2013年01月27日(日) 山神の獅子舞神事(山田寺)(玉城町山神) (車、徒歩)
午後からは度会郡玉城町山神で執り行われる獅子舞神事を拝観するために山田寺へ向かった。神事の開始時刻を確認するために、昨日は山田寺を訪問した。その詳細は次の記事で。
【参考】 山田禅寺(玉城町山神) 2013年01月26日(土)
お寺で神事とは非常に興味深いと考えながら車を走らせると、開始時刻である午後三時の30分前には到着した。
山田寺(昨日の記事では山田禅寺と表記したが、ここからは山田寺と表記する。その理由は後述)の山門をくぐると
山門の扉には次の張り紙があった。
マツカサ以外は絶対に投げないで下さい
とある。これを裏返えして考えれば
マツカサを投げて下さい
だ。楽しみ、楽しみ・・・。
山門をくぐり抜けると境内にはすでに筵が敷き詰められていた。
本堂へ近づくと、
山神の獅子舞神事(山田寺)の説明書きが用意されていたので、一枚いただいた。
その内容は次の通り (ただし、改行、ふりがなの位置など多少表現は異なる。)
山神の獅子舞神事
場所:山田寺(さんでんじ)
三重県度会郡玉城町山神271
臨済宗 南禅寺派 金剛證寺の末寺 御本尊 阿弥陀如来座像
現在住職 代19世 宮崎 有弘獅子頭 雄、雌 各一首 県文化財
面 赤、黒 各一首
舞 県無形文化財年1回 毎年1月末の日曜日
地域の概要と由来:
山神地区は、度会郡玉城町内にあり、玉城町の中心地、田丸地区から、南へおよそ3キロに、位置している。古くは外城田郷ともいわれ、伊勢神宮とも密接な関係をもっていた。その中で、外城田三郷(ときださんごう)と呼ばれている山神(やまかみ)・積良(つむろ)・矢野(やの)の三地区で、厄除け神事として、弘治(こうじ)元(1555年)年、室町末期より始まったとの伝承がある。行事次第:
舞は、まず本堂にて、和尚の大般若教により法力をうけ、雌の獅子が笛・太鼓の拍子で本堂前で舞う。これを内舞(なかまわ)しという。
続いて境内に、赤、黒の面をつけた魔物役の天狗が登場、両者揃って境内に出て舞をするが、民衆は、天狗めがけて松傘を投げつける。このしぐさは、悪霊を追い払い、無病息災・家内安全・五穀豊穣を祈願する動作で、特に珍しい。
その後、雌、雄の獅子が宰領(さいりょう)の介添役と伴に境内に登場し、民衆の前で舞をする。これを外舞(そとまわ)しという。
法力を授かった獅子により魔物役の天狗は、退散するストーリーになっている。舞の間では、時折、おとなしくなった天狗は獅子頭の四手(しで)をもぎり取り、懐に忍ばせて、賽銭を貰い受けた見物人にそっと与える。この四手(しで)をもらうと、福が来るとも言われている。又、この神事の実行者は、獅子組衆が中心となり、当地区の支援を得て行われている。
神事中は、一切生ものは口にせず、精進料理となっています。
この資料によると、お寺の名前は、漢字で『山田寺』、そして読みが『さんでんじ』 とある。昨日の記事では「山田禅寺」と表記していたが、この記事からは『山田寺』を使用することにした。
そして眼前には、獅子舞神事で舞われる御頭二首とその前には魔物役である天狗の赤面と黒面の各一首。さらに赤面、黒面の隣には見物人の頭を打つ扇子と天狗が頭に付ける頭襟(ときん)が置かれていた。
左側が雌獅子で口の中心にひび割れのような筋がある。
そして右側が雄獅子だ。
一旦本堂から離れ境内を散策。筵の周囲には数ヶ所に松傘が準備されていた。
松傘の色にはかなりばらつきがある。
最近は松傘も集まらないので獅子舞が終わると回収し水漬けで保管し翌年にも利用するそうだ。
昨日の記事にて紹介した石段を上る前にパチリ。
石段の上から本堂を望むと縁には笛吹童子が着座し、撮影会が繰り広げられていた。
しばらく石段の上など境内を散策してから本堂に対面する筵の下に場所を移した。午後2時45分になると鐘楼にて吊鐘が撞かれた。吊鐘は何度も撞かれ・・・、
笛吹童子は本堂の縁に並んで・・・(遠くからで、しかも子供たちの前には多数のカメラマンが立っていたのでその様子は???) とにかく大人の男性による笛の音は聞こえた。
定刻になると住職と笛吹童子等は本堂前に着座した。
大般若教が住職により力強く唱えられた。(私も般若心経は書けるし、唱えられるので、合わせられるところは「・・がんじーざいぼーさー・・・」と唱和した。)
本堂では読経が続けられる中、お経を唱和しながらも境内の男の子に注目していた。
彼は何かに一生懸命。よく見ていると本堂から境内の筵へと敷かれたゴザの上に散らばった小石を取り除いていたのだった。
誰かに指示されたのか? それとも自分自身の判断で? それにしても真剣な表情だ。この行動は子供じゃないみたいだ。しかし、そんな彼も取り除いた小石を私の方へ放り投げたりと無邪気な一面を見せてくれた。やっぱり子供だ、ホッとひと安心。
本堂にて大般若教の読経が終了すると、大般若教の法力により悪魔を退散させる力を得た雌の獅子が笛・太鼓の拍子に合わせて仏前で舞い始めた。先の説明にあるように内舞(なかまわ)しだ。
内舞(なかまわ)しが終了すると、控えの間から黒面を着けた悪魔役の天狗(以下、黒面)が登場した。
黒面は酒酔いの風体で大般若教を授けられた宰領(さいりょう)に抱えられている。
筵まで辿り着くと、
黒面は舞い始めた。
そしてその黒面には四方八方の見物人から松傘が飛んで来た。黒面は避けるでもなく・・・。
突然、黒面は駆け出し
手に持った扇子で見物人の頭を打ち始めた。赤ちゃんには優しいが、老若男女には構わず「ビシビシ」と決まっていった。
私も一撃をいただいた。これで一年間、無病息災だ。
見物人の頭を叩き回った黒面が一旦引き上げると
筵の上に散らばった松傘は回収され、
見物人の元へと戻された。
すると再び黒面が登場。
今度はすかさず見物人に近づき、
その中へ割って入った。
さらには、石段を駆け上がり、その先の見物人のところまで・・・。かなり気合いが入っていた。
黒面が戻ってくると赤面も登場し、
しばらく、ふたりで舞っていたが
その舞を終えるとそれぞれが見物人の頭を打ち始めた。
あれれ、黒面がいない。どこへ行った。見物人も
宰領や赤面までもがその姿を目で追っていた。
やっと黒面が戻ってくると雄獅子が現れた。
雄獅子を前にして
黒面と赤面は舞い始めた。
雄獅子も宰領に助けられながら舞った、舞った。
舞を終えた雄獅子が寝そべって
休憩となった。
この間、黒面と赤面は横になった獅子頭から
四手(しで)をもぎり取り
見学者に配り始めた。ただし、賽銭と交換だ。
獅子頭には扇子で風が送られ、時には上下に開いた口の中にも送り込まれた。
多くの四手(しで)が配られると、ポケットに放り込まれた賽銭の数が増え、黒面・赤面が動く度に「チャリーン、チャリーン・・・」と音が鳴った。
そして、しばらくすると雄獅子に加え、
雌獅子も境内へと現れた。次の写真の左が雄獅子、右が雌獅子。
雌雄の獅子による獅子舞が始まると黒面、赤面も舞い始めた。
獅子舞が一段落すると、獅子二首は横たわった。
左が雌獅子、右が雄獅子。徐々に
鼻頭をすりつけるように近づき・・・。
ここでも扇子で風を送られた。
改めて、獅子頭の四手(しで)が見学者に配られた。
私は石段を登り、俯瞰することにした。
こんな感じ。見物者はかなりの数だ。
小耳に挟んだところ「今年は中日新聞に広告を入れた。」と・・・。(私は確認していないので事実か否かは不明、あくまでも小耳に挟んだ。)
筵の上では獅子舞が続いた。最後の舞いは獅子が悪魔を平らげるという設定のようで、
黒面と赤面は表舞台からは去り、本堂の縁へと移動していた。
笛吹童子とともに撮影会状態だった。
獅子が悪魔を平らげ、
平らげられた悪魔はこちらに・・・。
獅子舞が終了すると最後は子供、いや赤ちゃんや幼児への『噛み』となった。獅子頭のまわりには赤ちゃんや幼児を抱いた若いお母さん達が集まってきた。
『噛み』
『噛み』『噛み』『噛み』『噛み』『噛み』『噛み』・・・
以上で、山田寺での「山神の獅子舞神事」は終了となった。見物人にとっては。
実はこの後、松傘を回収し、筵やゴザを丸め、砂利の上に散らばった四手(しで)を拾い集めお片づけが・・・。
境内がすっかり元の姿に戻った頃、私も山田寺を後にした。
何とも独特な演出の獅子舞だ。
また、来年も拝観したいと思わせる見学者参加型の楽しい神事だ。