2011年05月03日(火) 御田植祭(高羽江社) (徒歩)
高羽江社の御田植祭を拝観するため、1時間ほど前に下見した後周辺を散策していたら既に13時前になっていた。
【参考】 高羽江社および斎田
急いで豊浜東小学校の校庭を横切らせてもらって、何とか開始には間に合ったようだ。
まずは、小学校の校庭からパチリ。
辛櫃が離れた場所に置かれていたので、辛櫃のところからパチリ。
祭員が勢揃いし、記念写真が撮られていたので私も便乗してパチリ、パチリ。
記念写真が終了すると、祭員は手水で心身を清め、
辛櫃の位置へ集まってきた。
全員が手水を済ませると
斎田への参進が始まった。
早乙女が楽しそうな雰囲気なのでホッとした。ポスターでの名称を御田植神事ではなく、御田植祭としている効果が出ているのだろうか?(楽しそう・・・)
辛櫃を載せた軽トラを先頭に斎田までゆっくりと進んだ。
そして高羽江稲荷神社跡地の標石が建つ場所を通過。斎田は目と鼻の先だ。
ほどなく祭場に到着した。
そして、案の上に苗が据えられた。
まずは、【修祓の儀】。
祓詞に続き、
大麻、
御塩にて、玉串、御饌、
(早乙女の衣装の模様が気になったのでパチリ。)
祭員等が修祓を受けた。
続いて、【降神の儀】、【宮司一拝】。
その後、【献饌の儀】にて、先ほど運ばれた辛櫃から御饌が手渡しで案へと供された。
結局、かなり多くの種類の御饌が案に並べられた。
宮司が【祝詞奏上】された後、
【斎田清祓の儀】が執り行われた。
そして、メインイベントの【田植の儀】となった。
早乙女は斎田の前に並び、
いきなり地面に座り込んだのでどうしたのかと思ったら、地下足袋を履き始めたのだ。
将来の早乙女が見守る中、現在の早乙女の準備が進んだ。
ちなみに斎田の隅にこんな立て札があった。
早乙女の準備が整うと
耕作主から苗が分けられて
斎田へと足を踏み入れた。
全員が斎田へ入ると
田植えが始まった。
2~3m程植えると田植えは終了した。
田の中で後ろ向きに移動するのも大変そうに見えたが、田から出るのも大変そうだった。
これが田植えの成果。水が少なかったので粘土っぽい状態になっていた。大変だっただろう。(ごくろうさま)
早乙女は斎田から上がると、
足跡を残しながら、
足元の土を洗い落とす順番待ちとなった。
足元の土を落とした早乙女が祭場へ戻ってくると、
【玉串奉奠】にて、宮司、総代代表、耕作主、来賓、早乙女代表、父兄代表 ・・・
そして、【撤饌の儀】となったとき、興味深そうに子供たちが辛櫃を覗き込んでいた。何と微笑ましい光景だろう。
【昇神の儀】、【宮司一拝】にて 御田植祭が終了した。
その後は、来賓も含め祭員全員が速やかに後片付けを済ませ、子供たちが待ちに待った菓子まきへ移行した。
早乙女が何かを受け取っていたので、中身は不明だがパチリ。
そして、2回目のメインイベント「菓子まき」が始まった。
知らぬ間に、祭場に並べられていた案や椅子が速やかに軽トラに積まれていた。かなりの手際のよさだ。
菓子まきも終了し、本日の御田植祭は完全に終了した。
【20110503の記録】
- 高羽江社および斎田
- 御田植祭(高羽江社)