2012年06月10日(日) 佐那神社 (車、徒歩)
丹生にて大師の里彦左衛門のあじさいまつりを見学した帰り路、多気郡多気町仁田に御座す佐那神社へお参りした。佐那神社にはとても興味があり、ぜひお参りしたい神社だった。
その理由は、先日長谷の車田で御田植祭を斎行されたのがこちらの宮司さんだったが、車田への玉苗の植え始めから植え終わりまで粛々と太鼓を叩き続けられる姿を拝見し、感動を覚えた。ぜひともこの宮司さんがお祀りされている神社にお参りしたいと・・。
【参考】 長谷の車田御田植祭(多気町長谷)
旧おきん茶屋の前から国道42号線を北上し、佐奈小学校付近で社叢を確認した。佐那神社の案内板があったので左へ入ると駐車場がありその前に佐那神社が御座す。
「佐那神社」の社標。近くにはJR紀勢本線の佐奈駅があるのでこちらの社名は「佐奈神社」だとばかり思っていた。正しい社名は「佐那神社」だ。
鳥居をくぐり、参道を進むと
広い空間が現れる。その右手には
社務所があり、
左手には手水舎、その先は拝殿へと続く。
ところが、この案内板を見てしまったため、どうしても「御神木 夫婦杉」が気になってしまった。
参道の反対側へさらに進むと所々に木漏れ日が落ちていた。
左手に本殿の裏手には差すような光が落ちていた。パチリ。
参道をさらに進む(反対の入口へ戻る)と斜め左へ分かれる小径との分岐が現れた。
ここで、両側を板垣で囲われた小径へ進むと
その先には御神木である夫婦杉が祀られている。太陽が程よい位置にあり、神々しい雰囲気だった。
こちらでお参りした。
小径を戻り、参道を左へ折れてさらに進むと
反対側の鳥居をくぐった。鳥居の外側からパチリ。熊野街道沿いで、先ほどの入口よりもこちらの方が由緒がありそうだ。
正面の左端には「禁殺生」の石柱が建っている。左面には「享保甲辰」と彫られており、何度か見かけたものだ。お伊勢さん125社の中でも見かけたことがある。
【参考】 検索結果: : 禁殺生 » 神宮巡々
そして、鳥居の左には
「縣社 佐那神社」と刻された社標、
さらに鳥居の右側、遠い位置には榊の木の下に石が祀られている。神宮の内宮や外宮の四至神のような存在なのだろうか?
【参考】 検索結果: : 四至神 » 神宮巡々
鳥居へ戻ると、そのすぐ右側には荒削りの自然石で組まれた常夜燈がある。
鳥居をくぐり直すと、前方には遠くに最初にくぐった鳥居が見えた。
手水舎の付近まで戻ると右手には、「第六回佐那神社式年遷宮御奉賛のお願い」の貼紙が掲示され、
その隣には、御由緒記の石板が建てられている。天照大神が隠れられた天の岩戸の戸を開ける際に活躍された天手力男神を主祭神として、千有余年の歴史がある古社だそうだ。なお、御由緒の詳細はこちら。
手水舎で心身を清めてから参道を進んだ。拝殿へ向かう手前の左側には
次の風景がある。左から天宇受売命(和魂)、天宇受売命(荒魂)が祀られ、
さらにその奥には神名社、
大山祗命が祀られている。
拝殿の正面に建つ参集所の前を通り過ぎ、参集所の右手奥へ進むと
やすらぎの神ほこら祠が祀られ、熊野三社遥拝所が置かれている。
こちらが祠で、立札には「優しくなでて心静かにお祈り下さい」とあったので、その通りに実行した。
隣には熊野三社遥拝所。熊野街道の影響を多分に受けているのだろう。ちなみに 熊野三社、熊野三山(さんざん)とは、熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社の三社だ。
続いて、拝殿へ向かうと拝殿の鳥居前には巨大な御神木、
手力の大桧が聳え立つ。
鳥居には茅の輪が掛けられており、
近くにはくぐり方の説明板があった。
説明通り、8の字を描きながら茅の輪(鳥居)をくぐってから
拝殿へ向かった。お参りしてから拝殿の様子を確認すると
佐那神社の会報であろうか「さなやしろ」と名付けられ四十九号と書かれて印刷物が準備されていた。自由におとり下さい状態だったので私も一部いただいた。そこには、先日の長谷の車田での御田植祭のこと、さらには御遷宮についても紹介されている。
拝殿および扁額をパチリ、パチリ。
佐那神社の御神殿の隣には、祖霊社が祀られている。
拝殿の扁額には「和玉神社」とあり、
生花が生けられていた。
お参りを終えて参道を戻る途中でパチリ。こちらの燈籠を含め、三基の燈籠は神宮より下賜されたものだ。
【 20120610午後の記録 】