2011年03月27日(日) 太江寺 (車、徒歩)
音無山(二見)散策 にて太江寺を往復した際、太江寺を散策した。音無山から山道を下って来たので、まずは階段を下り、山門を出てこの場所までやってきた。
ここから太江寺の散策を開始した。
石柱には「南勢 准四国 第八十三番札所」と刻されている。
左手にはこの風景が。この場所でもかなり高度がある。
まずは山門へ向かった。
山門をくぐると
その先には、
右手に六地蔵。
山門を振り返るとその左手には、
石段があり、その先には藤棚が見える。そういえば太江寺はユースホステルも運営しているはずなので、あの建物が宿泊施設だろうか?(今日は確認していない。)
庚申堂に参り、
その右手には、この石段が続き、
石段の上には御堂がある。
御堂の左隣には「興玉社」の立札があり、
興玉社
当社は二見興玉神社の元社に当たります。太江寺史によれば、奈良時代に二見夫婦岩に来参した行基菩薩が、興玉神石より上りになる観音菩薩と竜神を感得し太江寺を建立しますが、その折、地主神社にあった興玉神を太江寺の鎮守神として祀ったのが始まりとされています。興玉神は伊勢神宮よりも古く今日まで祀られている神でも最も古い神の一つとされております。二見興玉神社と共に元社である興玉神にもお参り下さい。現在興玉社には『御神鏡』『御神石』また二見蛙の御神体『蛙石』が祀られています。
太江寺
と書かれている。
境内には薬師如来、
行基菩薩像。
守り石がある。
さらに、境内から石段を上がると左手に、伏見稲荷社がある。
立札には、
伏見稲荷社
伏見稲荷の総本社は、京都府伏見区の伏見稲荷大社ですが、弘法大師が東寺の同地であった稲荷神を鎮守神として祀った縁起から、真言宗各寺に祀られるようになりました。真言宗では稲荷神を本地垂迹から、狐にまたがる荼吉尼天を本地尊として勧請します。
本社の御神体も荼吉尼天(秘仏)が勧請されています。
太江寺
平成十四年 稲荷社寄進・西村盛氏
と書かれている。
この後、音無山へと戻った。
【20110327の記録】
- 音無山(二見)散策
- 太江寺