2012年10月13日(土) 「神島ウォーク」前後の鳥羽散策 (車、徒歩)
今日は、横山ビジターセンター企画による「神島ウォーク」に参加したが島でのウォーキング時間が短いのでウォーミングアップがてら鳥羽市内を散策しつつ集合場所である鳥羽マリンターミナルへ向かった。
鳥羽市民の森公園で小動物に「おはよう」と挨拶しながら
公園を抜けると、滑り台になっている大型遊具ガリバーにも挨拶してから公園を後にした。
県道750号線の下をトンネルでくぐり、加茂川の右岸を遡上して安楽島橋を渡った。まず最初の目的地はお伊勢さん125社のひとつでもある赤崎神社だ。前方右手に見える社叢がそうだ。
安楽島橋を渡り、右折すると次の道路案内板が見える。
道なりに左へカーブするとすぐ左側が赤崎神社の社域への入口。社域へ入るとまず目に付くのが「左 赤崎大明神道」の道標だ。
以前の道はどのような経路を辿っていたのだろう?
参道を進み右へ折れると石段となるが、石段の下にある手水舎で心身を清めてから石段を登った。
鳥居の先には赤崎神社。こちらでは私も御神杉を授与していただいているので思い入れが深い神社だ。
【参考】
赤崎神社を出てから旧道を鳥羽駅方向へ歩いていると干物が作られていた。店の看板は「魚秀」。
さらに進むと柔らかいクランクの先に旧広野家住宅が建っている。通りすぎてから振り返ってパチリ。
以前にも見かけた。
【参考】神宮巡々での旧広野家住宅の記録
ところが、現在外観は新しくなっていて、
建物の左側の上部には多数の薬の看板が掛けられていた。薬舗を再現しているのだろう。
旧広野家住宅を背にしてさらに進むと前方の高台には旧鳥羽小学校校舎が見える。
突き当たりを右折して、その先の近鉄中之郷駅手前で折り返して坂道を登ると旧鳥羽小学校へたどり着く。
鳥羽城本丸跡へ続く校舎脇の階段を登ると校舎のガラス窓に次の貼紙を発見した。
旧鳥羽小学校校舎は国の登録有形文化財です。
旧鳥羽小学校校舎は、昭和4年に建築された建物です。昭和初期につくられたわが国の小学校建築の秀作のひとつです。設計者は、清水栄二で、昭和初期につくられたわが国の小学校建築の秀作のひとつです。現存するものとして、三重県最古のコンクリート建築です。
さらに、鳥羽城本丸跡への階段を進むと、
旧鳥羽小学校校舎の屋上が見えたのでパチリ。
鳥羽城本丸跡へ到着するとその先には
発掘中の場所があった。
ここには以前、発掘調査現地説明会で訪れたこともある。
【参考】 鳥羽城跡(第6次)発掘調査現地説明会
これから向かう鳥羽マリンターミナルの方向を遠望。
視線を左へ振ると、「発掘調査中」の看板が立っていた。11月16日までの予定だ。
城山公園 四等三角点まで下り、
さらに、公園の西側にある大山祗神社へと下った。
ここでは石階を上りお参りした。
拝殿の右手奥には小さな御社とお稲荷さんが建っている。
石階を下り右側の狛犬を過ぎ、
さらに坂道の参道を下ると鳥居の先には山へと続く階段が見える。階段の下にはクロネコのトラックが停まり、宅配ドライバーが階段を駆け下りてきた。(大変な仕事だ。)
私は日和山へ向かうため、宅配ドライバーが下ってきた階段を目指して直進した。
すると、東屋の手前に
相橋と刻された親柱を発見。これは旧相橋のものだろう。
東屋の近くには、相橋と橋が架かる妙慶川の説明板があった。
妙慶川は海城であった鳥羽城の堀であり、相橋付近の石垣は江戸時代から残る堀の一部分とのこと。こちらだ。
相橋を渡り、振り返ってパチリ。奥に見えるのは大山祗神社の社叢。
相橋を背にして日和山への階段へ近づくと、突き当たりの店舗の
シャッターには、観光案内が書かれていた。左側は、江戸川乱歩が幾度も登った展望の名所「日和山」
そして、右側は、山本周五郎ゆかりの地「樋の山」とある。
「樋の山」には登ったことがないので登ってみたい。
観光案内シャッターの左手に続く階段へ向かい、一段一段歩を進めた。
階段が途切れると石段となり、その先は山道となる。足場が悪いので、足元はしっかりと固めておいた方が良いだろう。
坂を登りきると「日和山周辺の案合板」へたどり着いた。
ここで日和山方位石方向へ進むと次の道標が建っている。
道標に従って、「見晴台」への階段を進むと途中で次の分岐となる。直進が「見晴台」、
右側は、後で分かることになる。
見晴台には日和山の方位石、幸せの鐘、さらには松尾芭蕉の句碑が建っている。
【参考】
方位石で神島の方角を測ると、およそ寅の方向だ。
そして、この近くには「幸せの鐘」がある。
鐘を鳴らすことも忘れて、本日の本来の目的地である神島を遠望した。
すると伊勢湾フェリーが神島に近づいて行った。
初めて訪れる神島を想像しながら見晴台を後に・・・。
先ほどの道標へ戻る階段の途中で、分岐を思いだしそちらからの下山できるのではないかと思いS気へ進んだ。十数m進んで左手を見上げると「幸せの鐘」の裏側(不幸?)が見えた。
コンクリート舗装された幅の狭い(人が歩ける程度)道をさらに進むとその先には灯台?、いや鳥羽導燈が建っていた。
こちらだ。
「鳥羽導燈」の「導燈」とは何か? 灯台ではないのか?
確かに灯台のように360度全方位ではなく、指向性を持っているようだ。そこで、帰宅後に調べてみると、「導燈」とは光波標識で低い塔と高い塔が一組で進行方向を示すもの。とのこと。
【参考】 航路標識の種類(海上保安庁)
すると、もう一ヶ所高い塔か、低い塔があるはずだ。この件については次のブログで教えてもらった。近くにもっと背の高い塔が建っていたとはまったく気づかなかった。次回の楽しみがひとつ増えた。(ニコニコ)
【参考】 鳥羽導灯 – BMWで山へ!! – Yahoo!ブログ
寄り道の後、道標のところへ戻ると、前方には「戦国武将 鳥羽主水の砦跡」が見える。
そろそろ、「神島ウォーク」の集合時刻が近づいてきたので鳥羽駅をJR側から近鉄側へ通り抜け、海側へ続く陸橋を渡った。その際、ジャロジー窓が開いていたのでパチリ。
集合場所の鳥羽マリンターミナルの近くまで来たところ、まだ時間的に余裕があったため、周辺を散策した。鳥羽マリンターミナルの手前を左(佐田浜西公園方向)へ進むと珍しい歩車道境界の石柱、一本ずつ形状が異なる。
さらに、ぐるりと回ると・・・
鳥羽マリンターミナルの近くに
巡視艇いせゆきが停泊していた。
これは銃?
しばらくすると、
巡視艇まきぐもが戻ってきた。
そして、巡視艇いせゆきの隣に停泊となった。
この後は、「神島ウォーク」の集合場所である鳥羽マリンターミナルへ向かった。
「神島ウォーク」については別の記事で紹介予定。
「神島ウォーク」を終えて鳥羽湾沿いを鳥羽市民の森公園まで戻った。
木造の鳥羽・海辺のプロムナード(カモメの散歩道)を進むと
「2005年グッドデザイン賞受賞」の銘板を発見。
カモメの散歩道を過ぎてさらに進むと三重県警察の取締船あらしまが停泊していた。
その先、鳥羽水族館の前には「大手水門跡」の説明板があり、
その向かい、国道167号線を挟んだ先には鳥羽城三ノ丸広場がある。
再び進行方向へ。目に付いたのはラッコが乗っているポスト。 鳥羽水族館とのコラボ?
この後は鳥羽市民の森公園へ黙々と歩いた。
鳥羽市民の森公園の小動物園でクジャクをパチリ。と、その背後にはフラミンゴの姿が・・・、今日はフラミンゴで始まり、フラミンゴで終わった。
【 20121013 の記録 】
- 「神島ウォーク」前後の鳥羽散策
- 鳥羽マリンターミナル(佐田浜)
- 鳥羽マリンターミナル[佐田浜]~神島(鳥羽市営定期船)
- 神島ウォーク