2012年05月20日(日) 珍布峠(めずらしとうげ)ウォーキング (車、徒歩)
今日は松阪市飯高町にある珍布峠(めずらしとうげ)をめぐるウォーキングコースを歩いた。
伊勢を出発すると約一時間で飯高町にある「道の駅 飯高駅」へ到着した。
【参考】
- 道の駅 飯高駅 (公式ホームページ)
- 珍布(めずらし)峠ウォーキングコース
飯高駅内の事務所で珍布峠ウォーキングコース・マップで次のコースマップを受けとると、現在通行できない場所の説明を受けた。全コースを踏破しようと思っていたが、天候が崩れそうな気配もあるし、通行止めもある。結局は、青線が引かれたコースを歩くことになった。
まず、「道の駅 飯高駅」を出ると、隣に建つ飯高地域振興局の前にあるコース案内板 (1)の前からスタートとなった。
飯高地域振興局の前から国道166号線を横切り、直進するとコース案内板 (2)。
ここを右折すると その先は次のように分かれている。コースマップでは左のルートで
左手すぐには次のコース案内板 (3)が建っている。
花岡神社へお参りしたかったので、右手のコースを進み、花岡神社前で来た道を振り返ってパチリ。こちらのお家も門前町の名残りでしょうか?
この後、花岡神社にお参りした。
【参考】 花岡神社(飯高町宮前)
また、花岡神社の前には次の説明板が立ある。「宮前村元標跡」
30cmの角柱。様々な場所で目にしてきた道路元標だろうか?
【参考】 検索結果: 道路元標 » 神宮巡々
また、神社の前を珍布峠ウォーキングコースから離れる方向へ向かうと
こんな感じだ。さらに先へ進むと「小津安二郎資料館」があるが、空の機嫌が悪くなりそうだったのでこの辺で引き返してウォーキングコースへ戻ることにした。
花岡神社を過ぎてから次の路地を右折してコース案内板 (4)付近へ向かった。振り返ってパチリ。昔ながらの雰囲気が残っている。
また、花岡神社の社叢を望むと本殿の裏手が望める。
そして、こちらがコース案内板 (4)。
ここから珍布峠へ向かう。子の街道は和歌山街道だ。いつかは踏破したい三重県内の旧街道の一つだ。この辺は民家が建て込んでいるが、左手にこの風景が見える場所があった。
さらに進むと、この道標が建っている。
「左 くりたに れいふみち 是より 八十丁」
「紀州ミち よし乃かうや ならはせ」
さらに進むと
家並みが途切れ、
山の中へ道が続く。
左手の茶畑を過ぎると
林道(しっかりと舗装されている)へ入った。
その入口には、 「木戸の一軒家」の説明板がある。
さらに林道を進むと
道路の両側、いや山全体で杉が育てられている。植林による杉山だろう。
その途中で、竹でできた樋に流れる清水をパチリ。音が聞こえるだろうか?
さらに進むと右手に「死人谷」の説明板が現れた。
その先、左手には「道行谷」説明板。
この近くには道行橋が架かり、そのたもとにはコース案内板 (5)がある。
林道をさらに進むと所々の杉には次のような記号が書かれている。
緩やかな坂道を進むと次のY字路が現れる。右には貯水タンクが見えた。そして、直進方向には、
「石灰爺さん」の説明板がある。
Y字路を左手に進むと、これだ。ここは切り通し、峠のようだ。するとここが珍布峠。
期待しつつ進むと、左手の土砂が崩れている。
そしてここが、珍布峠だ。
さらに近づくと、この通り。
この切り通しが抜けるまでどれくらいの労力と時間がかかったのだろう?
切り通しを抜けるとその先には
コース案内板 (6)があり、
その前には「国分け伝説 珍布峠・礫石」の説明板と
「国分け伝説 珍布峠」の木柱、さらにその隣には小さな地蔵が並んでいる。
そしてすぐ近くにはコース案内板 (7)があり、ここは林道と山道に分かれる。右手の林道はコース案内板 (8)へ通じ、左の山道はコース案内板 (10)の礫石(つぶていし)へ通じている。
水分を多く含んだ風が吹いていたので、ショートコースを選択し、左の山道を下った。しばらく下ると前方に川面が見えた。櫛田川だ。
さらに下ると石碑「倭姫命 礫石」が建っている。
この石碑を過ぎて振り返ってパチリ。「左上に石碑、右下に礫石」だ。
さらに下って礫石をパチリ。この付近から礫石へ近づくことはできなさそうだった。川面との落差は数m以上ある。
礫石を下に望む場所には案内板が乱立している。
飯高東中学校による「つぶて石」の説明板、
「礫石 倭姫命の歌碑」の説明板、
さらには、コース案内板 (10)。
ここで礫石をじっくりと観察。
さらに別の角度からもパチリ。
ここで礫石を後にして
櫛田川の左岸にそってコース案内板 (22)を目指した。
道路脇のフェンスが川側へ倒れそうな場所を過ぎると
視界が開け、左手には地蔵尊と常夜燈が建っている。
地蔵尊は「延命地蔵菩薩」のようだ。
また、常夜燈には「兩宮」と刻されている。
この付近がコース案内板 (22)だ。「通行止」の警告がある。
すでに12時を過ぎてお腹も空いてきたので、昼食スポットを探していたところコース案内板 (22)から数十m先茶畑の間から櫛田川へ向かう道があった。
その先には、このコンクリート製の階段が続いていた。迷うこともなく階段を駆け下りた。
昼食の前にまずはパチリ。かなりの急流だ。
ところが、この先、上流は
とても穏やか。この緩急の突然の変化は自然を象徴するようだ。奇妙とも思える風景を眺めながら昼食、恒例のおにぎり3個をほおばった。いつも以上においしかった。(気がした)
昼食をとりつつ、じっくりと櫛田川を眺めてからウォーキングコースへ戻った。茶畑をパチリ、
さらに、茶畑の脇に建てられている防霜スーパーファンと制御装置をパチリ。ゆっく〜りとファンが回っていた。
そして、この先にはコース案内板 (21)がある。ここからコース案内板 (23)方向が通行止めだ。
(後から分かったことだが、崩落の危険があるため6月22日まで復旧工事が実施されるとのこと)
左側がコース案内板 (23)方向、よって直進してコース案内板 (20)へ向かった。
数十m先には、コース案内板 (20)。
ここで右折すると前方には赤池橋(櫛田川)。
赤池橋(櫛田川)へ進むと
こんな感じの橋、欄干が低いためだろうか? 内側にフェンスが張られている。
フェンスから下を覗くと、コンクリートにひび割れが確認できた。ちょっと怖い。
とりあえず上流側をパチリ、パチリ。
さらに、下流側をパチリ、パチリ。
赤池橋を渡り、国道166号線まで進むと左手にはガソリンスタンドが見えた。
この角から赤池橋を振り返ってパチリ。
ここに、コース案内板 (15)。
コース案内板 (15)から コース案内板 (14)水屋神社へ向かった。
その途中、「赤桶」の地名板を確認し、
水屋神社の前まで来ると、何と・・・あれは「赤い桶」、しかも巨大。
これだ。比較対象が適当ではないが、後ろに立っているのが電柱だ。
この後、水屋神社にお参りした。
【参考】 水屋神社
水屋神社でのお参りを終えて、国道166号線を引き返し、 コース案内板 (15)、さらにガソリンスタンドを過ぎるとここだ。
ここは、コース案内板 (16)。「倭姫伝説 姿見の池」の看板もある。
さらにその奥には、木のオブジェが・・・。何に見える?
オブジェを右に見ながら坂道を下ると、コース案内板 (17)。
ここを左折すると突き当たりの左奥、櫛田川の右岸に
姿見の池がある。遠くに見えるのは先ほど渡った赤池橋。
ここでは鏡のように映ったのだろうか?
姿見の池からコース案内板 (17)へ戻り、その先は国道166号線をコース案内板 (29)へ向かった。
途中、パン屋「きりん屋」の前を通過した。写真を撮ろうと思ったが、ドアに「写真が苦手である」旨の張り紙があったため、撮影は断念。
その先、近くのジャーマンアイリス園をパチリ。
さらに歩き「野々口」バスのりばを過ぎると
右手上方に「北畠具教の首塚」案内矢印が見えた。
次の交差点で右折して
坂道を上ると100mほどで馬頭観音にたどり着いた。
格子扉の中をパチリ。
また、この近くにはコース案内板 (28)があり、「北畠具教の首塚まで200m」とある。
ここまで来たら登るしかない。祠を右手に見ながら一気に駆け上がると
前方上方に五輪塔が見えてきた。
さらに近づいてパチリ。
五輪塔の「水」の部分をパチリ、
さらに、「地」の部分もパチリ。
また、五輪塔の裏手には小さな石塔が数基並んでいる。
この近くには、イセ愛山会による「野々口山の山頂プレート」が木の幹に掛けられていた。
北畠具教の首塚から コース案内板 (29)へ戻った。ここは新野々口橋西詰。
あちらに見えるのがこれから渡る野々口橋。
野々口橋へ近づくと、コース案内板 (26)がある。
ここを右折するとその先には野々口橋、
左手には、とても美しい風景、思わずパチリ。
野々口橋へ向かってパチリ、
さらに、新野々口橋もパチリ。
野々口橋を渡りながらもパチリ、・・・
そして、橋を渡りきると東詰には
橋地蔵がある。ここがコース案内板 (25)地点。
近くの工事看板を見ると、通行止めのコース災害復旧工事のものだった。6月22日までの工期だ。
この後は、「道の駅 飯高駅」へ戻った。途中でパチリ。
【20120520 の記録】
- 珍布峠(めずらしとうげ)ウォーキング
- 花岡神社(飯高町宮前)
- 水屋神社