2012年07月08日(日) 私が訪ねた~上野まち~ (車、徒歩)
本日は伊賀市上野農人町にて「上野城下町遺跡(第5次)」現地説明会が開催されたので余裕をもって到着するように車を走らせた。今は伊賀市であるが、以前は上野市。私は車を運転しながら、西尾たかしが歌った「上野市(うえのまち)」を口ずさんでいた。「わたしが訪ねたうえのまち、忍者屋敷のうえのまち、桑町、茅町、広小路・・・」
そういえば、伊賀上野の町を歩き回ったことがなかったのだ。今日の目的は「上野城下町遺跡(第5次)」の見学であるが、第二の目的を伊賀上野散策と決めた。
中勢バイパスが久居までは開通しているので、青山峠を越え、阿保を経由しても1時間半余りで伊賀市役所へ到着し、 伊賀市役所の前にある市庁舎駐車場に車を駐めた。
市営駐車場は500円/回なので時間を気にすることなく徹底的に観光に集中できる。
現在9時過ぎ、遺跡の現地説明会の開始は10時半だから一時間以上も時間に余裕ができた。観光マップやパンフレットを求めて、伊賀鉄道の上野市駅へ向う途中、信号がある踏切から線路の先に見えた上野市駅をパチリ。
ズームすると忍者列車を撮影している人が二人。
芭蕉翁銅像を過ぎて、上野市駅へ向かうと
観光案内所はもぬけの殻になっていた。(あとで分かったことだが、5月に駅前に竣工したハイトピア伊賀へ移動したそうだ。)
そんなこととは知らずに、先ほど車を駐めた駐車場の先にあるだんじり会館の観光協会へ向かった。
だんじり会館の正面を通り過ぎ、右折すると伊賀上野地場産買物処が併設された伊賀上野観光協会へたどり着く。
観光協会カウンターで伊賀上野に関する多数のマップやパンフレットを手にしたところ、観光協会の女性が気をきかせて封筒を差し出してくれた。(感謝)
今日は、ここでもらった「伊賀上野総地図」を折りたたんで利用することにした。これだ。
まずは第一の目的である遺跡の現地説明会に参加するため、伊賀市上野農人町へ向かった。
途中、左手に「史跡 芭蕉翁誕生の地」の標石が建っている。
こちらが芭蕉翁の生家で、こちらは入口ではなさそうだ。
さらに、先へ進むと次の説明板があり、
こちらが入口となっている。今日は見学せずに遺跡の発掘現場へ向かった。
【参考】 上野城下町遺跡(5次)~伊賀市上野農人町~現地説明会
上野城下町遺跡(5次)現地説明会が終了すると、第二の目的である伊賀上野の散策のため来た道を戻った。丸之内交差点まで戻ると上野市駅付近にカメラを携えた人が多数いたことを思い出し、寄り道することにした。
上野市駅では「860系車両さよなら撮影会」が実施されていたのだ。私は「鉄ちゃん」ではないが、せっかくの機会なのでマニアに混じってパチリ・・・。
【参考】 860系車両さよなら撮影会
あまりこの雰囲気には馴染めなかったので、撮影会を早々に後にした。伊賀上野城を見学するためだんじり会館の前を左折した。
蛇谷堀(蛇池)を通り過ぎ、
公園前のロータリーから右手の坂道を上り、上野公園へ入った。
緑に覆われた通路を道なりに進むと左側に祠と石塔が立ち並んでいた。(お参り)
通路の右手にある忍者屋敷ではすでにショーが始まっていたので、その前を通り過ぎ
俳聖殿まで進んだ。
俳聖殿は上段と下段の屋根の形状の差異が個性的で魅力的だ。マントを着た人がハットを被っている?、それとも傘が帽子を・・・
こちらの説明板の付近からも
パチリ。
さらに俳聖殿の正面へ進むと、その中央には芭蕉翁の坐像が据えられている。まさに仏像のようだ。
俳聖殿を後にして公園内を散策すると、ここには小さな祠やお稲荷さんがある。
お稲荷さんの手水舎、特に手水石には趣きがあったのでパチリ。
赤い鳥居をくぐり・・・、こちらにもお参り。
その後、伊賀上野城への途中、俳聖殿への門をパチリ。
この門を通り過ぎると、高石垣と堀の周囲をぐるりと巡ってから天守閣を見学した。
【参考】 伊賀上野城
伊賀上野城の見学を終えると、先に紹介した西岡たかしの「上野市(うえのまち)」の歌詞を逆に辿ろうと思った。
屋敷跡の標石が二ヶ所。
午前中に遺跡の現場説明会会場へ向かう際にも歩いた上野郵便局の前を通り過ぎ、もうひとつ先の路地を右折した。ここは綺麗な十字路ではなく、変則の十字路だ。
この路地で大丈夫か?と不安に思いながら歩いていたが、手にした地図と目の前の看板「う料理 たつた」が一致した。この通りで正解。この先が寺町だ。
この先で、伊賀鉄道の線路を渡る。その際、左手に「広小路駅」が見えた。「桑町、茅町、広小路」を逆向することになる。桑町までは行けないとは思うが、行けるところまで・・・
寺町通りをさらに進むと、
文字通り、通りの左右にはお寺が建ち並んでいる。
上行寺、
妙昌寺、
妙典寺、
善福院、
万福寺、
念佛寺、
大超寺。
これだけお寺があっても、それぞれが成立しているということが檀家が分散し、維持されているということ。見事な寺町だ。
茅町駅まで300mの道標を見て、俄然やる気が沸いてきた。
ほどなく、左手には伊賀鉄道の茅町駅が見えてきた。
この後は、桑町まで行くことは断念し、茅町駅の近くにある恵美須神社へお参りした。
【参考】 恵美須神社(伊賀市上野恵美須町)
恵美須神社にてお参りを済ませると通りを一本ずらして折り返すことにした。その先には菅原神社(上野天神宮)があるはずだ。直線ではなく湾曲した、いかにも昔ながらの道を進むと
前方に社叢が確認できた辺りで、右手に大きな「通行禁止」の立札があった。気になったので、何故だろうと周囲を見渡すと、
右隣に鳥居が見えたので、「通行禁止」のことは忘れてしまい、
鳥居をくぐっていた。
鳥居をくぐると手水舎の奥が崩れかかっていた。これが「通行禁止」の理由だと気づかされ、「通行禁止」が頭に蘇った。それにしても荒れた神社だ。
狭く、手入れされていない参道を進むとその奥には、藤高神社由緒之碑が建っていた。
しかし、拝殿を覗くと
この状態で、かなりの期間清掃されていない様子だった。
寺町の善福院と背中合わせにあるこの神社が何とも哀れに思えてしまった。今はお守りする人もいないのだろう。残念なことだ。
少し悲しい気持ちで、先ほどの通りへ戻り、前方に見える立派な社叢へ向かった。その社叢は菅原神社(上野天神宮)のものであり、こちらには時間をかけてお参りした。
【参考】 菅原神社(上野天神宮)
菅原神社(上野天神宮)にてお参りを終えると、社頭にあるだんじり蔵を右手に見ながら本町筋銀座通り(東之立町通り)の辻へ向かった。
ここで横断歩道を渡り、その一本左手の路地を進むと
そこには、かぎや餅店があった。
【参考】 かぎや餅店
かぎや餅店でお菓子を求めると本日の散策を終えることにした。駐車場へ戻ろうとすると前方に石柱が見えた。最近は石碑や石柱などがよく目に付くようになった。
染と織 たかはしのお店の前には
上野町元標と刻された道路元標が建っていた。
別の面には、「三重縣阿山郡上野」の文字が見られた。
以上で、駐車場へ戻り、帰途についた。今日もかなり充実した一日だった。
【 20120708の記録 】
- 私が訪ねた~上野まち~
→ 上野城下町遺跡(5次)~伊賀市上野農人町~現地説明会
→ 860系車両さよなら撮影会
→ 伊賀上野城
→ 恵美須神社(伊賀市上野恵美須町)
→ 菅原神社(上野天神宮)
→ かぎや餅店