2012年12月16日(日) 十二月月次祭(外宮)奉幣の儀 2012 (車、徒歩)
昨日は、内宮において執り行われた御卜(みうら)の儀を拝観した。十二月月次祭に奉仕する神職が神の御心にかなうかを占う神事である。
【参考】
火除橋を渡り、左手に建つ手水舎にて心身を清め、第一鳥居をくぐった。右手に建つ斎館では参進の準備が進められていた。
斎館を過ぎてすぐ左手には修祓のために大麻と御塩が準備されていた。御塩はカワラケに上下で包まれ白い帯で封印されていた。
参道を進み第二鳥居をくぐると前方左手にはプレスが控えていた。修祓の様子を撮影するために・・・
その横を通り過ぎ、正宮にお参りした後、別宮遥拝所の近くへ戻った。
この付近ではこれから参進に向けて警備を始める神宮衛士が参拝者の質問に丁寧に答えていた。
その先、神楽殿の前を遠望すると先ほど通り過ぎたプレスの方達がスタンバイしていた。
しばらくすると報鼓が鳴らされ、
目の前を通り過ぎると
板垣南御門の鳥居へと・・・
すると、修祓撮影のために神楽殿の前にいたプレスの集団がその背中を追いかけるように駆け足で蕃塀の脇へと移動した。今度は参進を正面から狙うためだ。
ほどなく、奉幣の儀の参進が正宮へと近づいてきた。
幣帛が納められた辛櫃を先頭に、
(臨時)祭主、黒田清子さん、
続いて、大宮司、少宮司、神職が・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(板垣南御門から先は撮影禁止)
参進の間は参拝は停止されていたが、参進の列が外玉垣南御門を通り抜け、参拝者のための賽銭スペースが復元されると参拝が再開された。
私も外玉垣に張り付き祭儀の最初からほぼ最後までを奉拝することができた。四丈殿で辛櫃から取り出された幣帛は案の上に載せられて・・・。また、小さめの幣帛は辛櫃に納められて運び出された。(多賀宮へ運ばれたのだろうか?)
幣帛が瑞垣へ運ばれるとその後は奉仕員も瑞垣へ向かい祭儀が執り行われた(内玉垣および瑞垣の御門にが御幌がかけられているため、内部でどのようなことが行われているかは?) 瑞垣での祭儀が終了すると祭員は内院から戻られ、玉串奉奠となった。(臨時)祭主と大宮司、少宮司および5名の神職が玉串を奉奠されたが、祭主のみは個別の案があり、より正中に近い場所に配置されていた。
玉串奉奠が終了すると一時参拝は停止となり、出られなくなるため最後2名の神職の玉串奉奠を残して板垣南御門を出た。
そして、この場所で祭主の退下と多賀宮への参進を拝観。
しばらくすると、正宮にて奉幣の儀を終えた祭員が外玉垣南御門を出られた。
いつも感じるが、祭主に付き添われている神職の目配りは優しい。(緊張の連続だろう)
そして、別宮遥拝所を過ぎると祭主の一行は斎館へと退下となった。
その後、速やかに外玉垣南御門は復元された。
そして、皇大神宮の第一別宮である多賀宮にても奉幣の儀を斎行するために大宮司を先頭とした列は多賀宮への石段へと参進した。
最近は多賀宮での祭儀は拝観できないように参拝停止となるため、今日は帰路につくことにした。今夜は内宮の「由貴夕大御饌の儀」を奉拝する機会を得たので心身を清めておこう。
正宮は日常に戻った。
報鼓を鳴らした報鼓所役が引き上げるなか、お伊勢さん観光ガイドの方が参拝者に説明する姿が・・・
そして、初詣を控えて準備された仮設の神札授与所の前をリヤカーが通り過ぎた。(祭儀の片付けのためだ。)
さらに北御門参道を戻ろうとすると大庭を抜けて斎館へ戻る神職の姿。
このような祭儀において目立つのはどうしても祭主、神職であるが、この他にも縁の下の力もちは多数存在している。そうそう、神宮衛士もそうだ。
目に見えないところ、目立たないものを発見、意識できる能力を高め、感謝の気持ちを忘れない。日々の生活でも実践したい。