢印マーク。
高架をくぐり、左折するとゴールだ。
一年間、12回での「お伊勢さん125社めぐり」のクライマックスだ。
満願で終了。
達成感を味わいながら五十鈴川駅を後にして、帰途についた。
ちなみに今回頂いた景品は、
6コース以上踏破で進呈される伊勢地場産品「伊勢ひじき」と
満願賞である
いつきのみや歴史体験館 手織り – 草木染め -。
来年も同じ企画が繰り返されるそうで、【キタヰの妻】は参加意欲を示していた。
【参考】 内宮めぐりに関して