2011年08月12日(金) 御城番屋敷(重要文化財旧松坂御城番長屋) (車、徒歩)
松阪市文化財センター はにわ館を見学した後、国指定特別史跡 本居宣長旧宅跡と三井家発祥地に立ち寄り、松坂城跡の搦手口側に広がる御城番屋敷を訪れた。
これは、松阪市文化財センター はにわ館でもらったパンフレット。
さて、実際には、 松坂城後の搦手(からめ)口側(裏門跡側)から道なりに進むと左手にスペースがあり、その一画にこの案内板がある。
道なりに坂を下ると左手には、南龍神社、さらにその奥には
御城番屋敷の土蔵がある。
元の道路へ戻り、前方を見るとこの風景だ。車等の現在的なものが無ければ、江戸時代にタイムスリップできる。
ここは長屋形式で道路の両側に建ち並び、当初は20戸、現在は19戸となり手前右手の屋敷は、無料で開放されていて往時を偲べる。その他の屋敷は住居となり、松坂城を警備するためにこの屋敷に住んだ武士の子孫の方が住む家もあり、その他空き家は貸家となっているそうだ。
槇垣の切れ目から中へ入ると、
玄関には「公開時間 午前十時~午後四時迄 月曜日休館」とあり、
さらに、その右手には、案内板がある。
なお、玄関の前、槇垣の切れ目の脇には「三重県立松阪工業高等学校誕生の地」の碑が建つ。
玄関から建物の中へ入ると、暑い(熱い?)中女性の説明員の方が扇風機を私の方へ向け、自分自身は汗だくになりながら御城番屋敷について説明してくださった。(感謝) 詳細については私のうろ覚えの記憶よりもパンフレット等をご覧いただくこととし、私にとって印象的だったことを・・・
靴を脱いで、内部を見てください。とのことだったので遠慮なく畳へ上がった。
まずこの部屋の左奥には(明治初期)苗秀社創立時のたんすがあり、
その上には、重要文化財指定書が掲示されていた。
さらに、家の裏手の縁側へ出ると突き当たりには金属製の太いパイプが建てられ、建物の耐震性を強化していた。
また、天を見上げると、黒く塗られた金属製の筋交いが多数取り付けられている。
やはり、現在は耐震が重要だ。
4部屋。
床の間には、「南龍神社」の社名額が置かれていた。この社名額かなり大きい。先ほど土蔵の横で見た社の大きさでは全く釣り合わないほど大きい。以前はもっと立派な社殿だったのだろうか?
これが、4部屋を見渡した風景。
係員の方にお礼を言って、旧松坂御城番長屋を後にした。
このあとは御城番屋敷を通り抜けると右手に松阪神社の参道があるので、そちらへ向かった。
【 20110812 の記録(松阪) 】
- 松阪市文化財センター はにわ館
- 国指定特別史跡 本居宣長旧宅跡
- 三井家発祥地
- 御城番屋敷(重要文化財旧松坂御城番長屋)
- 松阪神社、本居宣長ノ宮
- 松坂城跡