2012年05月05日(土) 猿田彦神社 御田植祭(おみた) (車、徒歩)
五月五日、猿田彦神社で御田植祭、通称「おみた」が斎行された。
一昨年に初めて「おみた」を拝観したが昨年は機会を逸してしまったため、今年は改めてじっくりと拝観したいと思っていた。
【参考】 倭姫宮 春の例大祭、猿田彦神社 御田植祭ほか (2010年05月05日の記録)
今年のGWは中盤の天候がすぐれず雨を覚悟していたところ、本日は天候が回復し日差しが強く暑い一日となった。
私が猿田彦神社へ到着したのが12時半。拝殿前では太鼓の演奏が始まり、参列者が集まっていた。
私の本日の目的は神田祭場のとある場所から撮影すること。そのため、拝殿での儀式には参列せずに神田祭場で待機することにした。拝殿前から本殿の裏手にある神田祭場へ向かう途中、儀式が始まる前の拝殿内をパチリ。
神田祭場へ到着するとこの場所にて一時間ほど待機することになった。その間、背後から聞こえる雅楽の演奏で儀式の成り行きを想像していた。
拝殿での儀式が終了すると、神職の参進に続き、玉苗を手にした八乙女(やおとめ)、田楽を奏でる囃子方(はやしかた)、そして田植えをする植方(うえかた)が神田祭場の南側から登場した。
神職は神田の右手(東)から、八乙女および囃子方、植方は左手(西)からそれぞれが定められた位置へ向かった。
最初に「降神の儀(神様を神籬(ひもろぎ)へお迎えする儀式)」が始まり、「オー・・・・・・」と警蹕(けいひつ)が発せられた。
神様のお迎えに続き、「献饌の儀(神様に神饌をお供えする)」が執り行われた。神饌として「トビウオ」もお供えされた。
続いて、八乙女が玉苗を神前へ運び、それらは案の上に並べられた。
神饌、玉苗が準備されると、宮司により祝詞が奏上された。
以上で、御田植の準備が整うと植方は神田の西側へ進み、玉苗は八乙女に戻された。
植方が一列に揃うと
順次、神田へ足を踏み入れた。
巫女に先導された八乙女は
玉苗を植方に丁寧に手渡した。
そして、囃子方が笛や太鼓で田楽を奏するなか御田植が開始された。
苗を植える位置は木の杭で紐を張り、その紐が目印となっている。
植方の衣装は桃山時代の風俗を残した装束らしい。女性も、
そして、男性も。
玉苗が次々に植えられていった。西の端から東の端まですべて隙間なく植えられるまで・・・
植方の手から苗がなくなると、新たな苗が神田の畔から植方の背後へ投げ込まれた。
植方は背後の苗を取り、植える、植える・・・ 畔から投げられる、植えるの繰り返しが何度も何度も繰り替えされた。
御田植が神田の中央辺りまで進むと神前では「撤饌の儀(お供えした神饌をお下げする)」が開始された。
すべての神饌が下げられた頃、
神田祭場内でも動きがあった。植方が手にしている苗が回収され始めた。「苗を取り替えてください。」と声が掛かった。
植方の手にあった苗はこちらのものと交換され、後半はこれらの苗が植えられた。私は苗を交換する理由が分からずにずっと疑問に思っていた。
ところが、帰宅後に「伊勢志摩経済新聞」の記事を読み、その理由が分かった。その記事には
うるち米(コシヒカリ)ともち米(カグラモチ)の2種類の苗を植え
とあった。これだ、納得!
【参考】 変な踊り「ハエーヤハエ」で豊年願う-伊勢・猿田彦神社でお田植え祭り (伊勢志摩経済新聞)
先ほど話題にした、「苗が神田の畔から投じられる」のが次の写真。
こちらの写真も。
そして、広い神田での御田植はそろそろ終盤を迎えた。
私が撮影したかったはこれから数枚の写真だ。
広い神田の端から端まで苗が植えられ、
最後一列を残すと
植方は方向転換し、仕上げとなる。
皆さん、お疲れ様でした。
以上で御田植は終了した。
この後、神田の東西に準備されていた大きな団扇による団扇角力(うちわずもう)が実施された。
東の団扇には「大黒」が描かれ、
西の団扇には「恵比寿」が描かれている。
両者が戦い、豊漁が豊作が占われる。
角力といってもがっぷり四つに組むのではなく、
大団扇を手にした植方がゆったりと神田内を反時計回りに?周し、(何周回ったかは数えていなかったので?)
最後に団扇を合わせると
合わせた状態で南側へ、続いて北側へ、そして最後に南側へゆったりと倒された。
団扇角力が終了した。ちなみに今年の勝者は「大黒」、五穀豊穣だ。
そして、神田祭場では「昇神の儀(神籬(ひもろぎ)にお迎えした神様をお戻しする儀式)」となり、「降神の儀」と同様に「オー・・・・・・」と警蹕(けいひつ)が発せられた。
これで神様は神田前の神籬(ひもろぎ)から離れ、戻られた。
以上で、神田祭場での儀式が終了すると、
会場は拝殿前へと移され、
拝殿の前には先ほど団扇角力を繰り広げた大団扇が立てかけられた。
「恵比寿」と
「大黒」 (今年の勝者)
準備が整うと
囃子方を先頭に、
植方が登場した。
拝殿前に整列し、
神職および八乙女に挨拶を済ませると
囃子方は拝殿の左手へ移動した。植方は二手に別れ、「豊年踊り」が開始された。
「ハエ~ヤハエ、ハエ~ヤハエ・・・」の掛け声とともに踊られ、
一連のパターンが何度も繰り替えされた。
その後、踊りの種類が変わり、船漕ぎのしぐさ、
さらには、俵に見立てた鼓に藁を巻き付け
それを担ぐ、
ところが、俵が重過ぎて
倒れてしまう。滑稽な演出も含まれている。
その後、担ぎ手を交代しながら・・・
最後は元のパターンに戻り、何度か一連のパターンを繰り返すと
「豊年踊り」が終了した。
その後、囃子方の代表者による笛と太鼓の演奏があり、
御田植祭(おみた)が終了したかに見えるが、
実は、参列者が期待するのはこの後の儀式のようだった。
それは、団扇角力に使用された団扇を破る「団扇破り」、団扇の紙片を手に入れると一年間のお守りになる。これは神宮神田での儀式と同様だ。
【参考】 神田御田植初(神宮神田、大土御祖神社)
まずは、宮司が大団扇の一部を破ると、「大黒」と「恵比寿」は参列者の前に準備された。
合図とともに団扇が倒されると、参列者が一気に駆け寄った。
二本の大団扇は一瞬にして骨組みだけの状態になってしまった。幸おおかれ!
以上で、御田植祭(おみた)が終了し、植方や囃子方も帰路へ。
私は神田の様子を確認するために歩いている際、植方として奉仕された方に伺った。「お疲れさまです。ところで、神宮神田でもご奉仕されていますか?」、実は神宮神田の御田植初にて見かけた方が多いように思えたためだ。すると「はい、ほとんどの人が神宮神田でも・・・」との答えをいただいた。さらに、「ありがたいことですが、ゴールデンウィークはありません。」とのこと。来週は神宮神田での御田植初、本当にありがたいことだ。(感謝)
そして、神田では後片付けが進められており、
猿田彦神社のボーイスカウトがテントを撤収していた。