2012年03月28日(水) 清盛楠(外宮)、実は重盛楠?
2012年03月24日(土)の記事 清盛楠(外宮) に対して、p_m_a さんから次のコメントを頂きました。
この楠についてですが、宇治山田市史の記述(上巻828頁)とは異なっている点(重盛楠が清盛楠とよばれるようになったとの記述があります。ここでは勅使 も重盛であったと記述されています)があり、歴史の考証が、今と昔では違っていたから(だろう)とはいえ、「どちらを参考とするか」で案内人も困りますよ ね。
どういうふうな形で実際、案内人の方々は案内をされているんでしょうか。ここについては、非常に疑問だし、興味があります。
ただ、「誤って伝わった」としている点からも聞きづてなのだろうと思いますが、何せ市史とはいえ、80年以上たつ古いものですからね・・・。
思い込みとは怖いものなので、早速、私も宇治山田市史(昭和四年発行)を読んでみました。
すると、たしかに828頁には、次の記述があります。
清盛楠(きよもりくす) 外宮一鳥居御橋を渡つて参道の右側にある老樹で、両宮神域の樹木を通じて胸高直径の最大なるものである。凡そ七百五六十年前に平重盛が勅使として参向した時、其の枝が御橋の上までさしかゝり。冠(或は乗輿)に障るによつて枝を伐取らせたので、世人重盛楠と称したのを、何時しか清盛楠と誤傳したものと云はれて居る。
確かに、この記述では、平重盛が勅使として差遣された際、この楠の枝を伐取らせた。本来『重盛楠』と呼ばれていたものがいつしか誤って『清盛楠』と呼ばれるようになった。
市史の情報源はどこなんだろう? 時間をかけて調査しようと思うが、まずは情報の呼びかけを・・・
「重盛楠(しげもりくす)のこと、誰か知りませんか?」
【余談】
今日は図書館へ行く時間がなかったため、インターネットで「宇治山田市史」検索したところ、何とGoogle Books に収録されていた。