2011年11月26日(土) 近鉄 お伊勢参り 第六回 その1/2 近鉄 伊賀神戸駅から阿保宿の大常夜燈へ (中止分の自主実施) (電車、徒歩)
近鉄 お伊勢参りハイキング にて大阪から伊勢の神宮を目指しているが、第六回の「平成23年9月4日(日) 常夜灯や旅籠の講看板に往時を偲ぶ」は台風12号の影響で中止された。
近鉄125社めぐり とともに踏破を目指しているので、いつかは第6回のコースを歩こうと思っていた。今日は珍しく予定が入っていなかったので自主的に実施することにした。
8時半頃からの歩き始めを目指し、伊勢市駅を7時34分に発車する名古屋行急行に乗車した。伊勢中川駅で上本町行急行に乗り換えると8時35分に伊賀神戸駅へ到着した。
今日はスタートの受付がないので正式なコースマップは入手できなかったので、上述のサイトから次の簡易マップをダウンロードしておいた。なお、このコースは伊賀神戸駅から初瀬街道までの距離が長く、全体の3分の1以上あるのではないだろうか?
また、これだけでは詳細が分からないため、みえ歴史街道ウォーキングマップも併用した。
【補足】
- コース周辺の道標、常夜燈などについては、みえ歴史街道ウォーキングマップの「初瀬街道」版を参考にしたため、写真のタイト ルに「(み歴マ 初瀬 114)」とある場合は「みえ歴史街道ウォーキングマップ初瀬街道の(114)」を示している。
近鉄 伊賀神戸駅を出て、前の道路を右へ向かった。途中に自転車預り所があったので振り返ってパチリ。
次の丁字路で右折して踏切を渡った。
手前の単線路は伊賀鉄道のもので、この先は伊賀上野へ向かっている。
ここの踏切は近鉄 踏切道 伊賀神戸 第一号だ。
踏切を渡るとイチョウの木がある。ここは左だ。
その根元には地蔵と「南無・」と刻された石柱が建っている。石柱の「南無・」の文字の左右には「左・」「右・」の文字が見えるがその下の文字を確認することができなかった。
道路に落ちているイチョウの葉を見ると、表面には霜が降りていた。
イチョウの木を右に見ながら左の道を進むと木津川沿いの細い道となる。
左手に水面に反射する朝陽がまぶしい。
木津川沿いをしばらく歩くと右手に弁財天の幟が立っていた。
石段を上がるとこの祠が建っている。先の「弁財天縁起」によるとこの上には平維義の女房の墓があるとのこと。登れそうだがこの後の工程を考慮し、今回は弁財天の上に向かうのを諦めた。
弁財天を後にして視界が開けた先へ向かうと
すぐ左手に上瀬橋が架かっている。
上流方向は穏やかに流れているが、
下流方向はこのように波立っていた。
さらに橋の先には「上瀬橋架設記念碑」が建っている。
上瀬橋を後にして
さらに木津川を遡ると右手に水路、
さらに前方右手には七見峠があると思われる山並が見える。
また、左手には川の向こうに
常夜燈と石碑が見えた。
さらに進むと道路が直角に右折した。ここまでは(簡易)コースマップ通りだ。とは言ってもまだ初瀬街道へは出ていない。
さらに進むとその先には塚原橋が見えた。
さらに近づくとこれだ。ここでは橋を渡らずに、
木津川に沿って右手の路へ。
途中で高瀬ポンプ場を右に見ると、
木津川はその先で
折れ曲がるように湾曲している。
ここから木津川と離れさらに進むとその先には
木津川に合流する三谷川に架かる西山橋に出る。
橋を渡り、その先で左を見ると遠くに塚原橋が見えた。
道なりに進むと
国道165号線に突き当たる。カーブミラーの左手には「初瀬街道」の案内板があり、ここから初瀬街道となる。
道路を渡りすこし右へ進み、振り返ってパチリ。ここを右へ進んだ。
その先のカーブの角に次の石標が建っている。が、何と彫られているかは?
ここを道なりに右へ進むとその先には、左手、さらにその先右手にも常夜燈が見える。
まず、手前左側の水神碑と常夜燈。
拡大して、水神碑、
さらに常夜燈(燈明と刻されている)。
さらにその先の常夜燈を通りすぎてから振り返ってパチリ。
正面から撮ると逆光だった。
太陽が隠れるようにパチリ。ただし、露出が・・・。
さらに進み、次は羽根橋の近くの常夜燈。
近づいて、後ろ側からパチリ。
さらに前からもパチリ。
羽根橋を渡った。
前深瀬川の水は川床が見えるほど澄んでいた。
橋を渡り、民家の間を進むと安楽寺の近くへ出る。そこで振り返ってパチリ。
こちらが安楽寺。
見事に彫刻されている山門をくぐると
手水舎、さらにその先に本堂が見える。
本堂でパチリ。
手水舎の手前まで戻るとその左手には石造仏群がある。
なかでも道路側のこちらの道祖神などの石仏はかなり古そうだ。
安楽寺を出て、さらに進むと常夜燈と地蔵群(み歴マ 初瀬 110)の手前、道路脇に水場があった。今までも道路の端を暗渠で流れる水音が大きいのが気になっていた。かなりの量の水が勢いよく流れていた。水が豊富な場所だ。道路脇にこのような水場が点在しているのだから、ここも生活の場になっているのだろう。
そして、こちらが地蔵群と常夜燈。
この近くに蔵があり、その壁面にはわらや窯(一閑堂)の陶芸教室のポスターが貼ってあった。
路地を入ると焼きあがった陶器が並べられていた。
元のルートへ戻るとその先には直角に右折する角に
常夜燈が建っている。
ここを右折するとその先には右手、一段下がった所に庚申碑等が建っている。
道路からパチリ。
河川敷へ下りて、庚申碑をパチリ。
この碑の裏側へ回ると、碑の下部に石を詰めて安定化されていた。この詰め石はいつの時代からのものだろうか?
さらにこの周辺をパチリ、パチリ。
庚申碑の近くに次の石仏が建っている。
また、川沿いには
このような水場が確保されている? (この日は十分な水はなかったが・・)
ここからは川を離れてさらに進み、十字路を直進すると
左手に秋っぽい雰囲気を見つけた。
さらに歩くと阿保宿としての宿場の雰囲気が感じられた。
道路脇にはこの飾りがあった。
さらに進むと、この辺りでもっとも大きな常夜燈が建っている。
その前には、この石碑、
その左手には延命地蔵尊が建っている。
常夜燈の前には「阿保西部の常夜燈」と題した案内板が建つ。
こちらがその常夜燈だ。
パチリ、
パチリ。「安政七年」とある。
ここから常夜燈を背に息速別命の陵墓へ向かったが、その前にもう一度常夜燈をパチリ。
【 20111126の記録 】 近鉄 お伊勢参り 第六回(中止分の自主実施)
- その1/2 近鉄 伊賀神戸駅から阿保宿の大常夜燈へ
- その2/2 息速別命の陵墓から近鉄 青山町駅へ
→ 大村神社(み歴マ 初瀬96)