2011年07月31日(日) 伊勢市の石造遺物めぐり-その2(宇治岳道) (車、徒歩)
2011年07月16日には 伊勢市の石造遺物めぐり-その1(宇治岳道) にて、神宮司庁の裏手から朝熊峠までを歩き、石造遺物を調べた。宇治岳道はさらに朝熊峠から金剛證寺まで続いているので、今日はその残り部分を歩いた。
なお、石造遺物の名称等については、伊勢市教育委員会発行の「市制80周年記念出版 伊勢市の石造遺物」(以下本書と呼ぶ。)を参考にした。
伊勢市の石造遺物めぐり-その2(朝熊岳道) にて朝熊峠まで登り、少し休憩した後、金剛證寺を目指した。二十二丁角柱町石の先のアスファルト舗装道を左へ向かうと前方にこの塔が見えてくる。(携帯電話の中継局?)
その先にはアスファルト舗装路(左)と地道(右)への分岐があり、
その左手には道標(D62)が建っている。
正面: 龍池社 祭神 八大龍王
左面: 龍池社近道
その分岐にはこの道標があり、今回は金剛證寺への右側のルートをとった。
林道のような道(ここが宇治岳道と知るまではずっと林道だと思っていた。)を進むと左手前方に地蔵町石が見えてきた。
これだ。
電柱「781」の奥にあり、
横方向に割れがある。五十三丁地蔵町石(U56)。
その先、右側に境界杭のようなものが見えた。
近づくと「輪伐・・」の文字が見えた。
先へ進むと今度は右側、谷側(今まで確認した地蔵町石等は山側に建っていた?)に石造遺物が集められていた。
右から順に見てゆくと、次の画像の右端が三十丁地蔵町石(U60)。
次の画像の中心が、五十三丁地蔵町石(U57)。
その左隣が、石仏(U58)。
さらに、一番大きなものは、巡拝塔(U61)。
そして、手前のこの地蔵は、石仏(U59)。
また、その左隣のものは???、石仏(?)?
そして最後に、次の画像の中心(奥)にあるのは、梵字「タラーク」が彫られている五十七丁自然石町石(U62)。
石造遺物群を後にして、
宇治岳道を先へ進むと、今度も右手に、角柱が倒れていた、
近づくと「從是神宮宮域」とある。
それならこの谷側は神宮林。すると先ほどの「輪伐・・」の石柱は神宮のものだろうか?
障害物となっている落石を避けながら歩くと
今後は左手に角柱だ。
これは五十五丁角柱町石(?)。ただし、土中から完全に露出した状態で、自立できていない。
この先にも町石地蔵は続く。
五十五丁地蔵町石(?)
さらに、[五]十六丁地蔵町石(U64) 。
この辺まで来ると天候が崩れそうな雰囲気に。ガスが下から上がってきた。移動してくるのが目に見える。雨の備えはあるが、降られる前に・・・
境界杭(?)のようなものを右に見ながらさらに進むと
五十七丁地蔵町石(U65)。
ガスはどんどん上へと昇っていった。
周囲が白っぽくなってきた。まだ大丈夫そうだ。
続いて、山側に五十六丁地蔵町石(?)
上部が欠落している。
さらに、五十八丁地蔵町石(U66)。どんどん見つかる。
振り返って、パチリ。
そろそろ林道のような雰囲気は終了になる直前だ。電柱の奥にも・・・
電柱「224」の奥には、
五十八丁地蔵町石(?)。
先ほど、五十八丁地蔵町石(U66)を見つけたが、「五十八丁」の位置で先ほどの地蔵町石が(U66)であると判断した。よってこの五十八丁地蔵町石は(?)だ。
この先には錆びたガードレールが見える。ガードレースに沿うように左へ曲がると、
右下に伊勢志摩スカイラインが走っている。
この坂を降り切ると右手に石段があるので、
その先に見えた石柱へ近づくと、 磯部道入り口の道標(D63)だった。
右 いそべみち [二り]
左 まるやま道 [三十丁]
※ [ ]内は、本書 P.77による。
D63を確認すると先ほどの場所へ戻り、金剛證寺へと向かうと
電柱「141」の先、左側、
斜面の石垣の上に、五十九丁地蔵町石(U67)。
見落としそうになったが、何か呼ばれたような・・・?
かなり暗い場所だ。
金剛證寺は目の前だ。この歩道の20~30m先には
この看板があり、
すぐ左奥には、下乗石(U68)。
この参道を進むと
下里信重墓碑を左に見る。
参道は突き当たりを左へ直角に曲がるが、その角には
「左 さんけい道」道標(D64)があり、
その近辺にはさまざまな石仏や石塔塔が集められている。
直角に曲がる参道の先、宝物館前(または仁王門への石段下)には、金剛證寺境内 宝物館前の道標(D66)が建っている。
裏側からもパチリ。
この道標(D66)の後ろには金佛(阿弥陀佛)が。
仁王門への石段を上り、
仁王門をくぐると、
前方には境内の中心に連間の池があり、赤色の太鼓橋がかかっている。手前には、金剛證寺境内 連間の池横の道標(D67)があり、
裏側からもパチリ。文政元年とある。
連間の池の前を通り、
さらに石段の上にある本堂へ向かうと、
扉は閉ざされていた。そうか、まだ8時前だ。今日は5時55分から登り始めたからゆっくり歩いていてもまだこの時間だ。
本堂の前には、金剛證寺境内 本堂前の道標(D68)。
反対側からのパチリ。
奥之院へ向かおうと坂道を上りかけると、この道標が目についた。「南 御木本駕籠立塲道」とある。
そう言えば、まだ石造遺物があったように思えたので、奥之院方向ではなく、総門の方へ行ってみることにした。
開山堂の前を通り、
急な坂道を下ると駐車場の入口に総門がある。
一度、総門を出てパチリ。
おぉ、総門の手前右に、金剛證寺 総門前の道標(D65)だ。
総門をくぐり返すと、
右側には、これらの石造遺物群。
手前から六十丁角柱町石(U69)。
これらの中で、とくに、本書に掲載されていた
五十四丁地蔵町石(U70)。
石仏(U71)
五十丁地蔵町石(U72)
先ほどの 「南 御木本駕籠立塲道」の道標まで戻り、坂道をまっすぐ上りきると極楽門の前へ辿り着く。
極楽門の右手前には、金剛證寺境内 極楽門横の道標(D70)。
横、
後ろからもパチリ。
極楽門をくぐり、巨大な卒塔婆群の間を進むと突き当たりに
奥之院がある。この門の手前左側には、
金剛證寺 奥之院前の道標(D71)がある。
以上で、宇治岳道に関連した石造遺物の調査は完了したので、後は朝熊ヶ岳山頂、朝熊峠を経由して帰るのみ。帰りは、極楽門から本堂の中間辺りにある八大龍王、経ヶ峯参詣道入口へ入った。
山道を歩いているとガスが上がってきた。天気が良ければ伊勢湾が一望できるはずだが・・・
左へ行けば朝熊峠、とりあえず朝熊ヶ峠山頂を目指した。
これが、朝熊ヶ峠山頂からの風景。ガスっているもののぼんやりと島が見える。
山頂には、金剛證寺八大龍王社。
テレビ塔。
朝熊ヶ岳山頂の石柱がある。
雨が降る前に下界へ戻ろうと朝熊峠を目指した。(結局、今日は雨は降らなかった。)
【 20110731 の記録 】
- 伊勢市の石造遺物めぐり-その2(朝熊岳道)
- → 朝熊登山鉄道・ケーブルカー跡
- 伊勢市の石造遺物めぐり-その2(宇治岳道)
なお、「伊勢市の石造遺物めぐり」シリーズの記録では伊勢市教育委員会が発行した 「市制80周年記念出版 伊勢市の石造遺物」を参考にめぐる予定なので、画像データの見出しには()内に本書籍内での管理番号を付与した。ただし、書籍内に該当する石造遺物が見当 たらない場合は(?)となっている。また、書籍に記載されているが、実際には見つけられなかったものについては別途まとめたいと思っている。