2011年07月16日(土) 伊勢市の石造遺物めぐり-その1(宇治岳道) (車、徒歩)
伊勢市の石造遺物めぐりの一日目、五十鈴川公園の駐車場から途中寄り道をしながら神宮司庁の門の手前までやってきた。この分岐には左手に道標がある。
左 あさま道。
道標に従っていくと閉ざされたゲートの手前左側には島路山森林監守見張所がある。この手前を左折して宇治岳道の参道へと向かった。
「市制80周年記念出版 伊勢市の石造遺物(以降は、本書と記述)」の表紙にある「朝熊岳道(U3)」を探しながら進んだが、見つけられないまま登りつづけた。私が踏んだルートには「朝熊岳道(U3)」はなかったようだ。その1(朝熊岳道)で朝熊岳道を下っている途中で休憩中の方と雑談して分かったことだが、「朝熊岳道(U3)」は島路山森林監守見張所の先にある神宮のゲートの中にあるそうだ。(今度、内宮への参拝の帰りにでも立ち寄ってみよう。)
障害物があったり、斜面が崩れていたりはしているが幅の広い道を進むと光が差してきた。
最初に見つけたのが、一丁地蔵町石。ただし、本書にが記載がない。
まぶしさを感じながらも、見過ごさないように周囲に注意を払いながら進んだ。
おっ、かなり整備されている。水はけがよいだろう。(ありがとうございます。)
路面を見ながら、左右も見ながら、上下も見ながら、時には振り返りながら、石造遺物めぐりは進んだ。
右手に何かを発見。これは何だ?
台座か? 真相は???
左手前方に見えてきた。
地蔵道標(U6)だ。
となると、三丁地蔵町石(U4)と四町角柱町石(U5)を見落としたことになる。「まぁ、また来るか」と気を取り直して前方を向いた。
しばらくすると右側にかなり古そうなトラックが放置されていた。たしか数年前に歩いた時にもあったはずだ。
前方のフックには切れたワイヤーが掛けられたままだ。引き上げを断念した様子が(勝手に)想像された。
出発時は雲が無かったが、少し湧き始めてきた。低山とはいえ、山では天候の変化にも注意が必要だ。
張り出した枝に掛けられているのは、
「火の用心 神宮司廰」の文字だ。ここは神宮林?
その先左手に新しい動きが、 「大黒石」のプレートがあり、文字通りの石があった。
さらに歩くと、「ちょっと休憩すれば!」と誘っている石がある。思わず腰かけてしまった。なぜか「しっくり」した。
また、神社の参道を思わせるような山道を進むと
左側に石垣が。この辺に建物があったのだろうか?
その先には、左手に、
地蔵町石がある。丁番号が異なるものがある。
十五、十一、十五。朝熊岳道に町石は番号順に抜けが無くそれなりの間隔で建てられているが、宇治岳道の場合は距離間隔も順番もあてにならない感じだ。
中央の地蔵町石の前に置かれた湯のみ茶碗から水が溢れていた。私が到着する前に、誰かが注ぎ入れたのだろうか。
背面はこんな感じ。かなり荒削りだ。
ここから先は広い空間が開け、広場になっている。
左側には石垣が残り、
右の先には「從是神宮宮域」の石柱がある。
左手の石垣の裏側は斜面にもこの様に積まれている。
こちらの分岐は楠部岳道だ。ちなみに、この標識には「中ちゃんず」と書かれていた。たぶん、ここが楠部峠だろう。
少し徘徊してから、先ほどの「從是神宮宮域」の石柱へ戻り、蟷螂をパチリ。
先へ進むとすぐ左手にこの角柱町石がある。十六町。
町石を左に見ながら進んだ。
山道は少し幅が狭くなり、左右に木々が繁るが
所々で遠くが見える。山道の右手方向だ。
しばらくすると、
何かが私を呼んだような? 岩を凝視すると、「あ、あった。」
岩と同色の地蔵町石だ。見つけられないように保護色になっているような?
この電柱の近くだ。
しばらく歩くと今度は左手に視界が開けた。伊勢の町が見える。
あれに見えるは五十鈴川だろう。
さらにその先では、同じ左手に伊勢志摩スカイラインが接近していた。伊勢の料金所方面をパチリ。
そして、この木製の電柱を過ぎると
正面には地蔵町石と石仏。
左側の地蔵町石の頭部が削れてなくなっているため、誰かがマジックで顔を書き入れていた。(是は善意ととればよいのか、悪戯と判断すべきか? 研究者の立場からすれば余計な手を加えてほしくないだろう。ただ、顔の無いお地蔵さんを不憫に思い・・・ どちらが正しいとも、どちらが間違っているとも言えない。ただ、私は自然な状態が好きだ。)
伊勢志摩スカイラインを車が上って行ったので、石仏と共にパチリ。
ここから上り坂道となり、
坂を登り始めると左側には本書に記載のない二十五丁地蔵町石が現れた。
その先、えんじ色の電柱の近くには
地蔵町石(U15)。この地蔵にも頭が付けられていた。
接着剤でしっかりと固定されている。(ここまでくると善意としか判断できないだろう。)
さらに少し登るとケルンのような積み石が多数あり、
平らな敷地が階段状になっている。
この先にも地蔵町石。
振り返ってパチリ。
先へ進むと枝の間が抜けていた。
あれに見えるは、 伊勢志摩スカイラインの一宇田展望台。
そして、その先には二十九町角柱町石がある。
この町石は木の枝の間からしか見えず、反対側から来る登山者には見えないかもしれない。
その先、坂を登りきると三十丁付近。
ここには多数の石造遺物がある。
ただし、?四丁地蔵町石は本書に記載が無い。
また、こちらの三十丁横廻国塔(U19)は本書の写真とは配置が異なる。
これらは本書記載どおりだ。
これらの先には左への分岐がある。ここが一宇田峠で、左へ下る道は一宇田岳道と思われる。
ここから先はかなり短い間隔で本書には記載が無い石造遺物が現れた。すべて山側。
まずは、十九丁地蔵町石。
続いて、三十一丁地蔵町石。
電柱(53エ791)の付近。
さらに、二十八丁地蔵町石、三十一丁地蔵町石。
そして、本書記載の三十三丁地蔵町石(U25)だ。結局、U22~U24は確認できず。
その先には、本書に記載が無い三十三丁角柱町石。
この町石が見る風景をパチリ。こんな風景を見ているのか。
この先も本書には記載されていない石造遺物が続く。
三十三丁地蔵町石と三十四丁地蔵町石。
さらに、三十五丁地蔵町石。
ここには、他の2体と合わせて、3体。
さらには、二十七丁地蔵町石。
電柱(53オ721)の先には、
[三]十六丁地蔵町石(U26)。
山道の前方がやけに明るいと思ったら、橋が架かっている。
清水橋だ。
伊勢志摩スカイラインを山道が越えるための橋だ。
橋を渡り、
暗い山道へ入ろうとすると、
赤い車がスカイラインを下って行った。パチリ。
橋を渡ったから木々が生い繁る暗い隧道を抜けるとたまたま右手の花に気を取られた。
何故か振り返ると、林の中に見えた。2体並んでいる。三十八丁地蔵町石(U27)と三十九丁地蔵町石(U28)だ。ここも見過ごしそうだった。
近づいてパチリ。左右の区別が欲分からなかったが、次の情報を参考に判断した。
【参考】 みえの歴史街道/ウォーキング・マップ:朝熊岳道((1)宇治・1-(2)宇治・2) (PDFファイル)
下生えが多いので、隠れている石造遺物を見過ごさないように注意深く歩いたが、
こんな場面では気が反れて、パチリ。 オニユリ。
さらに進むと、
四十丁地蔵町石(U29)。
しばらくすると舗装された道となり、上り坂に。
その先で視界が開けると、松の枝が山道を被っている。
足元にはこの鉄蓋が。「アサマヤマ」の文字がある。
蜂の羽音が「ブゥーーン・・・」 怖いもの見たさでパチリ。
急いでこの場を立ち去ると、左手に四十三丁地蔵町石(U35) 。U29以降、しっかりと探したつもりだったが、U30~U34は見落とした。
次は、四十四丁地蔵町石(U36)。
アスファルト道になり、左側には石垣が見えてきた。
その石垣の手前には、四十五丁地蔵町石(U37)。
坂を上ると左手には石塀が連続する。かなりの距離だ。
かなり石塀に沿って登ると祠が見えてきた。
祠の右側には多数の地蔵町石がある。
一番右側に一体離れているのが四十四丁地蔵町石(U38)。
祠とU38の間には、これらが。2体だと思って撮影したら、実際には3体だった。
まず画像の中央は、四十[六]丁地蔵町石(U41)。
U41の右側がこれ。実は2体が写っている。右隅には土に埋まった地蔵町石があったのだ。本書と照合して 四十六丁地蔵町石(U40)と四十七丁地蔵町石(U39)だ。
また、祠の中には右側の弘法大師像(U43)と
祠内地蔵(U42)。祠内は余りにも暗かったのでフラッシュを焚いてしまった。また、祠内には井戸があり、弘法井戸と呼ばれているそうだ。
蜂が近づいて来たのでしばらくジッとして息をこらして、蜂が離れたところですかさず先を急いだ。この空間までたどり着くと何となくホッとした。右手には電波塔がある。
朝熊峠まではもう一息だ。
この先には、[四]十七丁地蔵町石(U45)。 U44は発見できず。(ここまで来ると発見できなくても平気になってしまった。)
さらに、右手に四十八丁地蔵町石(U46)。
この先には民家があり、数匹の犬が吠えている。私が通り過ぎる時も猛烈に吠えていた。(犬が苦手な人は注意。)
犬の声が聞こえなくなると丁字路に。右からの合流があるので、伊勢志摩スカイラインからの合流と思われる。ここは直進(八大龍王社→)した。
右側の 東京大学地震研究所の和歌山地震観測所 伊勢観測点を通りすぎて
坂を上ると
右側に地蔵町石群が現れた。
識別できない右側の2体を除き(もしかするとこの2体がU47とU48かもしれない)、右側から順に
四十八丁地蔵町石(U49) 。
四十九丁地蔵町石(U50)。
五十丁地蔵町石(U51)。
四十五丁地蔵町石(U52) 。
四十九丁地蔵町石(U53)。
?丁地蔵町石(U54) 。
四十七丁地蔵町石(U55) 。
全体を見渡すとこんな感じ。
宇治岳道はこの先、金剛證寺まで続くが今日は朝熊峠までとし、朝熊岳道のめぐりへ移ることにした。よって、U56以降は今後のめぐりで。
朝熊峠で休憩していて、案合板をパチリ、パチリ。
この辺には朝熊岳とうふ屋旅館が建っていたそうだ。かなりの人手だったのだろう。
また、宇治岳道には登山バスが走っていたそうだ。先ほど歩いて来た道を
このバスが走っていた? 信じがたいが事実だ。
【 20110716の記録 】
- 伊勢市の石造遺物めぐりの開始
- 伊勢市の石造遺物めぐり-その1(五十鈴公園から宇治岳道へ)
- 伊勢市の石造遺物めぐり-その1(宇治岳道)
- 伊勢市の石造遺物めぐり-その1(朝熊岳道)
- 伊勢市の石造遺物めぐり-その1(朝熊から五十鈴公園へ)
なお、「伊勢市の石造遺物めぐり」シリーズの記録では伊勢市教育委員会が発行した「市制80周年記念出版 伊勢市の石造遺物」を参考にめぐる予定なので、画像データの見出しには()内に本書籍内での管理番号を付与した。ただし、書籍内に該当する石造遺物が見当たらない場合は(?)となっている。また、書籍に記載されているが、実際には見つけられなかったものについては別途まとめたいと思っている。