2011年04月24日(日) 朝熊山トレッキング (車、徒歩)
今週末は天気が崩れると予報が出ていたため家でジッとしていようと決めていたが、天候の変化が一日前倒しとなり本日は雨が上がった。そうなると外出虫が疼き始めた。
【キタヰの妻】を伊勢市駅まで車で送っていったので、その流れで朝熊山トレッキングに出かけた。
本日の目的は、三重テレビの番組「ええじゃないか」で紹介されていた萬金飴を金剛證寺の売店で購入すること。
まぁ、それを口実に散策に出た。
【キタヰの妻】を伊勢市駅に降ろした後、朝熊山の朝熊岳道の登り口にある駐車場(であいの広場)へ向かった。神宮神田の前を通り、朝熊町の相生神社がある交差点を右折して近鉄の線路をくぐってパチリ。であいの広場まで900m。
さらに進むとY字路に出る。あと300m。ここを右折すると、その先左側に駐車場がある。
時刻は8時前、駐車している車は数台。車は自由に駐められた。
いつもは山頂を目指すことが優先され、駐車場の周辺をじっくりと散策したことがなかった。今日は名残惜しそうな桜の花を見ていたら、朝熊岳道の登り口から20~30m下ったところに祠が見つけた。その祠から朝熊岳道方面を眺めて、パチリ。
その後、祠にお参りしてからいつものように朝熊岳道を登り始めた。
朝陽は森の中へ横方向から差し込み、木々の長い影が作られていた。
とにかく、まずは朝熊ヶ岳山頂を目指して黙々と登りながら、時々パチリ、パチリ・・・
朝熊登山鉄道ケーブルカー跡案内板付近まで来ると橋の上には落ち葉だらけだった。そういえば、先日ラジオを言ってたことを思い出した。「この時期も落ち葉のシーズンです。常緑樹は新芽が出る時、葉っぱが入れ替わるために落葉する。」と。
今日は曇っているため微かに伊勢湾が見えた。
途中では伊勢市街も望めた。
さらに登ると、
もう少しで、二十二町だ。
今日は今まで以上に周囲に気を配っていたら、二十二町手前のこの石垣にも気づいた。かなりの石の量だ。
やっと、二十二町。
伊勢湾を望みながら、水分を補給後速やかに出発した。
今日は山腹を巻きながら朝熊ヶ岳山頂へ向かった。
伊勢テレビジョン中継放送所が見えてきた。デキタルのアンテナとアナログのアンテナがあるそうだが、どちらがどっちかは? これはデジタル?
やっと山頂に到着。
ここが朝熊ヶ岳山頂だ。
この前には、金剛證寺八大龍王社が御座す。
鳥居をくぐり、社殿へと向かったが、引き戸には鍵がかかっていた。
ガラス窓から中を覗くとまさしく神社だ。思わずパチリ。
八大龍王社に参拝してから、鳥羽周辺を一望してから金剛證寺を目指した。
八大龍王社の左横を奥へ進むと山道が続いているため、そこを下るとこの場所にでる。
この先には次の分岐だ。いつもは金剛證寺から左手のルートをこちらへ登ってくるが、今日は逆行だ。ところが
経塚群跡の標識を確認した。数年前の冬には毎週のように登っていた朝熊山だが、いまだかつて経塚群跡に行ったことがなかった。せっかくの機会だからと右のルートをとった。
途中、左手方向には木々の間からスカイラインのレストハウスも見えた。
右側からの合流を過ぎると
数m先にこの標識がある。左へ50m。
無線基地(建物の壁面にJARLの文字があった)の横を通りすぎると、
そこには、朝熊山経塚群があった。
【参考】 詳細は、 朝熊山経塚群
経塚群の標石がある側から下ると、この場所へ出た。
振り返るとこの道標がある。
矢印に従い、400m先の金剛證寺へと向かった。
【参考】 金剛證寺の詳細については、 金剛證寺
(萬金飴についても)
金剛證寺の仁王門から石段を下り、右手にある旧参道を下り、ここまでやって来た。
右手の標識には「朝熊登山道 内宮登山道」とある。とにかくこのルートを進んだ。
建物の名残りがある敷地を左手に見ながら、林道へと入って行った。
林道の途中に大きな石が集まっている(集められた?)場所がある。
その周辺には割れた瓦が散乱し、
その前にはお地蔵さんが立ち並んである。この辺には人が住んでいたのだろうか?
さらに進むと「龍池社 祭神 八台龍王」と刻された石柱がある。
ここからは、二十二町まで下り、トレッキングシューズの紐を締め直してから一気に四町まで駆け下りた。
四町では初めての気づきがあった。これも今までと違う山行となった。
【参考】 朝熊山神社
朝熊山神社に参拝を終えると、であいの広場まで早足で戻った。11時頃だった。
このあとも、帰路で寄り道2箇所。
【朝熊山トレッキング 20110424の記録】