2013年03月06日(水) 御塩焼固(2013年03月) (車、徒歩)
昨日、Twitterにて御塩焼固に関する情報をいただいたので、早速神宮のホームページを確認したところ、最新情報に
御塩焼固(みしおやきかため)のお知らせ
3月4日(月)~8日(金)
伊勢市二見町 御塩殿(みしおどの) ・・・
が掲載されていた。
御塩殿にて焼き固められる堅塩は神宮での祭典において御饌として供されるとともに修祓での清めに用いられる。御塩は御塩焼固作業により実際に利用される状態になるが、元々は五十鈴川を流れる塩水がその源になっている。
五十鈴川の流れから御塩が奉製されるまでの概略を示すと次の通り。
【採鹹作業】
まず初めは夏の暑い時期(7月の中旬から下旬に)、五十鈴川の下流河畔に設けられた御塩浜(入浜式塩田)にて天日を利用て鹹水(塩分濃度が濃い水)が集められる。御塩浜で集められた鹹水は御塩殿の裏手にある御塩汲入所へ運ばれる。
【荒塩の焚き上げ作業】
7月の終わりになると、御塩汲入所に運び込まれた鹹水が御塩汲入所の隣に建つ御塩焼所の大鍋で焚き上げられて水分が飛ばされる。それでも焚き上がった荒塩にはにがり成分や水分が含まれているため麦藁と稲藁で編まれた俵に詰められる。これらの俵は御塩殿の脇に建つ御塩倉で保管される間に苦汁が落とされる。
【御塩焼固】
そして荒塩を三角錐の土器に詰めて焼き上げる最終工程が御塩焼固。御塩焼固は10月と3月の年二回、各時期で5日ずつ、一日20個の堅塩が焼き上げられる。つまり、年間で20個/日×10日間=200個が焼き固められる。
ちなみに10月初旬の御塩焼固に際しては御塩殿祭が斎行され御塩の奉製が滞りなく終えられること、さらには塩業の安定、発展が祈念される。10月初旬とは、年(稲)を中心にして一年間で1500余りの祭典が斎行される神宮においてもっとも重要な神嘗祭が斎行される直前だ。神嘗祭では新穀とともに、新たに焼き固められた御塩がお供えされる。さらに御塩は修祓にて清めに使用される。
そして、3月には年に2度目の御塩焼固作業が執り行われる。それが今回の奉製だ。
また、御塩焼固では5日間で100個の堅塩が奉製されるが、御塩は2回に分けて御塩殿から外宮まで護送される。最初は開始から4日目に前半の3日間で焼き固めた堅塩が、さらに6日目に後半の2日間で奉製された堅塩が御塩殿から外宮へ護送される。なお、御塩の護送に利用されるルートは御塩道と呼ばれ、なるべく穢れに触れない経路が設定されている。昔は徒歩で、現在は軽トラックでの護送となっている。
【参考】
今日は3日目なので護送を拝観することはできないが、とにかく御塩殿を訪れたい気持ちが高まり出勤前に二見へ向かった。
御塩殿神社へ到着した頃は、中学生の通学時間帯だった。
まずは、御塩殿の前の鳥居をくぐり、
御塩殿神社にお参りした。
御塩殿の御扉は開かれていたが、御塩焼固の作業は始まっていなかったので斎舎の前を通り
御塩焼所、御塩汲入所へと向かった。(左が御塩焼所、御塩汲入所、右は裏門へ)
左手へ進み、御塩焼所、御塩汲入所を確認。とくに変化はなさそうだ。4日前にもこの場所を訪れた。
普段は閉ざされている御塩殿神社の裏門が開いていたので、二見浦へ。
飛び立ったカモメをパチリ。
海に向かって左側、
そして右側。つぎの写真の左端には二見興玉神社の夫婦岩が小さく見えている。
そろそろ出勤の時刻も迫って来たので御塩殿へ戻ると、参道の先、鳥居の外側に人影が・・・。あの方は、御塩焼固を奉仕されている喜多井さんだった。
喜多井さんは日課とされている境内および周辺の清掃作業中だった。ということは焼き固め作業はしばらく始まらない・・・。
そろそろこの場を離れなくてはならないため、とにかく御塩殿を確認することにした。
御塩殿の竈の上には三角錐の土器が並べられていた。
この後、清掃作業中の喜多井さんに挨拶してから、御塩殿神社を後にした。