2012年03月24日(土) 清盛楠(外宮) (車、徒歩)
2012年、NHKの大河ドラマの主人公は「平清盛」。伊勢には平家ゆかりの地が多いが外宮には「平清盛」ゆかりの木がある。それは、清盛楠(きよもりぐす)。
『改訂版 検定 お伊勢さん 【公式テキストブック】』のP.43によると次の通り。
表参道手水舎の反対側に立つ楠木で、内部が腐っており二本の木に見えるが、一株の古木で樹齢八百年以上といわれる。名前の由来は、平清盛(1118~81)が勅使として参向したとき、冠に触れた西側の枝を切らせたという伝承による。なお記録によれば、清盛は勅使として三度神宮に参向している。
お伊勢さん125社 外宮めぐり にて清盛楠にも立ち寄ったのでパチリ。
少し右へ移動すると幹が左右に二本に分かれているように見える。写真の左側は西なので、先の解説によれば、左側の枝が清盛の冠に触れ、切られたのだろう。
楠の根元へ近づくと
確かに二本の木として独立しているように見える。
これでも地中で一本になっているのだろうか?
【 20120324 の記録 】
- 伊勢市の公民館講座(2012年度前期)
- お伊勢さん125社 外宮めぐり
→ 開館に向けて最後の追い込み 式年遷宮記念 せんぐう館
→ 清盛楠(外宮) - 茜社、豊川茜稲荷神社、茜牛天神
- 観光戦隊 イセシマン 参上
- 伊勢市観光協会 新築工事(その2)
- しだれ梅(離宮院公園)
- 臥龍梅(伊勢市御薗町新開)- 梅まつりの三週間後(2012)
この楠についてですが、宇治山田市史の記述(上巻828頁)とは異なっている点(重盛楠が清盛楠とよばれるようになったとの記述があります。ここでは勅使も重盛であったと記述されています)があり、歴史の考証が、今と昔では違っていたから(だろう)とはいえ、「どちらを参考とするか」で案内人も困りますよね。
どういうふうな形で実際、案内人の方々は案内をされているんでしょうか。ここについては、非常に疑問だし、興味があります。
ただ、「誤って伝わった」としている点からも聞きづてなのだろうと思いますが、何せ市史とはいえ、80年以上たつ古いものですからね・・・。
p_m_a さん
おはようございます。
> 重盛楠が清盛楠とよばれるようになったとの記述があります。
私は「清盛楠」については何も疑ったことがありませんでした。
たとえば、
1. 今まで私が目にした書籍、ガイドブックなどではすべてが「清盛楠」と記されている。
2. 神宮が配布している神域案内図(豊受大神宮)にも「清盛楠」と記されている。
> どういうふうな形で実際、案内人の方々は案内をされているんでしょうか。
についてですが、
3. 先日「平成23年度伊勢市観光人材育成・おもてなし研修」に参加した時、講師の「お伊勢さん観光ガイドの会」阿形智恵子さんも「清盛楠」と説明されていました。
こんな具合に今では「重盛楠」を意識している人はほとんどいないのではないでしょうか?
ただし、私は「重盛楠」と初めて聞いて驚くとともに、非常におもしろい情報に出会ったと感謝しています。
そうすると、「清盛楠」と同定された情報源はどこにあるのか? また、宇治山田市が「重盛楠」の名をだした情報源は? など出典をたどらないと・・・
とにかく、宇治山田市史をじっくり読んだことがないので、まずは一度目を通して見たいと思います。
いつも興味深い情報をありがとうございます。
では、また、