2012年11月24日(土) 桜井駅から談山神社へ (徒歩)
紅葉が最盛期を迎える談山神社、実は昨日の新嘗祭に合わせて訪問しようと思っていたが天候不順のため断念した。今日の天気予報は奈良地方も晴れだったので、談山神社の紅葉を期待して早朝に出発した。
近鉄桜井駅へ到着したのが午前8時過ぎ。三脚を手にした男性がカメラを持った私に話しかけて来た。「談山神社へのバスは9時からしかないのですか?」私は・・・? 、何で私にそんなことを聞くのだろうか?と怪訝に思いつつも、「私は歩いていくので、バスのことはわからないです。」と答えた。男性は「そうですか。」と立ち去ったが後から思い返すとタクシーの相乗り相手を探していたのかも知れない。
男性に返答した通り、今日の計画では、全行程徒歩、談山神社まで多武峯街道を歩き、談山神社を巡ってから明日香へ下るつもりだった。
近鉄側から高架を渡り、JR側の桜井駅南口へ出た。そこでパチリ。
予め調べたところ、バスが談山神社へ向かう県道37号線よりも西側に多武峯街道が走り、その途中には談山神社の一の鳥居が建っているそうなのでこのルートをたどることにした。
駅前から線路沿いに東へ進むと右手に中央通商店街がある。ここを直進し、突き当たりを左折すると
次の標識が見えた。「多武峯街道」。あとは道なりに進めば談山神社へ到着する予定だ。
初瀬街道との交差点で横断歩道を渡り、
しばらくすると右手に川の流れ、その先に鮮やかな黄色のイチョウ。思わずパチリ。お見事!
しばらく歩くと川の向こう岸に常夜燈が見えたので近づいてパチリ。「太神宮」と刻されている。
その先には「左 等弥神社」の案内矢印。神社となれば寄り道したいところだが先の長さを考えここはグッと我慢の子であった。目をつぶって直進した。
さらに進むと左手に紅葉が・・・
その先右手には工場。「旭製粉」の名が見えた。この先の交差点を渡り、
直進すると前方に鳥居が見えた。これが、談山神社の一の鳥居だろう。それにしてもここからが参道と考えるとかなりの距離だ。5km以上はあるだろう。
鳥居まで近づくとそこには歴史街道の道標がある。ここは桜井市浅古。
フェンスで囲われた敷地へ入ると右手に談山神社大鳥居の説明板があった。
談山神社 大鳥居
御破裂山(標高618.5m)の山腹に、南面して鎮座する談山神社の、北の入口に位置する大鳥居である。
大鳥居は石製で、高さ約8.5m、長さ約11.5mであるが、隣地の火災の際、西側の石材の端部が落ちてしまった。石材は花崗岩で、御破裂山の山腹から切り出されている。
談山神社の桜井側の入口として反映したことが、付近の街並から想像できる。
桜井市教育委員会 歴史街道
さらに鳥居の左手には別格官幣社談山神社の社標、
さらに左奥には、談山神社多武峯町石の説明板があった。
談山神社多武峯町石
(県指定史跡)
談山神社の一ノ鳥居から、摩尼輪塔までの約5.56(k)mの間に、参道に沿って52基の町石が建てられていた。町石の形式は板碑型で、町石の高さ約150cm、幅33cmである。江戸時代初期承応三年十月十六日に、法眼が施主となって造立した。52基の町石は、因位(まよい)から仏界(さとり)に至る仏教修行をあらわし、十信、十住、十行、十回向までは凡夫、十地は聖者の菩薩行、等覚(仏に等しいさとり)、妙覚(迷を滅尽した仏界)とに分けられている。
桜井市教育委員会 歴史街道
ここから談山神社まで55基の町石が建てられているそうなので、歩きながらそれらを確認することにした。
まず、この場所からスタートだ。
鳥居の右手の道路を進むと、
すぐ近くで発見。
さらにここにも。
しばらく歩き、十字路の角にも発見。
ここから道幅が若干狭くなり、街道の雰囲気が盛り上がってきた。
すると右手にいい雰囲気の建物、しかも玄関には多数の杉玉が吊り下げられていた。造り酒屋だ。
「清酒談山正宗醸造場」の看板があった。
談山神社まで寄り道しないと決めたので、ここはパチリのみ。
【参考】 帰宅後に調べると名前は「西内酒造」
西内酒造の近くにも町石を発見。
この先には聖林寺への道標が建っている。聖林寺は右、近道は左。
聖林寺へのお参りは次回の機会に譲ることにしたが、目には入ってしまった橋まで近づいてパチリ。 寺川に架かる聖林寺橋だ。
聖林寺橋から寺川の上流方向をパチリ。結局寄り道してしまっている・・・
先ほどの分岐まで戻り、バスが通る道路へと急いだ。聖林寺前パス停、その右手には新聖林寺橋が架かっている。
さらに坂道を上り始めると左手に下居神社の社標、石段と鳥居。思わず上りそうになってしまったが、ここはストップ。自分自身を思い止まらせて、談山神社への坂道を・・・
そして、赤鳥居バス停に到着。この辺からさらに坂の傾斜がきつくなっていく。
こんな感じ。
続いて倉橋バス停へ到着。バス停の表示が傾いている。これが坂の傾斜。
この近く、右手の路地へ入る角に「崇峻天皇陵」の道標。
さらに、左手には「天満宮」と刻された常夜燈、
その左隣には譚山大明神。こちらも常夜燈か?
坂道を進むと左手に町石。
坂道はまだまだ、これからが本番だ。
そして、倉橋池口バス停へ到着。
続いて、左手に町石、ここには「直進 談山神社 あと4.5km」とある。
この坂道では一時間以上はかかるだろう。ここで午前9時過ぎ、歩き始めてから約1時間が経過。1時間半くらいで談山神社に到着するだろうと考えていたが・・・。気を取り直して歩き始めた。
右側に寺川の流れを見ながら一歩一歩着実に前進、平地のように軽快には歩けない。
しばらくすると、左手に「直進 談山神社 4km」の看板。あれからまだ500m。坂道は歩みがのろくなる。
しばらくすると、根元近くから折れてしまった町石を発見。
寺川を橋で渡ると前方に紅葉、
さらに、この近くの下居バス停へ到着するとバス停の待合所からパチリ。
坂の傾斜がさらにきつくなる。左手の紅葉で気を紛らせながら・・・・
すると前方に道標らしいものを発見、
こちらだ。
水が入ったペットボトルを手にして歩きながら水分補給していると、バスが追い越して行った。桜井駅を出発した談山神社行きの始発バスだ。
バスよりも早く到着しようと思っていたが、かなりの差をつけられてしまった。後は歩みを確かに談山神社を目指すしかない。この後は黙々と歩き、右手に町石をパチリ。
さらに、二台目の談山神社行きバスにも追い越された。
町石、
お地蔵さん。
さらに、坂道は続く。
こんなところにも町石。
「P ヤマザキショップ 1.4km」の看板を発見。目標を見つけて後20分・・・。
所々の紅葉を楽しむ余裕を持って
さらに歩くと左手に町石。
やっと百市バス停へ到着。下居バス停から百市バス停までは長い。
またまた、町石。
左手には棚田が見える。
川沿いの紅葉を左手に見つつ進むと
右手に町石。
折れている。
さらに進むと立派な紅葉。しばらく立ち止まり休憩。
ここから多武峯バス停までで急な坂は終わるだろうと進むと次の案内板を発見してしまった。「不動滝」だ。
寄り道しないと決めていたが、左へ曲がるこの下り坂に吸い込まれるように私の足が進んでいた。(改めて上らなくてはならないことなど考える余裕もなく・・・)
不動滝については別の記事で
【参考】
「破不動尊および不動延命の滝」の見学を終えると再び上り坂だ。ただ、先ほどの道へは戻らず、「屋形橋」の矢印に従って旧道(?)を進むとこのルートが正解だった。町石を発見、ここが多武峯街道だ。
そしてこの町石の手前に架かっているのが不動橋。
さらに進むと右手にまたも町石。
昔ながらの雰囲気を楽しみながら歩いているとハイカーとすれ違った。
すると程なく、先ほどの道路に合流した。寄り道が正しいルートに導いてくれたのだ。目の前には渋滞状況を示す看板。現在は渋滞していないが、「90」や「60」の文字が見える。単位は分だろう。ほとんどの状況で渋滞なしの歩きが一番だ。
この看板の裏側にも町石。
そして、この近くに多武峯バス停。
この交差点を右折すれば談山神社。もう少しだ。
その前に左手の公衆トイレで休憩。トイレの奥には1.4km前に看板を見たヤマザキショップがあった。
あとは談山神社への数100mだ。寺川を屋形橋で渡る。その前に屋形橋をパチリ、
パチリ。
屋形橋を渡りさらに進もうとすると道路の脇に専用の歩道(散策道?)が設置されていた。
このあたりから振り返ると宇陀方向にトンネルが見え、
さらに歩道を進むと
右手には町石(?)、
町石、
町石。
実は、この道が多武峯街道か?
そんなことを考えていると目の前には「別格官幣社 談山神社」の社標が見え、その奥には東大門。
やっと、談山神社の入口に到着した。
【 2012年11月24日 の記録 】
- 桜井駅から談山神社へ
→ 破不動尊と不動延命の滝 - 紅葉の談山神社
- 談山神社から明日香、橿原神宮前駅へ
→ 飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)