2010年04月24日(土) 二見めぐり(自転車)
昨日の大雨が嘘であったかのように晴天となった。鉄道を利用した二見めぐりを想定し、JR松下駅を起点とすることとし、まずは自宅から松下駅を目指した。
JR松下駅は無人駅である。
松下駅の階段を下りて、まっすぐR42号線へ進んだ。
突き当たりの左手にR42号線が見えるので、ここを右折した。
道なりに進むと、緩やかな左カーブを上り、さらに道なりに進んだ。
大きな「旅荘 海の蝶」の看板と次の案内板が見える。ここを左折し、海が見える突き当たりをさらに左折した。
右手に海を見ながら進むと旅荘 海の蝶への坂道が現れる。
蛇行する坂でペダルを漕ぎつづけた。
頂上へたどり着くと、右手には海が広がる。(写真は省略)
最初の目的地は粟皇子神社だった旅荘 海の蝶の正面左へ向かうと、
次のような道路が建物の裏側へ続いている。
道なりに進むと、すぐに海が見える。
手作りっぽい案内板があるので、これに従って、急な坂道を下った。
坂を下りきると、左手にはたくさんのサクラの木が植えられている。その左隅には小さな祠も祀られている。
さらに進むと砂浜に出る。参拝の前に浜辺を散策した。足跡が無い浜を歩きまくった。
穏やかな浜もあれば、波が高い浜もあり、隣接していても表情がかなり異なる。入江の形状や風向きなど波の立ち方も大きく変化する。
先ほどの場所へ戻ってきて見上げると、旅荘 海の蝶が見える。かなり下ってきたことがよくわかる。
浜を左手に進むと、林のなかに粟皇子神社(摂社)が御座す。
社殿はほぼ南面している。
参拝を終えた頃、お守りの方が清掃にみえたので、少しお話を伺った。遷宮について聞いたところ「20年で補修、40年で建て替える」とのことであった。海に近く潮風も強いため、傷みも早いようだ。
粟皇子神社をでて、先ほどとは反対側(左手)の浜へ出た。ここは伊勢湾、対岸は遠方である。
ここで、振り返ると物置のような建物がある。このコースを逆向したときこれが目印になる。(ただし、撤去さえているかも?)
さらに、浜を左手に進んだ。
その先には全く人気が無い海水浴場が広がる。夏場には多くの人で賑わうのだろう。その頃にも来てみたい。
浜を進むとその先に堤防があるので、ここにMTBを担ぎ上げた。堤防上には貝殻の破片が散らばっており、タイヤが踏むといやな音がする。パンクしそうな不安にかられた。ゆっくり貝殻を避けながら進んだ。
松下1号角落しのプレートが目に入る。ここの左手に階段があり、湿地帯が広がっている。ビーチと湿地帯が隣接しているとは面白い風景である。
堤防はさらに続いているが、ここで湿地帯へ入った。
昨日の大雨のためか、湿地帯の歩道は水浸しであった。
MTBでゆっくりと進んだが、歩いていたらトレッキングシューズはずぶ濡れになっていただろう。足元の装備が重要である。
湿地帯を抜けると舗装された林道が現れる。歩道脇に流れる水路で、泥だらけになったMTBのタイヤを洗った。一瞬にして綺麗になった。気持ちも新たに先を目指した。次は神前海岸の山の上にある神前神社だ。
林道を抜けると、R42号線が見える。ちょうど先ほど出発した松下駅の近くだ。
R42号を右折し、しばらく進むと民話の駅 蘇民(即売所など)が現れる。店内を見て回った後、トイレを借りた。
蘇民の隣には、松下社があり、鳥居の右手に大きな楠がある。
松下社の前を過ぎると池が見える。池の右側を巻くように進んだ。
道なりに進みと大きな桜があり、この十字路を右折する。
道路は山に向かいまっすぐ延びている。とにかく脇目もふらずに直進した。
道路の突き当たりはこの風景となる。誰かの敷地のようだが、ここを進まないと目的地である神前神社にはたどり着けない。声には出さずに「おじゃまします。」と言って山へと進んだ。
あとは道なりに山道を進み、数十mも行くと神域にたどり着いた。
定の立札までたどり着いた。ここにMTBをおいてこの先は徒歩で進んだ。
石段が延々と続く。
木々の間から空が見え始めると頂上に近くなり、やっと神前神社(摂社)にたどり着いた。定の立札から社殿までこんなに遠い摂社はほかにはないだろう。外城田めぐりの鴨神社も山の上に御座すが、たしか、定の立札は社殿から20〜30mのところにあった。
やっと社殿が目に入った。少し息が上がっている。
ここには許母利神社(末社)、荒前神社(末社)が同座されている。
海が見えないかと、社殿の左奥へ進んだが、木々が茂っており全く見えなかった。その場で振り返えり社殿の裏側をパチリ。
社殿は南面している。
先ほどの石段を駆け下りて、右手にある海岸へ出た。
案内板によると神前岬の崖下には海食洞門である潜島(くぐりしま)があるそうだ。ただし、今日は風が強く、海は荒れていた。地元のおじさんに話を聞いたところ、干潮で沖のテトラポットが見えていないと潜島をくぐることはできないそうだ。今日は諦めた。
後ろ髪を引かれながらも、江神社へ進んだ。
海岸から元の道路へ戻りR42号線を交差した。
交差点の先には日の出橋があり、文字通り右手にはいかにも日の出が見えるように海が開けている。
この先には突き当たりに、江コミュニティセンターがある。ここを左折した。
しばらく進むと、カーブミラーの下に石標がある。ここを狭い路地へと進んだ。完璧に生活道路なので、住民の方に迷惑がかからないように気を配る。
道なりに進むと、曹洞宗のお寺である高庵寺がある。この前を道なりに左へ進んだ。
その先のT字路を右へ進んだ。(江神社からの帰りはここの左折方向へ進んだ。)
細い農道を山へと進み、日差しを遮る林へ入るとすぐ左手に江神社(摂社)が御座す。
ここが江神社である。
この石標の文字は彫りが深く、他の神社のものと比較してもクッキリと浮かび出ている。
社殿はほぼ南面している。
帰り際、神々しい光が目に入ったので、パチリ。写真にするとあまり目立たない。
江神社を後にし、先ほどのT字路を直進した。目の前にあるアパートの敷地に沿って先へと進んだ。
突き当たりを右折すると踏切があり、その先には栄野神社がある。(左折するとR42号線へ向かう。)
気楽なめぐりなので、気になる場所には寄り道歓迎である。
ここの御垣はコンクリート板であった。最近は耐久性のためか、社殿も木製でない場合もある。
参拝を終えて、R42号線まで道なりに進んだ。最初は道幅も広かったが、家が立て込んでくると車が対向できないほどの道幅になる。
R42号線に出ると珍しい交差点である。
この交差点の名前は、なんでも1文字である。漢字でも、ローマ字でも、かなでも。こんなのなかなかないでしょ。あるとすれば「あ」「い」「う」「お」に該当する漢字になるはず。
二見シーパラダイスの前を過ぎトンネルを越えて、左手にある音無山で昼食をとることにした。いつもどおりのおにぎり弁当である。
風は強いものの、このような風景を見ながらの昼食は贅沢である。
早々に昼食を終えて、興玉神社にある夫婦岩へと向かった。
興玉神社を後にし、海岸沿いにある賓日館の前を通り、旅館街を抜け、R42号線へ戻り消防署の反対側にある堅田神社(摂社)へ向かった。
わかり難い場所であるが、先には定の立札が見える。ここが堅田神社(摂社)である。
参道が右に折れる左手には、池のように水が溜まっている。石段が設けられており、水辺へ歩を進めるように造られている。御手洗場なのだろうか? ただし、手水鉢は整備されている。
苔が綺麗に生えている。ゆらゆらとした木漏れ日がさらにこれらを引き立てていた。
社殿の正面には住宅街へ抜ける小路が設けられている。
社殿はほぼ南面している。
参拝後、R42号線まで戻り、JR二見駅(列車で帰る場合、JR二見駅が適当だろう。左折すると二見駅)前の交差点まで進み、ここを右折した。
直進すると、赤福の看板が近づいてくる。ここを左折した。あとは、海水浴場の駐車場、二見中学校を右手に見ながら直進した。
コンクリート柵が現れるとここが御塩殿神社(所管社)である。
鳥居の前の道路は変則的な形状をしており、車は大回りしないと曲がれない。
ここが御塩殿神社(所管社)である。
右側は御塩殿で、左が御塩殿神社である。
社殿はほぼ南面している。
御塩殿の奥に小さな建物がある。これは何だろう?
ここで、またまた例の柱を発見した。朝熊御前神社で見たものと同じだろう。
御塩殿の右手から裏へ回るとその先には、御塩焼所と御塩汲入所がある。
そういえば、御塩殿の前にある鳥居にかけられた榊は、竹の筒に納められていた。これも見たことがない?
社域を後にし、中学校の脇を通り、海岸へと向かうと、御塩焼所の裏側が見えた。小さな扉が見える。
後は家に帰るだけである。海岸沿いをぶらぶらしながら五十鈴川へと向かった。ぶらぶらといっても強風のため、ふらふらになっていた。
振り返ると ちょんまげワールド伊勢 安土・桃山文化村の 天守閣が望めた。割と雰囲気があるものだ。と言ってもあそこには上ったことがない。
先へ進むと海のなかにこのような光景が現れた。これは何だろう?堤防だったのだろうか? わからない。
さらに進むと五十鈴川の右岸に出るので、遡った。
汐合大橋の手前まで来ると左手に、御塩浜が見える。ここで海水から塩分濃度を高めた鹹水を作るのだ。この鹹水が先ほどの御塩汲入所へ運ばれ、御塩焼所で荒塩にされる。
今回はさらに足を伸ばして、神宮御園まで行った。うろうろと探して見たが見当たらずに、地元のおばさんに尋ねたところ、親切に行き方を教えてくれた。ありがとう。
門は全開であった。周囲をぐるっと回って帰途に付いた。
今日も長い一日であった。いつも充実している。
次はどこだ。