2011年11月13日(日) 近鉄 お伊勢参り 第八回 その1/2 近鉄 伊勢中川駅から忘井へ (電車、徒歩)
近鉄 お伊勢参りの独自オプション(川合高岡駅~伊勢中川駅) を終えて伊勢中川駅へ到着した。
自分なりに予定していた到着時刻(10時)には10分ほど遅れたが、受付には間に合った。
受付を済ませてコースマップを受け取ると早速スタート。
【補足】
今回は近鉄 お伊勢参り第八回コースマップとともに最近活用しているみえ歴史街道ウォーキングマップも併用した。
- コース周辺の道標、常夜燈などについては、みえ歴史街道ウォーキングマップの「初瀬街道」版および「伊勢街道」版も参考にしたため、写真のタイトルに「(み歴マ 初瀬 18)」とある場合は「みえ歴史街道ウォーキングマップ初瀬街道の(18)」を、また。「(み歴マ 伊勢(19)六軒-B 5)」とある場合は「みえ歴史街道ウォーキングマップ伊勢街道の(19)六軒-Bの (5)」を示している。
まずは、駅前のロータリーの隅で秋をパチリ。
駅前の道路を左方向へ歩き、中川駅西交差点を経由して
常念寺までの直線路を急ぎ足で進んだ。
常念寺前交差点の角には常念寺の鐘楼が見える。ここを左折すると
常念寺の山門の右側に次の石標を確認した。「真盛上人御旧蹟」
そして、次は小川神社へ。
平成元年に設置された説明板があるが、かなり錆びついていて説明文の一部が判別できなくなっていた。
鳥居をくぐると
手水舎で心身を清めた後
まずは境内を見学した。合祀百年記念碑。
「式内小川神社」の社標。
さらには歴史がありそうな常夜燈、
そして、拝殿で参拝してからも境内を散策した。
社務所前の手水石、常夜燈(?)
さらには拝殿の右側にある山神群の近くの常夜燈、
そしてこちらが山神群。これだけが立ち並ぶと壮観。
最後に参道を戻る途中でこちらの常夜燈を確認した。(ところで左の球状の石は何?)
中央の常夜燈には火袋が無く、さらに常夜燈の「常」の字が刻された部分も欠落している。
また、その手前にある常夜燈には「元禄十二年」とあり、中央の常夜燈はさらに古そうだ(?)。
まだまだ見るべきものはたくさんありそうだが、先が長いので今日のところはこれくらいで小川神社を後にした。
西方寺へ向かう途中で右手にこの門を確認したのでパチリ。
さらに右手の水路もパチリ。
そして、こちらが西方寺。
西方寺には(み歴マ 初瀬 14) の道標があるはずなので山門をくぐると、境内では庭師さんが植裁を手入れされていた。ご住職が不在だったので庭師さんに「みえ歴史街道ウォーキングマップ」の写真を見せながら道標の所在を伺ったが不明だった。この道標はマップが作られた後にどこかへ移動されたのだろうか?
西方寺を出てコースへ復帰するとこの路地に出た。道なりに左へ向かうが分岐部分には二基の石柱が確認できる。
酒店の前を通り過ぎると
常夜燈が見えてきた。
これだ。この常夜燈は新しく昭和六年の建立だ。
さらに進むと旧 嬉野町役場(現在は松阪市嬉野地域振興局)、
嬉(宇礼志)野の町名の由来が記された説明板の前を通過した。
この先で道路幅が狭くなり、緩やかな坂を下ると右折の丁字路の角に「うどん そば 丼物 鈴木店」の看板を掲げた建物がある。名前が変わっている。「鈴木店」、店名だけではなに屋さんかは分からない。実におもしろい。
「鈴木店」を過ぎると次の交差点で左折となった。
この路地を先へ進むと
グラウンドの脇を通り、
突き当たり左手に鳥居が見える。こちらが 須賀 須加神社の横方向からの参道だ。
鳥居をくぐり、
メインの参道へ出ると見覚えがある風景だった。
たしか「神宮巡々」に記録を残したはずなので、「神宮巡々」にて「須賀神社」をキーワードにして検索したが見当たらなかった。思い違い?、いや確かにこの神社には来たことがある。過去の撮影リストを確認したところ該当する神社を発見、2010年10月23日に訪問していた。ただし、これらの写真は「神宮巡々」には掲載されずに温存されていた。ここで当時の写真を掲載すると共に社名が「須加神社」であることを再確認した。
2010年10月23日に撮影した写真
こちらが社頭で、社標には確かに「須加神社」の文字が刻されている。
こちらが説明板で、
こちらが御祭神の紹介だ。
なお、お伊勢さん125社めぐりの外城田めぐり等で見かける「禁殺生」の石柱がここにもあった。
さらに「須加神社」の名が入った古い社標等も建っている。
鳥居をくぐり参道を進むとこの場所、先の写真と同じ場所だ。
さらに拝殿へ上がる石階の袖石には「宝永二年」と刻されていた。
以上、 2010年10月23日撮影分
当神社の社名は、近鉄コースマップにもみえ歴史街道ウォーキングマップの「初瀬街道」版にも「須賀神社」と記されていたが、ここでは実物の社標に基づいて「須加神社」と記述することにした。
社務所の前を通ると氏子衆だろうか? 熱心に話し合っていた。
拝殿への石階を上がり
拝殿で参拝後、振り返ると
この風景だ。「見下げてご覧・・・(こんな言い回しはあるのだろうか)」
参拝を終えると先ほどの参道を戻った。すると鳥居の手前に山神が並列している。さらに奥には祠があり、その左手には「三社荒太神」と刻された小さな石柱が建っている。木の根元あたりに。
須加神社を出ると右手の細い道を進み、
ふるさと会館へ向かった。
ここの二階には松阪市嬉野考古館が設置されていて、日本最古の『墨書土器』が展示されていた。
二階へ上がると「嬉野町歴史資料館」の文字が見えるが、市町村合併で松阪市になっているので現在はここが松阪市嬉野考古館のようだ。
左手の入口を入ると真っ先にこの器が目に入った。口縁の部分に薄く「田」の字が見える。
ピンボケだが、「田」字墨書土器と説明書きがあった。
その他にも嬉野周辺に関する遺物が展示されていた。
展示室の最奥には「釜生田辻垣内瓦窯群出土鴟尾(かもだつじがいとがようぐんしゅつどしび)」
ふるさと館から初瀬街道へ戻り、少し進むと左手に須加神社の社叢、社頭が見えた。
コースマップに従い、権現前
須賀領交差点を過ぎて
しばらく歩くと前方左側に社叢が見えてきた。中原神社の社叢だ。
右側の木屋酒店を過ぎると
中原神社の社域の隅に説明板が建っている。
車道からでも垣根の切れ目から拝殿が見えたのでパチリ。
さらに社頭へ進んでパチリ。
鳥居をくぐり、手水舎で手水を使わずにつもりで心身を清めた。
手水舎の左側にはこの頭でっかちな常夜燈が建っている。
何ともバランスが悪そうだ。
この常夜燈のフェンスの近くにある石には盃状穴のような多数の凹が見られた。
参道を進むと合祀百年記念碑がある。そういえば、先の小川神社にも合祀百年記念碑が建っていた。
さらに参道を進み、
拝殿で参拝した。
中原神社の本殿は白色だ。
拝殿の左手前、こちらが社務所で、
拝殿の右側には山神が立ち並ぶ。
山神の正面には先程とは別の参道があり、路面が苔むしていた。
中原神社を後にして、近くにある常夜燈へ向かった。
常夜燈から中原神社の社頭へ戻り、南方向へ向かった。
しばらくは周囲に田畑が広がる直線路を黙々と歩いた。
水路を越え、
集落へ入ると
左の角にこの常夜燈。
竿石はコンクリートで復元されているようだ。「安政」の文字が見えるが素材と年代とのアンバランスが悲しい。
コースを進むと三渡川にたどり着く。しばらくは三渡川に沿って進むことになる。
時代を感じさせてくれる建物の前を通り
さらに進むと「二級河川 三渡川(みわたりがわ) 三重県」の標識がある。
左岸の堤防を進むと
左手に中原排水機場が見えてくる。
中原排水機場の前には三渡川と堀坂川との合流地点がある。
コースマップ(5060)地点である「 近鉄 踏切道 伊勢中原」を越え、
さらに、三渡川の左岸を進むと
すすきが秋を感じさせてくれた。
この先で巡見橋を渡った。
巡見橋の途中で三渡川の下流方向をパチリ。
巡見橋を渡ると、歩く場所が左岸から右岸へ移り
その先にはJR紀勢本線が走っている。
踏切で三渡川方面を見てパチリ。
ここは文字通り、JR三渡川踏切だ。
前方へさらに進むと堤防の切れ目から三渡橋が見えた。あの辺が六軒追分。
橋の詰めまで進むと道標が建っている。
「右 いせみち」「い加”ごへ追分(漢字に点々は付けられないのでダブルコーテーションで代用)」
その裏側には「やまとめぐり加うや道」「大和・・・」
三渡橋を渡ってみた。橋の途中で上流側をパチリ。
さらに下流側をパチリ。
渡りきってから振り返って道標の向かいに建つ常夜燈に向かってパチリ。
さらに橋を渡り返し、常夜燈をパチリ・・。
竿石には「文政」の文字が見える。
この近くに伊勢講の講札や旅籠の看板を保存している「いそべや」があるはずだが、その場所は更地になっていた。講札や看板はどこへ行ってしまったのか?
気を取り直して先へ進むことにした。
街道沿いの建物には屋号を示す木札が吊るされている。ここは、
「大坂屋」。
ここは松阪市「市場庄町」の標識があり、古い町並みが町ぐるみで保存されている。
往時を忍ばせる雰囲気の建物が多くを占めている。ここは、
手作り料理店「菜乃穂」で、屋号は「藤音」だ。
こちらは屋号「米銀」跡。
古い町並みの雰囲気を楽しみながらさらに進むと、蔵の前に「忘井之道」の道標が見える。
この後は、1/2へ続く。
【 20111113の記録 】
- 近鉄 お伊勢参りの独自オプション(川合高岡駅~伊勢中川駅)
- 近鉄 お伊勢参り 第八回 その1/2 近鉄 伊勢中川駅から忘井へ
- 近鉄 お伊勢参り 第八回 その2/2 忘井から近鉄 松阪駅へ