2011年10月22日(土) 鳥羽城跡(第6次)発掘調査現地説明会 (車、徒歩)
新聞記事で鳥羽城跡(第6次)発掘調査現地説明会が実施されることを知り楽しみにしていた。
昨日から雨が続き説明会の実施があやぶまれたが、8時頃には小雨が時々落ちる程度となったので小雨決行の説明会へと向かった。
鳥羽市役所の駐車場に車を駐め、城山公園への石段を登った。
公園に到着したのが9時20分。説明会の開始10時迄は40分ほど時間があった。
そこで、以前から撮影したかった日和山の方位石へ向かった。
【参考】 鳥羽の日和山散策
日和山の散策を終えると急いで城山公園へ戻った。その途中の岩崎大橋で鳥羽城跡を遠望してパチリ。
城山公園への階段を駆け上がり、
鳥羽城跡発掘現場へ向かった。
以前、近鉄 お伊勢さん125社めぐり(第8回磯部・鳥羽7社) にて訪問した時は次のように立入禁止になっていた入口が、
今日は開放されていた。
坂道を上り、旧鳥羽小学校の運動場へ向かうと説明会開始5分前に到着した。
受付のテントで次の資料を受け取り、説明会が開始されるまで独自に見学していた。
→ 鳥羽城(第6次)発掘調査現地説明会(鳥羽市教育委員会) (PDF)
ここでは行き来しつつかなり様々な場所で撮影したため、時系列に列べると訳が分からなくなる。そこで、次の「発掘現場撮影箇所方位等」の資料を作成し、画像の見出しの番号と撮影箇所、撮影方向を確認できるようにした。そのため、通常なら時系列に掲載する画像データを北の78番から右回りに掲載することにした。ただし、出土遺物の展示については最後に掲載した。
→ 発掘現場撮影箇所方位等 (PDF)
先の「鳥羽城跡(第6次)発掘調査現地説明会配付資料」には説明会の内容が簡潔にわかりやすくまとめられているので、ここでは現場で知り得た補足のみとする。
発掘現場 109 では、「天守台の位置を確認するために掘ったところ表土から10cmほどで地山の岩盤が現れた。」
ここは幅2mのトレンチの十字のセンター。
江戸時代の絵図には描かれていない石垣で、縦長の斜めが8.4m部分で、手前が南の5m部分。石垣は地山である岩盤を掘り込んで3段から4段で約80cmの高さに積まれている。
こちらが5m部分で、終端には甕の下部が残されている。
これが甕の下部。
近くに積まれた掘り出した土砂の中に次の破片を発見した。素材、厚みがその甕と同様で、筋が入っていたので説明員の方に渡しておいた。多分、甕の一部分だろう?
これが先の破片を見つけた土砂。
こちらはトレンチの十字の中心より西側、雨落ち溝や瓦敷の溝が見える。
特に気になったのは、球形の
これだ。後で質問したところ「五輪塔の一部の部材ではないだろうか?」とのこと。素材が花崗岩であり、この発掘現場ではこれ以外に花崗岩の石は見つかっていないそうだ。(後述の154、156も参考)
視線を東へ振ると、敷地を囲うフェンスが見える。実は先日の台風の際に急斜面の土砂が崩れ、新たに石垣が見つかったそうだ。
こちらが、フェンス越しの斜面だ。(近鉄の線路側から斜面を見上げた画像は192、194参照)
場所を南方向へ移動して、トレンチの十字の中心方向をパチリ。
少し先には、「本丸御殿の一部」とされる石列がある。
さらに南の端には井戸があったが、地元住民の記憶によれば今回の調査範囲の外側にだそうだ。
調査範囲だが、一部掘削してみたところ
次のようなコンクリート塊が見えたそうだ。調査範囲外なのでこれ以上の調査はできないそうだが、これは井戸の蓋として置かれている可能性もある。また、現地説明会の会場では「もう少し東側ではないか?」との意見も出ていた。
そして、トレンチの南端から北を望んでパチリ。
十字の中心へ戻る途中、南端方向を向いてパチリ。
少し先には瓦が廃棄されている場所がある。
ここだ。
なかには、遺物展示でも紹介されている内藤氏の家紋である「下がり藤」も見える。
トレンチの十字の中心で東側を見ると長さ8.4mの石垣の様子がよく分かる。
北を向くと
こちらが雨落ち溝(新)で、
こちらが雨落ち溝(古)だ。
さらにその左側には瓦敷の溝がある。
瓦敷の溝を右側から、
さらに、左側からパチリ。
続いて西の端から東を向いてパチリ。
ここからはあの球形の石が近い。
これだ。確かに綺麗に削られている。
少し発掘現場から外れ、石垣を覗いてパチリ。
再度、発掘現場に戻り、全景をパチリ。
遺物が展示されているテントは手前のものだ。
説明員の方から出土された遺物について説明があった。
左の奥から順番に。これは九鬼守隆の家紋入りの鬼瓦片。配付資料の4ページにあるように、この瓦の右側にある円筒形の突起が九鬼守隆の家紋(七曜文)の一部分だそうだ。
こちらも同上。
これは九鬼嘉隆の家紋である「左三ツ巴」が入った軒丸瓦。
同上。
これは屋根の上の鯱のひれの一部。
そして、九鬼嘉隆時代の鳥衾瓦。
こちらは九鬼家のあとに城主となった内藤氏の家紋「下がり藤」が入った軒丸瓦。
こちらは内藤氏の家紋入りの軒平瓦。
同上。
これは軒平瓦。家紋は入っていない?
最後に、こちらは最後の鳥羽藩主である稲垣氏の家紋である「抱き茗荷」が入った軒丸瓦。
その他に多くはないが、土師器、すり鉢片、染付け、天目茶碗などが出土しているとのこと。
見学を終了し、発掘現場を出るとその先はこの景色だ。パチリ。
振り返って発掘現場の全景をパチリ。
先ほど、176で確認した東側のフェンスの外の崩れた斜面を確認するために鳥羽城三ノ丸公園への階段を下った。
鳥羽城三ノ丸広場の前の近鉄線沿い道路を進むと192が見える。
フェンスの下部、右側に石垣? が見える。
フェンスの外の石垣を確認した後、鳥羽城三ノ丸広場へ戻ってきた。
鳥羽城三ノ丸広場については、「広報とば」の記事のリンクを紹介しておく。
【参考】 鳥羽城三ノ丸広場完成! (PDF)
鳥羽城三ノ丸広場から線路越しに鳥羽水族館の方を見ると
大手水門跡には、次のような説明板が建っている。
【引用】 JRさわやかウォーキング その5/5 伊射波神社からJR鳥羽駅へ より
以上で見学を終えて駐車場へ戻ろうとすると説明板がズラッと並んでいたので、
パチリ・・・、
先ほど下った石段を上り
帰途へ着いた。
【 20111022の記録 】
- 鳥羽城跡(第6次)発掘調査現地説明会
→ 鳥羽の日和山散策