2011年08月28日(日) 青峰山 正福寺~松尾駅 – 青峰道(松尾道) (徒歩)
青峰山 正福寺 から青峰道(松尾道)へ入り振り返るとこの雰囲気だ。
ここからも近鉄の「てくてくまっぷ 三重 – 6 青峰山正福寺コース」を逆行して松尾駅を目指した。
【参考】 近鉄てくてくまっぷ(三重-6)青峰山正福寺コース|K’s PLAZA (近鉄のサイトで、PDFファイルをダウンロードできる)
落ち葉でふかふかする山道を進むと右側に近畿自然歩道の道標があり、ここはY字路になっている。
倒木をくぐりながら進むと
廿二丁目にたどり着いた。
【廿二丁目】
ここには護摩岩があり、
その上部はこんな感じ。
ここからは下りながら町石をたどった。
【廿一丁目】
【貮十丁目】
貮十丁目を過ぎてしばらくすると、
この石柱が見つかった。上部は折れて無く、
本来埋まっているはずの根元がむき出しになっていた。順番からすれば十九丁目だろうか?
【十八丁目】
水平路が下りになり、
【拾七丁目】
【十六丁目】
十六丁目の町石の前にはこの案内板があった。ちょうど昼食場所を探していたので矢印に従って坂を下った。
その先には岩があり、その先は
視界が開けていた。
これだ。これは4枚の写真をパノラマ風に合成したもの(パノラマ画像作成ソフト Huginを利用)
雲はあるものの眼下に広がる風景をおかずに恒例のおにぎり三個を食した。慣れない岩の上は落ち着かないが、この場所を独占している自分に満足していた。
食事を終えると早速、松尾道へ戻った。十六丁目から下ると左手に御成婚記念植林碑がある。
【拾五丁目】
【十四丁目】
【拾三丁目】
拾三丁目を過ぎ、
赤とんぼをパチリ。
また、下り左手に「御大典記念植樹碑」がある。
さらに、右手には「おとく茶屋跡」。案内札が無ければ、ただの山道だ。
下り左側には木々の間から下界が見えた。
山道の真ん中でパチリ。
さらに左手をパチリ。
しばらくすると、折れた町石(?)が。何丁目かは?。
この文字は「目」の下部だろう。
この先、あまかぼうか岩の側(手前)には、
地蔵がある。建立は昭和なので新しいものだ。
こちらがあまかぼうか岩。
さらに下ると
【九丁目】
その先には岩の上に木が覆い被さっている。
これだ、案内板には「達磨坐姥目樫石 天然記念物」とある。
全体はこんな感じだ。
さらに下ると壁面に埋め込まれたような町石が、
【七丁目】
この先、どんどん下ると左手に大きな岩があり、
その岩には案内板がボルトで固定されていた。ますきち岩。この看板が付けられた岩のことではなく、この岩の上方にある岩のことのようだ。
下りの途中に
【六丁目
この町石はかなり傾いている。
【五丁目】
この辺りは石段が整備されている。振り返ってパチリ。
右手の斜面、これも町石だろうか?
正体がまったく分からない?
さらに続く切り通しを下ると、
【三丁目】
三丁目を過ぎるとそろそろ山道は終わりになるはずだ。ここには整備された排水路が二ヶ所。
坂を下りきると
この場所だ。
高札には「青峯山登山口」とある。
ここで車道に合流し、集落を目指した。橋を渡ると
左側がこの風景。石板の橋が架かっている。
右側はこの風景。稲刈りが始まっていた。
この先は近畿自然歩道の道標で鋭角に折り返した。
先ほどの石板の橋の脇を通り、
さらに進むと堰堤がある。
その後、稲刈り風景を左手に見ながら、道なりに進むと
右手には祠があり、
両側が石垣になっている場所へ出た。
この家並みを過ぎると、この先の十字路に道標が建っていた。「右 青峯道」
「左 子安地蔵 浦村道」
ここを左折するとすぐ近くに線路が見え、
踏切の左手が近鉄 松尾駅となっている。
ここから志摩赤崎駅まで電車に乗ろうかとも考えたが、次の普通電車が到着するまで30分以上あった。待つなら歩くこと選択する主義の私は志摩赤崎駅まで歩くことを決意し、松尾駅を出ようとした。
そこへこの電車「伊勢志摩ライナー」だ。振り向いてパチリ。
「伊勢志摩ライナー」を見送ってから
加茂川を
松尾橋で渡ると
その先、国道167号線の松尾交差点の角にはこの道標が建っていた。「右 磯部道 左 青峯道」、建立は文化のようだ。
そして、ここから近鉄 志摩赤崎駅までは国道167号線 をひたすら歩いた。
【 20110828の記録 】
【独自オプション】
- 沓掛駅~青峰山 正福寺 – 青峰道(磯部道)
- 青峰山 正福寺
- 青峰山 正福寺~松尾駅 – 青峰道(松尾道)
- 近鉄 松尾駅~志摩赤崎駅(国道167号線)