2010年10月31日(日) 御塩道その2/2(汐合橋から外宮斎館へ) (徒歩)
10月09日に 御塩焼固(みしおやきがため) を見学してから御塩道(以前、御塩殿から外宮の斎館まで御塩が運ばれた道)を歩きたいと思っていたが、本日やっと実現した。
前半の 御塩道その1/2(御塩殿から汐合橋へ) に引き続き、汐合橋から外宮の斎館まで御塩道を歩いた記録。
【参考】
- JR二見浦駅から御塩殿までの道順は、 御塩道までの道(JR二見浦駅から御塩殿へ)
- 御塩道の前半は、 御塩道その1/2(御塩殿から汐合橋へ)
汐合橋を渡り、道なりに進むと、
道路は右へなだらかにカーブし、
国道42号線と合流する。
左折し伊勢市街へと向かう。
国道23号線との立体交差が現れるが、ここはまっすぐ二見街道を進む。
横断歩道を渡り、高架をくぐると、また横断歩道が。
再び横断歩道を渡ると、右手には絲印煎餅で有名な播田屋がある。
その先左手には、ふじなみ歯科があり、この辺から変則的なルートを辿る。
ふじなみ歯科の手前を左折し、
10mほど先の丁字路を右折する。ふじなみ歯科の裏手を歩くことになる。
左手の山がガスで霞んでいたのでパチリ。
この裏道を進むと先ほどの二見街道へ出る。浜郷小学校の交差点で横断歩道を渡り、
左折してしばらく二見街道を歩くと、右手に裏道が。
ここで右の道を選択し、とにかくまっすぐ進む。
途中、西川商店があるが、ここもさらにまっすぐ進む。
秋の風景を感じながらさらに進むと、雨足が強まってきた。
突き当たりに社叢が見える。橘神社である。
橘神社の石垣を
右に進むと勢田川へ出る。
左へ向かうと、2本の丸太が専用の屋根の下に保管されている。何に利用する丸太なのだろうか?
反対側からのビュー。
先へ進むと、民家の間に鳥居が見えた。とにかく鳥居の奥へ進むと
常柑子(たちばな)と書かれた案内板がある。名前からすれば橘神社と深い関わりがあると思われるが、・・・真相は不明?
二見街道まで出ると、すぐ脇に橘神社の標石がある。ウィキペディア:御塩殿神社によると、橘神社は御塩が納められた辛櫃を下ろすことができる唯一の場所だったそうだ。
なんとも荒々しいしめ縄だ。
境内は清掃され落ち着いた雰囲気である。
拝殿には、お白石持ちのために準備されたお白石奉所があり、樽の中にはお白石が詰まっていた。
参拝してからしばらくは拝殿で雨宿りさせてもらったが、雨が止む気配を見せなかったため折りたたみ傘(100均で購入した3段の折りたたみ傘、これはコンパクトで安くて重宝する。)を広げ、出発した。
橘神社を出て右手へ進むと浜郷交差点があり、
その先には二軒茶屋餅がある。ここで御塩道から離れ、しばし散策した。
店の前には、二軒茶屋の案内板があり、
さらにその奥には、川の駅「二軒茶屋」と同じ建物の中にかどや民具館がある。
その右手には大きな石碑がある。逆光で見にくかったが碑文を読むと「明治天皇御上陸地記念碑」と書かれている。
さらに川まで出るとこの風景だ。
振り返ると川の駅の建物には2階(屋上)へ登る階段がある。ただ今日は雨で滑りやすくなっていたのでとにかくパスした。
雨宿りがてら川の駅の建物へ入ると、
和船「みずき」の運行表と運賃表などが張られていたのでパチリ。
土曜日1往復のみの運航のようだ。一度体験してみよう。
これで寄り道を終了し、御塩道へ戻ってきた。横断歩道を渡ると麦酒蔵がある。
麦酒蔵の建物にも、「御塩みち」の案内板が。
その先へ進むと、味噌の香りが漂っていた。右手に、
由緒がありそうな建物があり、
壁面に「御塩みち」の案内板が掛けてあった。その辺をじっくり見ていたところ、右手の出入口から女性が出てきた。
「ここは御塩道ですよね・・」と話掛け、ここでは何を造られているのかを聞いたところ、「味噌、醤油とたまり」とのことだった。「撮影してもいいですか?」とお伺いを立てたところ、私は建物の外観のつもりで言ったのだが、その女性は「中も自由に見てください。」と言ってくれた。
流石に「千客万来」。
お言葉に甘えさせていただき、製造所の中を拝見した。
味噌や醤油の製造現場を見るのは初めての経験だった。(感謝)
またまた寄り道してしまったが、もとに戻る。
この先も分かりにくいが突き当たりまでゆくと、参考にした地図のルートからずれるので、この地点右折し、
突き当たりを左折する。
道なりに進むと、
十字路に出るので、右手の水路に沿って右折する。
この道は伊勢工業高校の前の通りだ。
しばらく歩くと伊勢工業高校の校舎が見えてくる。
伊勢工業高校の正門を過ぎると神久の交差点に至る。
横断歩道を渡るとすぐ左手に、楠木商店があるので、その先を左折し細い路地へ入っていく。
しばらくすると、
左側のフェンス越しに 二見街道にある酒徳昆布が見える。
この道をさらに進むと
右へ折れる丁字炉があり、カーブミラーの下に宇治道慈悲地蔵が立っている。このビューでは見えないため、私は地蔵に気づかずに50~60m通り過ぎてから戻ってきた。
ここ、意識して見ないと見落としてしまう。ここを右折しまっすぐ進むと、
左側の旭湯の先に橋が見えてくる。
旭湯のところに釜が見えたので、なぜかパチリ。
これが清浄坊橋。
橋を渡り、
振り返ると橋の名前が漢字で書かれていた。奥には旭湯が見える。
先へ進む。
ここは左のルートをとるが、右折すると河崎の街並みへ。
さらに道なりに進み、
近鉄の高架をくぐり、
ここまで来ると、左手に
車両進入禁止の交通標識が立っている。左折してこの道路を進む(車両では通行できない)と
JRの踏切がある。
踏切を渡り、最初の丁字路を右折する。
右折するとこの風景で、
すぐこの道路へ出るので、ここも右折し道なりに進む。(この辺はルートが複雑だ。)
左へカーブする。
その先には吹上交差点がある。もうすぐだ。
交差点を渡るとその先には次の分岐があるが、ここは左の細い路地へ入る。この路地の先には伊勢市駅前から外宮へ続く神宮街道が待っている。
何も考えずに直進すると、
神宮街道へ合流する。この先に外宮がある。
外宮前の広場では、朝市が開かれていた。
横断歩道を渡り外宮の宮域へ入る。
ただしこれで終わりではない。御塩は御塩殿から御塩道を辿り外宮の斎館まで運ばれた。当時は御塩橋と呼ばれる専用の橋を渡り斎館へ入ったそうだ。
御塩橋の場所が分からなかったので衛士見張所で伺ったところ、すかさず明確に場所を教えてもらえた。「入れませんが、・・・にあります。」と。
御塩橋の場所は、表参道の火除橋と北御門参道の火除橋の中間あたりである。表参道から向かうとタクシー乗り場の少し先左側。
この場所。
前にはトイレがある。
ここを入ると、
左側の広場は職員の駐車場のようで「関係者以外立入りはご遠慮ください」の立札がある。また正面には「立入禁止」の立札がある。
ここだ。これが御塩橋だ。
扉の先には、
さらに扉があり、その先には斎館が見える。
奥の扉の手前には灯篭も確認できた。
やっと、ここまでたどり着けた。
距離にすれば10km足らずでそんなに長くはないが、いかなる天候でも大切な御塩を納めた辛櫃を担いで運んで来た人々は私が気ままに歩いたのとは較べようもないほど大変だったのだろう。今度は来年の3月の御塩焼固に合わせて歩いてみよう。
また、神御衣を運ぶルートも調べてチャレンジしてみたい。
祖父江さん、
125社巡り達成おめでとうございます。
このサイトは私が気ままに自分の記録のために続けているものですが、いつでも見てやってください。
神宮は奥が深いので、熱しやすく冷めやすい性格の私でもなかなか足を洗えそうにありません。どうも永い付き合いになりそうな予感が・・・。
なお、興味深い情報や疑問など何なりと教えてください。
それでは、また
たまに 見ています。会社で!!
この7月 名古屋から転勤で、伊勢に参りました。
自宅にパソコンないのです。
7月に転勤し、125社巡りを決意し、このほど達成いたしました。
何度も、「かたじけなさに、涙こぼるる」ことがありました。
また、拝見させていただきます。