2012年04月07日(土) 外宮奉納見学の後で、外宮めぐり (徒歩)
せんぐう館開館奉祝 外宮奉納 を見学した後、式年遷宮記念せんぐう館の開館となるまで外宮ないをお参りした。
大庭に御座す四至神にお参りしてから御正宮へ向かった。
御正宮へお参りを済ませると、先日上棟祭が斎行された新御敷地の様子を伺ったが、覆屋が掛けられたままの状態でその変化は分からなかった。
そして、三ツ石の前を通り、
別宮へ向かうために亀石を渡る際、
この光景をパチリ。三ツ石の前に御池から勾玉池への流れだ。この先には参道の雰囲気とはまったく異なった雰囲気が広がっている。
寄り道から元に戻ると再び寄り道だ。私が大好きな風宮。パチリ、
パチリ。
まずは、多賀宮への石階を登るとその先では参道の玉砂利が均されていた。
多賀宮の前、
この幹はかなり触られて、表皮が剥けている。先日、TVだったろうか、「表皮が剥がれると木が死んでしまう。」と聞いた。一人が一回でも参拝者数を掛ければ、かなりのダメージになるだろう。
しばらくするとここにも竹囲いが付けられてしまうのか?などと思いながら多賀宮にお参りした。
また、寝地蔵石の近くに立つ
こちらも同様だ。参道側の幹はつるつるになり、色が変わっている。
そうこうしている間に9時頃になってしまった。今日の最大の目的はせんぐう館に入館することなので、せんぐう館へと引き返すことにした。
多賀宮から石階を下り、風宮の横を通り過ぎ、大庭の前を通りすぎようとした時、淡いピンク色が目に入った。五丈殿の奥に桜の花が見えた。
とりあえず、急ぎ足で桜の花だけをパチリ。
その後、神楽殿の前で棚に並べられた外宮奉納品を手短にパチリとしてから「式年遷宮記念せんぐう館」へ向かった。
【参考】 式年遷宮記念せんぐう館開館、勾玉池
せんぐう館の見学を終えると
先日、p_m_a さんからコメントを頂いた清盛楠(実は、重盛楠?かも)をパチリ。
【参考】 清盛楠(外宮)、実は重盛楠?
かなりの歴史を感じされるこの風貌、
ここにも穴が開いている。
こちらにも。幹が二つに割れているだけじゃないんだ。
この後、表参道から火除橋を渡る途中
左手に橋が見えた。御塩橋だ。
【参考】 御塩道その2/2(汐合橋から外宮斎館へ)
火除橋を渡り北御門口へ出ると「外宮奉納市」の看板が立っていたが、
まずは、
外宮バス停前広場で開催されている「せんぐう館開館奉祝 伊勢楽市」会場へ向かった。
【 20120407の記録 】
- せんぐう館開館奉祝 外宮奉納
- 外宮奉納見学の後で、外宮めぐり
→ 式年遷宮記念せんぐう館開館、勾玉池 - せんぐう館開館奉祝 伊勢楽市と外宮参道
- 「伊勢神話への旅」宮澤正明写真展
- せんぐう館開館奉祝 外宮奉納市
- お伊勢さん125社 宮川めぐり、外宮めぐり
→ 坂社、伊勢上座蛭子社
→ 上社
→ 桜(宮川堤)、桜の渡し - 高向大社
- 御薗神社、大水神社
- 桜(御薗橋跡付近)
ご無沙汰しております。
清盛楠についてですが、神都名勝誌巻の二、四十二では、清盛楠としか記述されておらず、重盛の名は出てきません。
また、茶話 伊勢山田という非売品(限定300部)というものには、参拝の主は重盛という人もいる。伊勢参宮名所図会にも重盛と書いてあるとの旨記されています。
ただ、それにはまあ、重盛はそういうことをするものではないとも書かれております。
さらに、何人によるも一言に清盛楠という、重盛楠とは言わぬともあります。
あとは当たるとすれば、この「伊勢参宮名所図会」くらいかなと思います。
この本たちは、いずれも図書館の1階、郷土史のコーナーにおかれています。
p_m_aさん
こんばんは、詳細な情報ありがとうございます。
「神都名勝誌」や「茶話 伊勢山田」にも目を通されたんですね。「茶話 伊勢山田」が郷土史のコーナーに置かれていたとは気がつきませんでした。
なお、「伊勢参宮名所図会」については、テーマで見る「三重」貴重資料閲覧システム でも紹介したように、インターネット上のアーカイブとして閲覧できるので確認してみました。
本書には絵とともに清盛楠の名で紹介されていますが、内容は宇治山田市史の記述と同一です。つまり、重盛が参向した際に冠に障るからと枝を切らせたが、後には誤って清盛楠と伝えられている。と・・・
真相は何とも言えませんね!
今後もよろしくお願いします。
では、また、