2011年07月01日(金) 朔日餅、初列び (車、徒歩)
先日、「7月1日は早朝から朔日参りに行く」と【キタヰの妻】に言ったところ、七月の朔日餅「竹流し」を買って来てほしいとのこと。私も朔日餅を買ったことがなかったので、これはいい経験だと思い二つ返事で引き受けた。よって、本日の最重要な目的は「朔日餅を手に入れること」となった。
赤福のホームページを見ると3時半から整理券を配布すると書かれている。
【参考】 赤福のホームページ
そのため、2時半くらいに出発すればいいかと思い、昨日21時半頃には床についた。ところが、1時には目が覚めてしまい、これから再び寝ると寝過ごす危険を感じたので予定を早めて1時半過ぎに自宅を出た。
浦田駐車場に車を駐め、おはらい町通りを赤福本店の前まで歩いてくると、まだ2時過ぎ。整理券の配布まで1時間以上もあると思っていたところ、
本店の反対側では、朔日餅(仮)整理券が配られていた。名前を告げると(仮)整理券が手渡された。その紙片には赤いボールペンで 320 と手書きされていた。ホームページには3時半から整理券が配られると書かれていたが・・・。不思議に思い、「何時から配布されているのですか?」と伺ったら、「昨日の5時からです。」と。 この時点、私は(仮)の意味を理解していなかった。
後程、冷静になって考えたら、3時半におかげ横丁の入口付近で(仮)整理券を持った人の点呼をとり、その場にいた人にだけ正式な整理券が引き換えられるという仕組みだった。ここで受け取ったのは正式な整理券と交換できる文字通り(仮)の整理券だった。しかも、3時半には正式な整理券との交換が必要だ。整理券、二段攻撃だ。
3時半まで1時間以上もあったが、こんな時間におかげ横丁を散策することもないのでまずはおかげ横丁を一周した。
各店舗は戸を閉ざしており、おかげ横丁内に設置されている休憩用の椅子には雑談している人や暗がりで横になっている人もいた。でも、まだ少数だ。
また、七夕に向けて笹の準備が始まっていた。おはらい町通りでは玄関先に横たえられた笹を多数見た。軒先に立てるために配られたばかりなのだろう。おかげ横町内のこの笹には多くの短冊が付けられていた。
まだ眠っているおかげ横丁を一周すると赤福本店の横まで戻ってきた。
壁面には、今日の朔日餅「竹流し」の案内掲示と
外箱が展示されていた。 今日は左の5本入りを2箱購入する。
まだ、整理券受け取り時刻、3時半まで1時間ほど時間があったので、
おはらい町通りを宇治橋前まで歩き、内宮にはまだ入場できないことを確認してから
五十鈴川左岸へ出た。赤福本店横に架かる新橋に向かって進むと、
左手には「すし久」が。 朝粥の準備中なのだろう。
五十鈴川沿いからおはらい町通りへ戻り、すし久の正面へ出るとそこには「もち麦粥」とあった。
朔日餅の整理券引換までは、まだ30分ほどあったので、再びおかげ横丁へ入った。朝市が始まり、先ほどよりの多くの人出があった。
TVで紹介されていた若松屋へ向かうと、御主人が黙々と「はんぺい」を作っていた。「はんぺい」の形を整える手さばきもさることながら、水を張った容器(若松屋の文字が入った四角形のもの)の中から「はんぺい」を隣の鍋へ移すときの繊細でしなやかな手の動きに感動した。
また、御主人が「はんぱい」を作る姿をじっと見つめる方がいた。
若松屋を後にし、またまた、おかげ横丁を徘徊してから中央にある太鼓楼まで戻ってきた。
その後、新橋へ行ったり、
宇治橋方面へ歩いたりしていたら、赤福の「ワンボックスカー」がすし久の前で停車した。よく見ると「朔日餅シャトルバス停留所」の看板が立っている。
すし久の右側、
ここだ。
やっと、朔日餅整理券の引換時刻が近づいてきた。3時29分。おかげ横丁の入口へ戻ると、「朔日餅整理券待ち」、「最後尾」のプラカードが見えた。(仮)整理券を受け取っていない人はこちらに列んでいるのだろうか?
とにかく、ここまで来たら正式な整理券と交換しなくては。こちらは「1~150」。300番台を探していたら、
近くで「311」の声が聞こえた。もうすぐだ。声の発信場所はおかげ横丁の入口、常夜灯の前だった。そして、私の番となり正式な整理券「0320(先頭に0があるには、千人以上が列ぶことがある証?)」を受け取った。
ところが、これからの時間が長~い。発売開始が4時45分で、4時30分頃から点呼をとるとのことだった。しかも、300番台は赤福本店横の新橋を渡 り、五十鈴川右岸を50mほど下った辺りがスターと地点になるだろうとのこと。これから一時間。内宮に参拝できるのは4時から。
そこで夜間立入制限がない津長神社、饗土橋姫神社、大水神社に参拝した後、内宮へ向かった。ただし、4時30分の縛りがあったため、結局は御正宮へ参拝できなかった。
【参考】 大急ぎの朔日参り
内宮での参拝から急いで戻ってくると、辺りは既に明るくなっていた。おはらい町通りを急ぎ足で赤福本店まで戻った。
既に、4時半だ。
新橋を渡ると途中で、100番。
新橋を渡りきり、左折してすぐのところで200番。
その先、300番。待っている途中でパチリ。点呼が終了してから先頭が動き始めるまでが長かった。赤福本店の前に三重TVのクルーがいたので取材でもしていたのだろうか? とにかく、待ち時間が長い。
この場所の点呼にはあまり意味がないのでは?(少し遅れても正式な整理券があるので、問題なさそう。でも、自己責任で。)
ここまで来るのに約45分。あとは橋を渡るだけだ。
ふと、対岸を見ると白装束の一段が大きな掛け声を上げながら五十鈴川の上流へ走っていった。
新橋の下を抜け、
目的地は烏帽子岩の辺りだ。
褌のみになると船漕ぎの動作が始まった。禊だ。
【参考】 早朝参拝(内宮) の後半にも禊の姿が
やっと、新橋を渡り、赤福本店の横までやってきた。
新橋の端から五十鈴川右岸を望むとまだまだ列は続いていた。600人以上が列んでいるのだろうか?
私たちの番はもうすぐだ。
先ほど赤福本店壁面にあった朔日餅の案内掲示は
次月、八月のものに差し替えられていた。(素早い)
店頭には朔日餅のパンフレットが置かれていた。
その脇を通りすぎると目的の場所だ。朝の2時から約4時間。よく頑張った。(自分を褒めてあげたい。)
予定通り、5本入りを2箱購入し、目的達成。
赤福本店を出て
正面をパチリ。
「竹流し」をパチリ。
改めて、おかげ横丁を散策した。今日は何回目だろう。あまり人影がない。ほとんどの人は朔日餅の列の中だろう。
おかげ横丁、赤福に別れを告げたところ、朔日参りに来た母親と突然出会った。何という偶然だろう。しばらく立ち話をしていたら雨が降り始めたので、お互い目的地へ向かった。私は帰宅だ。
連日の睡眠不足ではあるが、達成感があるので眠くはなかった。
帰宅後に、
自宅用の箱を開けると、
これだ。5本の竹が見える。
同封されているしおりや穴あけ器具など・・・
早速、通学前の息子が「竹流しのお召し上がり方」を見ながら食べていた。
竹の節に2~3箇所の穴をあけて
「竹流し」は七月の朔日餅であるが、実体は「ようかん」だ。
【 20110701の記録 】
- 朔日餅、初列び
- 大急ぎの朔日参り