2011年10月29日(土) 伊勢の世古(せこ)巡り (車、徒歩)
今週末は特別に予定が入っていなかったため、テーマを考えていたところ次の散策地図があったことを思いだした。伊勢では路地のことを世古(せこ)と呼ぶ。世古の語源は迫と同義で、「狭い」の「サ、セ」と「処」の「コ」の組み合わせである「狭処(せこ)」が転化したものであろうと言われているそうだ。
ちなみに、この散策絵図は三重県のホームページからPDF形式でダウンロードできる。
【参考】 伊勢志摩空間快適性向上整備計画 伊勢市部会(空間快適“伊勢”)
平成17年度 伊勢市部会の取り組み の最下部に次のリンクがある。
- 山田のまち「世古」散策絵図その1.pdf へのリンク (2.6MB)
- 山田のまち「世古」散策絵図その2.pdf へのリンク (3.6MB)
- 山田のまち「物語」散策絵図その1.pdf へのリンク (2.3MB)
- 山田のまち「物語」散策絵図その2.pdf へのリンク(1.9MB)
今回、『山田のまち「世古」散策絵図』を参考にしようと思ったが、よく見ると『山田のまち「物語」散策絵図』の方が多くの世古が示されている。
名前が分かる世古をとにかく自分の足で歩いて見ようと思い、『山田のまち「物語」散策絵図』を元にルートを設定した。起点を伊勢市立伊勢図書館に設定したので、ゴールは吹上交差点になった。(結局は伊勢図書館まで戻る必要はあるが・・・)
なお、世古は生活空間であり、日常生活の場所なので撮影の際のプライバシー保護には注意を払ったつもりだが見落としている点があるかもしれません。問題点等に気づかれた方はお知らせください。
まずは、次のルート記入済みの地図を携えて、伊勢市立伊勢図書館へ向かった。
駐車場に車を駐めて、スタートだ。
図書館前で道標を確認。今日は垣根が綺麗に刈りこまれている。まず、パチリ。
これらの道標は、伊勢市教育委員会が発行した 「市制80周年記念出版 伊勢市の石造遺物」に掲載されており、画像データの見出しには()内に本書籍内での管理番号を付与した。
図書館の隣にある伊勢市福祉健康センターの前には、「三宝院跡」の石標がある。
伊勢市福祉健康センターの前、道路を挟んだ反対側には坂社があるが後で回るのでここでのパチリはお預け。
伊勢市福祉健康センターを出て、右へ進み次の丁字路で、まずは
右手へ進むと「豊川百間堀」を確認できる。
【坂世古】
先ほどの丁字路へ戻ると実はここは変則の四叉路になっていて、次の画像の写真の右側が「坂世古」だ。
坂世古を過ぎるとその先には「豊川百間堀」が現れる。
これだ。さらにその先には神宮の山田工作場がある。
こちらが山田工作場の門だ。
山田工作場で思い出したが、「いせびとニュース秋号(第4号)」の2頁には第62回式年遷宮に関する次の記事が掲載されていた。
明治以来、社殿の造営は、内宮は宇治工作場、外宮は山田工作場に分かれていたが、今回初めて統合され、山田工作場ですすめられている。
なお、いせびとニュースはインターネットでも読めるので紹介。
【参考】 伊勢人(いせびと)NET
山田工作場の門とは反対側へ進み、次の交差点を右折してしばらく歩くと右手にこの駅名板がある。後ろにベンチがあり、小さなスペースが確保されているので回り込んでみると、
これだ。伊勢電気鉄道・大神宮前駅跡地とある。
つまり、この説明板の前から図書館を通り過ぎるこの道路が「伊勢電気鉄道跡」だ。
この鉄道跡を折り返して図書館の方へ進むと、伊勢の町でよく見かける案内板がある。
さらに戻り、伊勢市福祉健康センターの前にある坂社にお参りし、
隣の等観寺をパチリ。
さらに進むと「うなぎ料理 味吉」が見えるので、右側の道へ進んだ。
とりあえず、片側一車線の車道へ出ると右折して進むと右手に「法住院」がある。ここには芭蕉の句碑等があるので、詳細は別の記録で。
【参考】 法住院
【阿弥陀世古】
法住院を後にして、来た道を途中まで戻り左折すると阿弥陀世古だ。しばらくすると白壁がまぶしかった。今日は晴天だ。
白壁の途中に「?六稲荷大明神」がある。社名額の最初の一文字が薄くなっていて読めなかった。
その先には「梅香寺」がある。梅香寺でも境内にお邪魔したので詳細は別の記録で。
【参考】 梅香寺
梅香寺の駐車場を過ぎると
百五銀行 筋向橋支店の横で終端となる。振り返ってパチリ。右側が百五銀行 筋向橋支店。
百五銀行と反対側の角に 「阿弥陀世古」の石標が建っている。
「阿弥陀世古」の前には各街道の合流点である筋向橋がある。
これが擬宝珠の一つで、嘉永二年に式年造替とある。
【河崎世古】
筋向橋と交差して進むと右手に「河崎世古」(現在は浦之橋商店街の一部)が見える。
こちらが「河崎世古」の石標だ。
筋向橋の交差点では、伊勢本街道(左)と伊勢街道(右)に分岐するが、
今回は清野井庭神社の方面へ向かうために、河崎世古の途中からこの路地を進んだ。
散策絵図によるとこの辺(JTの伊勢営業所)に御師 橋村太夫邸跡があるはずだが、石標等がないため場所は同定できなかった。
清野井庭神社へ向かうため、常磐交差点で県道37号線を渡った。
清野井庭神社で参拝を済ませると
「ナタヤ世古跡」を見つけようと周囲を歩き回ったがその痕跡も見つけることはできなかった。月夜見宮まで炎上したといわれる寛文火災で周囲が消失したのだから名残がないのは当然だろう。
【ナタヤ世古跡】
もし、現存しているとすると次の写真の右手、横方向に延びているはずだった。
宮町交差点まで戻ると、散策地図に伊勢まちかど博物館として紹介されている籘商玉屋へ立ち寄った。
ここだが、店内の照明は消えていて閉まっているようだった。今日は土曜日だからか?
こちらだ。
先へ進むこととし、籘商玉屋の前に架かる歩道橋を渡った。これが歩道橋から度会橋方面を望んだもの、パチリ。
宮町公民館の横にある公園でトイレを借り、公園の様子を見ていたら右手にある赤い鳥居に気づいた。
これだ。この方向には今社があるので、今社への裏から参道のようだ。 疑いもせずに進むと
思い通り今社へ出た。今社で参拝。詳細については別の記録で。
【参考】 清野井庭神社旧地である今社
今社を後にすると再び浦之橋商店街へと戻った。今回のめぐりは同じ場所、近く場所を何度も通るので、青木ヶ原樹海で迷ってしまった気分になった。
浦之橋商店街へ戻り、
さらに進むと、左手、地鶏 あづまの手前で
「国学者 荒木田久老邸跡」の石標を見つけた。
【質屋世古】
さらに進むと、こちらが「質屋世古」だ。道幅はそれなりに広いが距離は非常に短い。参宮街道までの数十mだ。
【橋村世古】
「質屋世古」を歩き、参宮街道へ出るとその先は「橋村世古」だ。
横断歩道を渡り、「橋村世古」へ入ると右手に立派な土塀がある。
家紋が気になったのでパチリ。ご容赦を。
橋村世古は突き当たりで終端となるが、左隣の西世古へ向かうため、右側から回り込みこの路地を進んだ。
突き当たりを左折して道なりに進むとこんなに狭い路地となった。
ここから抜けて右手の広い道路へ出ると、伊勢図書館が見える。ということは、ここは西世古の入口だ。
【西世古】
こちらが西世古の入口。北へ向かって進むと
突き当たりのクランクの右側にこんな路地があった。冒険心をくすぐる雰囲気だ。民家ではなさそうなので先へ進むと
等観寺の屋根の屋根が見えた。
まさしく、等観寺だ。
ここは等観寺への脇道だったのか? 役目が分かったので折り返して西世古へ戻った。
クランクを過ぎて再び北を向いてパチリ。
まっすぐ進むと右側に「ときわ荘」の文字。あまりにもアピールしているので様子を伺うと、
「神力車 伊勢の風」の文字が見えた。
これは伊勢薪能の時に見た人力車だ。ネットで調べると、ときわ荘とは「人力車で日本一周の旅をした夢職しょ~へ~こと山田祥平が伊勢で始めたコミュニティスペース」とある。
【参考】
西世古から参宮街道へ出ると
【松之世古】
参宮街道を渡って、少し右へずれた路地が「松之世古」だ。
「松之世古」を進むと右手上方に「伊勢慶友病院」の文字が見える。
伊勢慶友病院の横を通りすぎるとその先には「松之世古」の石標がある。
ここで振り返って、パチリ。
【長之世古】
伊勢慶友病院の前を進むと、松之世古と反対側には「長之世古」がある。
これが、「長之世古」の石標だ。
「長之世古」を進むと
右にクランクしている。
参宮街道へ出るとその先には、旅館 紅葉軒がある。
南宮町バス停の前を外宮方面へ向かい
次の交差点を左折すると左手に天理教山田市分教会がある。
【上之久保】
天理教山田市分教会の向かい側に路地があり、そこが上之久保。路地を進み突き当たりで左へ向かうとこの風景。
後ろを振り返るとこれだ。
上之久保を進むと伊勢和紙人形館(伊勢まちかど資料館)があるはずだが見つけることができなかった。蔵が建っていたのでここかな?とも思ったが、案内板などもないので伊勢和紙人形館の見学は諦めて先へ進むことにした。
さらに進むと、月夜見宮へ通じる道路へ出た。
この道路を月夜見宮方面へ進むと
右手に「料理旅館 おく文」がある。
「おく文」を過ぎると右手に立体の高柳駐車場が。
「山田のまち「世古」散策絵図」によるとその前あたりに「御屋敷世古」の石標があるはずだが見当たらなかった。すると過去の記憶が蘇ってきた。「いや、この辺にあったはずだ。でも、今は無い・・・?」
実は昨年の夏にも伊勢の世古に注目し、いくつかの世古を回っていたが制覇できていなかったのでブログには未掲載の状態だった。
帰宅後に探したところ、その証拠写真が見つかった。確かに高柳駐車場の前に「御屋敷世古」の石標があった。
【御屋敷世古】
現在では石標の姿は無かったが高柳駐車場の右側の路地である「御屋敷世古」へ進んだ。「御屋敷世古」はアーケードの入口までの非常に短いものだ。
【飛木之世古】
高柳商店街のアーケードをくぐるとその先は「飛木之世古」となる。
こちらも通り抜けると県道37号線。交差点の左の角に
「飛木之世古」の石標がある。
「山田のまち「物語」散策絵図より抜粋、ルート記入済」にある高柳の「福かえる」を確認するために県道を伊勢市駅方面へ進むと右手後方に煙突が見えたのでパチリ。銭湯のものだ。(地図で確認)
さらに進むと尼辻交差点の角に伊勢警察署 曽祢町交番が見える。
尼辻交差点の手前の路地を右折し
高柳のアーケードに向かい、さらに次の路地を右折すると左手に高柳児童公園がある。伊勢の夜店の際にはさまざまな催しが開かれる場所だ。昼の顔は始めてみた。住宅と商店に囲まれた公園だが誰もいない。
こちらが「柳に福かえる」。
ちなみに高柳の由来は文字通り背の高い柳の木にあるそうだ。
時刻は12時前だがここで昼食をとった。いつものおにぎり3個(ぺろり)。
早々に昼食を終えると伊勢の世古巡りに戻った。高柳のY字路へ向かうと「ガンダム?」がいた。ガンダムに向かって左手へ進むと
商店街の入口に福かえるのモニュメントが置かれている。
【竹内世古】
再び、ガンダムまで戻り、「竹内世古」へ向かった。前方に田中病院が見えるが、アーケードを出てから田中病院の前までが「竹内世古」だ。
田中病院の前には
「竹内世古」の石標がある。
振り返って、逆方向から「竹内世古」をパチリ。
【烏帽子世古】
田中病院の前で右折すると高柳駐車場の手前まで戻ってきた。こちらに「烏帽子世古」の石標がある。
左手に土塀を見ながら進むと
突き当たり、クランクの角に御師 丸岡宗大夫邸がある。ここは跡ではなく現存する貴重な御師邸だそうだ。
以前、伊勢郷土史会の丸岡宗太夫邸再生会議講座「伊勢の御師と丸岡宗大夫」にて皇學館大学教授である岡田登さんのお話を聞いたことを思い出した。これが御師邸だ。
瓦の家紋に見覚えがある。そうだ、先日の 鳥羽城跡(第6次)発掘調査現地説明会 で知った九鬼嘉隆の家紋である「左三ツ巴」だ。
【主馬殿世古】
丸岡宗大夫邸の前から烏帽子世古を離れ、左にある路地へ入るとこちらが「主馬殿世古」。
突き当たりは丁字路で、
そこには「主馬殿世古」の石標がある。
「主馬殿世古」を
御師 丸岡宗大夫邸の前まで戻った。
【烏帽子世古】 2
左折して進むとその先には「ひかり薬局」が見える。
こちら側の入口にも「烏帽子世古」の石標がある。
参宮街道の向こう側、右手には常照寺が見える。
参宮街道を外宮方面へ向かうと右手に民家の玄関先に「御師 福島みさき大夫邸跡」の石標が建っている。
また、その対面には小西萬金丹(伊勢まちかど博物館)がある。
建物自体が博物館だ。
店先も開かれているのでパチリ。歴史を感じさせる雰囲気だ。
小西萬金丹を過ぎて、次の十字路で左側が「大世古」だ。
【大世古】
「大世古」の石標に従い、
世古へ進むと
右手に伊勢和紙館 大豊和紙工業がある。ここでは伊勢和紙ギャラリー、伊勢和紙館にも見学したので、詳細は別の記録で。
さらに進むと大豊和紙工業の敷地内に「御師 龍太夫邸跡」の石標が建っている。
さらにその先には松尾芭蕉の句碑が二柱。
さらに進むと伊勢和紙ギャラリーになっている建物の前を通過した。
月夜見宮へ通じる道路へ出ると、その角には「大世古」の石標がある。
「山田三方会合所跡」を確認しようと県道37号線までて
周辺を探し回ったが、石標など 「山田三方会合所跡」の名残を見つけることはできなかった。「山田三方会合所跡」は断念し、先へ進んだ。
ルートから少し離れた「常明寺」をパチリ。
【稲荷世古】
ルートに沿って「稲荷世古」へ向かい
「稲荷世古」で須原大社の掲示が目に入った。
掲示板の右側には須原大社への鳥居が続く。
帰宅後に気づいたのだが、この鳥居をくぐった結果、「稲荷世古」(伊勢ファミリーデーパートの前の路地)を歩くことを完璧に忘れていた。(視覚には入っていたが、写真にも残っていない。)
結局、須原大社に参拝し、表の鳥居から須原大社を後にした。
月夜見宮の前を通る道路を横断すると
その先、厚生小学校の敷地の角には「茶人 杉木普斎邸跡」の石標と説明板がある。
下之久保へ向かうため、厚生小学校の敷地に沿って進むとここで左折となり、
さらに数m先の路地を右折した。この路地を進むと、
右手に先ほど訪れた「大豊和紙工業」の煙突が見える。
【下之久保】
さらに進むと「寺田外科」があり、この辺が「下之久保」だと思われる。
「下之久保」へ曲がるとその突き当たりで
外宮と月夜見宮を結ぶ神路通りに出る。
右手の外宮方面をパチリ。
そして、これから向かう月夜見宮方面をパチリ。
月夜見宮方面へ歩みを進めると左手に「東邸」が建っている。門も蔵も立派なものだ。
ここでもなぜか家紋をパチリ。
神路通りには、至る所にこの木札が掲げられている。手書き感がなかなかよい。
そして神路通りの突き当たりは月夜見宮。今日は参拝せずに済ませた。
月夜見宮の対面には「伊勢と松尾芭蕉の説明板」、さらに
神路通りの歴史(説明板)が建っている。
次の世古へ向かうため月夜見宮の宮域に沿って進むと、
左手にゴミ・ステーションがある。後でこの場所がポイントとなるのでまずはチェック。
格子の扉から宮域を覗くとお堀が見える。火災の類焼を防ぐためのものだろう。先のナタヤ世古跡の例もあったのだから。
【藪之世古】
さらに進むと右手に「藪之世古」が続く。
これが「藪之世古」の石標。
「藪之世古」を過ぎるとその先に「伊勢うどん 山口屋」がある。山口屋の前にも路地があり、そこへ右折すると
【極楽寺世古】
右手に次の路地が見える。こちらが「極楽寺世古」。この世古はコの字形なので突き当たりを左折するともう一度左折することになる。
ここは二回目の左折ポイントだが、右折方向の先には先ほどのゴミ・ステーションが見える。
「極楽寺世古」は反対側につながっているので、振り返ってパチリ。こちらへ進んだ。
「極楽寺世古」を出るまでの途中、右手に小原病院の敷地内に歴史を感じさせる石柱が見えた。壊されずに残されたものだろうが、この正体は?
そして「極楽寺世古」を抜けると
この石標が建っている。特徴的なのは矢印がコの字形になっていること。先ほど歩いた通りだ。
また、この石柱の対面には「国学者 足代弘訓之邸跡」の石標が建っている。
先ほどの山口屋の前まで戻り、右折して「専念寺世古」を探したが、一度通りすぎてしまい折り返してきた。
【専念寺世古】
折り返すと右手の木の根元に「専念寺世古」の石標が建っている。向こう側からだと死角になっていたのだろう。
矢印に従い「専念寺世古」へ入った。
ビルの間を抜けると右手に空間が広がっていた。ここも「専念寺世古」で、米久のトラックの向こう側が「御所世古」のはずだ。
【御所世古】
ところが、「御所世古」の石標へ近づくと「御所世古」のほとんどは駐車場になっているようだった。
とりあえず、これが 「御所世古」の石標。
「御所世古」の経路を特定できないまま、先へ向かった。
歩道まで垂れ下がる柿の枝を避けるように進み
小原病院の前から北御門通りへ抜ける路地へ入った。木炭問屋佐之屋商店の脇を通り、
宮後自治会公報板を過ぎて突き当たると
右手方向に最近開店した「蔵deラーメン」が見えた。蔵が目立ったので近づくと確かに蔵だ。
右手の「3号倉庫」の札が掛けられている蔵の家紋をパチリ。
さらに進むと先ほど通った神路通りへ出た。ここがこうじや(糀屋)。
来た道を戻ると右手には時代を感じさせる建物が続き、
糀屋の売店(店舗)は移転したとの張り紙があった。
さらに進むと、
北御門通りへ出た。この先には「御師世古」があるが、まずは「矢防世古」だ。ここを左折して
畑肛門医院の前の路地へ入った。
【矢防世古】
ここが「矢防世古」だ。
こちらへ抜ける。一軒のお宅の敷地の二面に沿う路地だ。
このあと、散策絵図に記されている「徳川家の御師 春木大夫邸跡」を探したが石標は見つからなかった。路地を歩いているとこの土塀が目についた。この石垣は隣の家にも続いているようで、もしかしたらこの辺が「春木大夫邸跡?」かと想像した。真相は?(特別な根拠は無いので、私の思い込みかも・・)
この周辺でかなり時間を過ごしたが、やっと先ほどの「北御門通り」と刻された石標まで戻ってきた。
ここから少し路地へ入り
【御師世古】
歩くと右手に「御師世古」の石標が現れる。
この先を左だ。ここも道幅はかなり狭い。バイクは通れるが車は無理だ。
世古へ入ると両側には民家のフェンスやブロックが・・・
左手のフェンスの中には土塀が残されている。
その先にはこの塀が続く。
さらに歩くと右方向、北御門通りの石標がある。
石標の矢印の先はこれだ。見覚えがある場所。雪の日を思い出した。
【参考】 伊勢でも初雪が(2011年) 内の画像(20110211-024)
「御師世古」を歩き通し、端部で振り返ってパチリ。
「中世古」方向へ向かうと「う処 喜多や」があり、
【中世古】
その先に「中世古」の石標が見える。
「中世古」へ入ると特に目立つものも無く、日常が続く。
突き当たりで「中世古」を終えると外宮北交差点へ向かうため右折した。
後は自分で引いたルートに従って進み、外宮北交差点を渡った。
【藤六屋世古】
「外宮北交差点」を渡ると「藤六屋世古」の石標が見える。
この世古へ入り往復してきた。
戻ってくる時、この石が非常に気になった。なぜここに残されているのか?理由があるのだろう。「なんだ、なんだ?」
考えても仕方ないので、先ほどの石標まで戻り先を急いだ。
伊勢の市電の案内板の先、
右手にフランス料理 ボンヴィヴァンがある。この建物は逓信省の山田郵便局電話分室として大正12年に建造されたもので、現在は伊勢まちかど博物館になっているそうだが気軽に入れる雰囲気ではない。とりあえず、今日はよらずに済ませた。
ボンヴィヴァンの向かいの空き地へ視線を移すと、壊れかけの土塀が見えた。かなり長い土塀だ。今後どうなるのだろう?
さぁ、本日の伊勢の世古巡りも終盤の追い込みとなった。
外宮参道を伊勢市駅方面へ進み、
山田館(「千と千尋
菊一文字の前で右折すると
この場所で右折となる。この先が「西之世古」だ。
【西之世古】
世古へ入ると
突き当たりにはフェンスがあり、右方向へ巻いてゆくと
ここを進み、
真珠会館の敷地の角に出る。この隅には、
フェンスの中に「出口延佳邸跡」の石碑が建っている。
ここから伊勢市役所方面へ向かうと右手に土塀が見える。
この案内板によると「御師 三日市大夫邸跡」の土塀のようだ。
こんな感じ。
ここでも家紋をパチリ。
【道場之世古】
そして、この土塀の前面にあるのが「道場之世古」。
「道場之世古」を進むと、
右手に「日本基督教団 山田教会」がある。
山田のまち「世古」散策絵図にはこの先に石標があると記されていたの探し回ったが結局のところ見つけられなかった。
【坊之世古】
仕方なく、次へ進んだ。ここが「坊之世古」の入口だ。
前方に見えているが、先まで歩くと伊勢商工会議所と伊勢市役所の境界へ出る。
こちらが「坊之世古」の石標で
振り返ってパチリ。
伊勢商工会議所の角の交差点まで来ると左側が「びっくり世古」で最後の世古となる。ただ、山田のまち「世古」散策絵図には裁判所の付近に「信長・秀吉の御師 上部越中守邸跡」と記されている。これも見逃すことは出来ないと思い、ここを右折した。
城之橋を過ぎ、横断歩道を渡り、裁判所の周辺を歩き回ったが、「信長・秀吉の御師 上部越中守邸跡」も見つけることはできなかった。(残念) ただし、伊勢にも拘置所があることを発見した。
【びっくり世古】
とりあえず、伊勢商工会議所の付近まで戻ってきた。交差点の対角に「びっくり世古」の石標がある。
本日の巡りの最後の世古を踏みしめながら、巡りの終了に近づいていった。
吹上交差点で世古の巡りのゴールとなった。
ここから伊勢図書館まで戻らないといけないので、新道商店街を経由して今社の脇から戻ることにした。
新道商店街の入口には最近移された松尾芭蕉の句碑が建っている。
元々は宇治山田駅の大喜の前にあったものだ。
【参考】 山田奉行所跡ほか、宇治山田駅へ向かう 内の画像 20110122-011
その後は、伊勢図書館を目指して黙々と歩いて来た。伊勢図書館の手前で(伊勢)上座蛭子社に参拝した。
伊勢上座蛭子社は境内で坂社とつながっているので、改めて坂社にお参りした。
今日は坂社に始まり、坂社で終わった感じだ。
【追伸】
今回参考にした散策地図は「山田の」と限定されていたけれど、このブログでは「伊勢の」と幅を広げてしまっていた。たまたま河崎かわら版の最新版を読んでいたら河崎の世古に関する記事が掲載されていので、次回は河崎の世古を調べて回って見よう。ところで宇治にも世古はあるのだろうか?
【 20111029の記録 】
- 伊勢の世古(せこ)巡り
- → 法住院
- → 梅香寺
- → 清野井庭神社旧地である今社
- → 伊勢和紙館、伊勢和紙ギャラリー(大豊和紙工業)
こんにちは。
記事を拝見させていただきました。
すごい量で読み切れていませんが、行ったことのある所の写真がしっかり撮られていて感心しました。
お願いがあるのですが、もしよければで構いません。
現在Ingressというリアルの地図を使用したGoogleのゲームがあり、実際の建築物がゲーム内でポータルという重要拠点して登録することが出来ます。
その際、写真が必要なのですが、このブログ内の写真を使用させていただけないでしょうか?
厚かましいお願いで申し訳ありませんが、宜しくご検討ください。
参考:Ingress
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.nianticproject.ingress&hl=ja
通りすがり さん、ご訪問ありがとうございます。
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では、また、