2013年02月23日(土) 栄通神社例祭 奉納 通り能(伊勢市通町) (徒歩)
栄通神社(伊勢市通町)に奉納される通り能を拝観するため、伊勢三座に思いを馳せながら栄通神社へ向かうにて栄通神社へ向かった。
国道23号線から栄通神社へ下る階段の所で太鼓の音が聞こえた。祭典が開始予定の10時にはまだ20分以上もあった。
栄通神社のすぐ傍までやってくると太鼓の音も気になったが、この案内板も気になった。
以前、地元の彫刻師の方が修理している場面に出会ったことがあったから。文字も黒く塗られて完成したようだった。
また、その隣にある「月待供養」の説明板も修理中だった。
修理は完了したようだ。
【参考】 「通町の能」の説明板、「月待供養」の説明板の修理について
また、さらにその隣には「村」の文字が埋められた「村社濱郷神社」の社標が建っている。
ここは栄通神社、でも浜郷神社。この複雑な社名のいきさつについては次の記事をご参考に、
【参考】
栄通神社を目の前にしながらも確認しておきたいことを優先した。(後で思えば、これらの確認は栄通神社例祭 奉納 通り能の拝観を終えてからでも全く問題がなかったのに・・・、何でも先走ってしまう私の性格か、こればかりは治らないかも。)
やっと、栄通神社の鳥居へと・・・。いや、もう目の前には
木鑓衆が立ち並び、彼らが見守る中、
その前で子供たちが太鼓を演奏していた。
子供たちの太鼓演奏が終了すると、『木遣連 とほり』により木鑓りが披露された。
木遣衆のお子さんだろうか? 懸命にパチリ、パチリ。かわいいカメラマンだ。いやカメラガールズか! どんな写真が撮れたのだろう。おじさんにも見せて!
順番に木遣り唄を披露し、列の前後が入れ替わると
最後に「エンヤー」で締められた。
栄通神社の例祭に先駆けた行事が終了すると舞台は神前へと移された。
鳥居をくぐる前のテーブルにこれらの資料が置かれていたのでいただいた。
こちらは、本日の能組。
そして、こちらは「『能』をみる。」というタイトルで、伊勢三座の一つである「勝田流」の説明、さらには翁を舞う家元が深夜に密かに執り行う禊の説明、最後に能、狂言についての用語解説等が記されている。
なお、その傍には見たことがあるカードが置かれていた。これは赤福の箱に同封されるカードで
二月二十二日となっている。
いただいた資料に目を通していると、拝殿の下には参列者が集合し、
社務所から宮司が出てこられた。あれ、あの方は、「田丸神社の宮司さんだ!」。
【参考】 最近お目にかかった田丸神社の宮司さん
宮司の挨拶により例祭の斎行が開始された。
宮司により祓詞が白された後、
まずは、本殿に準備された御饌が祓われた。
続いて玉串、
演者、・・・・
そして最後は拝観者も(私も)お祓いいただいた。
大麻でのお祓いが終わると、続いてお祓いと同じ順で御塩により清められた。
修祓の後、開扉。
その後、献饌、祝詞奏上と続いた。
そして私が最も期待していた通り能の奉納となったが、どうも様子???
赤い毛氈のみが敷かれ、謡が始められた。
謡を聞いているとその中の「萬歳楽、萬歳楽、萬歳楽」のフレーズが印象的だった。それは先週、大台町の川添神社で行われた五身懸祭(ごみかけまつり)で耳にたこが出きるほど聞いた言葉だったからだろう。
【参考】
そして、舞いはなく、謡が終了した。
私の「『翁』はどうしたのだろう?」の疑問など関係なしに祭典は続いた。
玉串奉奠。宮司に続き、
次々と玉串が捧げられた。
玉串奉奠を終えると撤饌、
閉扉により
祭典は終了となった。
祭典が終了すると拝観者にも授与品が配られた。ありがたくいただいた。(感謝)
そして、速やかに祭場は片付けられていった。
私は翁の舞いがなぜ舞われなかったのか? 質問することも忘れて栄通神社を後にした。
その後、通町公民館へ向かい
入口に置かれた看板を確認した。
この後、公民館での舞台は午後1時半から開始とのこと。一色町や神社港を散策しながら帰路についた。
帰宅後再び歩いて通町公民館を目指そうと思ったが、雲行きが怪しくなり、風も強くなり寒さも増したため午後の部の拝観は今回は断念した。来年は栄通神社から通町公民館まで通しで拝観しよう。一年越しのロケハンとなった。
今回、授与していただいたものはこちら。
この落雁は神紋だ。見事につくられている。口にするのが忍びないほどだ。
最後になったが、「何故『翁』が神前で奉納されなかったのか」は不明だ。
過去の奉納の様子は、伊勢志摩きらり千選+のサイトで確認できた。
【参考】
また、伊勢市市 民俗編 P.313には次の記述がある。
(2)通り能と神事(中略) 通町の氏神は江戸時代に八王子社・天王社と称したが、 現在は後の呼称である栄通神社という。しかし、明治四 十一年(一九〇八)の神社合祀では浜郷神社と改称され たにも係わらず、その以前の呼び方の栄通神社で通って いる。ここの能は正月二十五日に行われた氏神の神事に 奉納されてきたのである。今では一か月遅れの二月二十 五日に近い日曜日である。 神社の境内へ昭和三十八年頃まで組立式の能舞台を設 営していた。その後、舞台は破損が著しくなったため鏡 板だけを残し、公民館の二階を会場にして行うようにな り、今に至っている。平成七年は次のように進められた。 午前一〇時から栄通神社の神事で「翁式」が行われる。 それは露天の社前へ敷いた敷物上で、一人翁を奉納する ものである。本殿向かって正面の後列に地謡が座す。ま ず面箱持が神職から面箱を受け取り、社前へ大夫ととも に進み出て拝礼の後、右横に控えた大夫は「とうとうた らり……」の一節を坐して謡ってから翁面を着用する。 右足を立てて坐し「あげまきや……」を謡い出すと正面 で一舞する。そして神前へ進み出て拝礼しながら願文を 述べ、四隅を回ってから正面の右と左で、それぞれ足踏 みを左右左と三回する。最後は「万歳楽」の謡で正面に 戻ってから、横で仮面を外し、再び正面で面箱持ととも に拝礼すると翁舞は終わる。所用時間は一〇分余りであ る。そして参列者が玉串を捧げると神事は終わる。 (伊勢市市 民俗編 P.313 より引用)
【 20130223 の記録 】
- 伊勢三座に思いを馳せながら栄通神社へ向かう
- 栄通神社例祭 奉納 通り能(伊勢市通町)
- 中堤から一色町への散策(伊勢市通町、一色町)
- 老人クラブ、中学生共同の堤防壁画制作(伊勢市神社港)
シテ・翁を務められる家元が入院されまして、代役の方にも不幸があり、
今年の神前での翁は謡のみの奉納となってしまいました。
来年こそは恙無く奉納できればと思います。
「栄通神社お参り、ありがとうございました」さま
お知らせいただきありがとうございます。
なによりも家元様のご快復を祈念いたします。
来年はぜひとも神前での翁式の奉納を拝観させていただきたいと思います。
家元様にもよろしくお伝えください。
では、また、