2011年03月19日(土) 近鉄 お伊勢参り 第二回 その4/10 市座神社から大和神社へ (電車、徒歩)
市座神社 を出発すると右手の民家の敷地には、その角に常夜燈が残され、神棚も置かれている。
その先には提灯をぶら下げるであろうゲートがある。
ゲートをくぐりさらに先へ進んだ。
細い道なのにハイカーは車道に広がって歩いていた。そのため後ろから来る車にクラクションを鳴らされる光景に何度も出会った。特にグループで参加しているとおしゃべりに夢中になり、横に広がってしまうのか? この場所で生活する人のことを考えたらこんな行動は出来ないだろうに・・・
できるだけ集団から離れて歩いているとお寺らしき建物が左手に現れた。
その先、右側の路地には多数のお地蔵さんが並んだ小屋があった。
さらに進むと信号機が見えてきた。ここでも不思議な体験をした。いままでゆっくり歩いていたおばさん達だが、信号で足止めされるとなぜか先を急ぎたくなるようで、赤信号になっても渡り続けていた。あんなにゆっくり歩いていたのだから、信号で数分待ってもまったく問題なさそうなものだが・・・(?)
渡る人数が多く、信号が青になる時間が短かったため、3回目の青信号で道路を渡った。
前方左手の菜の花が目を引いた。
その先の小川にかかる橋の端にはお地蔵さんが並んでいるが、ここでは撮影会が始まっていた。他にも何人かが夢中で撮影していた。狭い道路で後ろを車が通り、危険だ。
車に注意しながら、周囲に迷惑をかけないように歩いていると右手にこののどかな光景が。何となくほっとした。いままでの嫌な気分が少し晴れてきた。
左手には工場の一角にパレットが山積みされていて、その先には山の辺の道の先の山並が見えた。
さらに進むと右手遠方に「三味田」と書かれた踏切が見えた。
この踏切へ向かう道との交差点で踏切と反対側を見てパチリ。
さらに畑の間を進むと
右手に池があり、
その先には、八坂権現が見えてきた。
ここが八坂権現だ。
社殿は大きくないが、扉など彫り物が多用されている。
八坂権現の先、左カーブする角には芭蕉句碑がある。
その広場には藤の棚もあるが、3月なので藤にはお目にかかれなかった。
なお、芭蕉の句碑には「草臥(くたび)れて 宿かる比(ころ)や 藤の花 はせを」と彫られているそうだ。
句碑を後にして先へ進むと、
この場所に注意が必要だ。石碑が立っている敷地の角を右に曲がり、
先へ進み。ここの路地も左側に民家が建ち並んでいるが、道は細い。
信号機がない交差点で左を見るとこの光景だ。
信号機がない交差点を直進し、さらに民家の間を進むと、
左手にこの掲示板を見つけた。四月一日には大和(おおやまと)神社でちゃんちゃん祭が開催される。さらにその左側には「平成二十三年 大和神社 作物卜占表」とある。これは何だろう。「卜占」は占いだから、作物の出来高の吉凶を占った結果と言うことなのだろうか?
疑問を残しながら、先へ進むとさらに細い路地へ。
塀の瓦で頭を擦りそうになった。
この路地を抜けると、一気に視界が開けた。
前方右寄りには社叢らしき杜が見える。
左手には学校の校舎らしき建物が。
さらに進むと丁字路に出るので右折し、先ほどの社叢を目指した。
20~30m先の右側にこの道標がある。奈良方面から北ので右がならだ。その反対側には、
この道標がある。大和神社への入口だ。
案内に従い、先へ進んだ。
神社が見えたが小ぶりだ。どう考えても大和神社ではないと思いつつ近づくと
兵庫町牛頭 素盞鳴神社と書かれていた。
ここにも参拝することにしたが、手水石はこの状態だったので、ここでも形だけで心身を清めて
参拝した。
これがしめ縄だ。右から左へ。
先ほどの社名板の裏側には、神事の日程がかかれているが、風鎭祭はあまり目にしない?
素盞鳴神社を出て、先へ進むと左右に池がある。この写真は右側の池だ。
前方には正真正銘の大和(おおやまと)神社の社叢が見える。
ここで振り返ると、先ほどの素盞鳴神社の社叢はこれだ。
【近鉄 お伊勢参りハイキング 第二回 天理の町並みから黒塚古墳へ 20110319の記録】