2013年01月05日(土) お伊勢さん125社 滝原めぐり (車、徒歩)
昨日は伊勢神宮へ参拝に来られた安倍首相のお迎えに出た【キタヰの妻】を送り迎えしたくらいで、それ以外は自宅に籠っていた。
本日は晴天。私のお出掛け虫が騒いだ。【キタヰの妻】に「瀧原宮へ行く?」と聞いたところ「YES」の返事、午後から二人で出かけた。
伊勢から五桂池を経由して国道42号線へ出ると南下した。約一時間ほどで大台町へ到着。
「瀧原宮へ行く?」とは言っても私にとっては「お伊勢さん125社 滝原めぐりに行く?」の意味なので大台警察署を過ぎ、船木大橋を渡るとすぐの信号で左折し多岐原神社を目指した。滝原めぐりは多岐原神社と瀧原宮の宮域(瀧原宮、瀧原竝宮、若宮神社、川島神社を同座する長由介神社)の二ヶ所だ。
信号を左折してから道なりに進み、紀勢自動車道の下を通過してしばらく走ると左側に「多岐原神社」の案内矢印がある。(進行方向によっては見にくい)
とにかく、その矢印に従い坂道を下るとアスファルト舗装の道路から砂利道へ分岐する。道路の角の広い場所に車を駐めさせてもらい、砂利道を進むと
石垣を左へ巻くことになる。この石垣の内側が多岐原神社だ。
正面へたどり着いてまず目に入るのが
禁殺生石。紀州藩が建立したものだそうだ。
石階を上がり参道を進んだ。
鳥居をくぐりお参り。
玉垣の前には
しめ縄と榊が飾られていた。この神社をお世話してくださる家族、崇敬者の思いを感じる。
お参りを終えると先ほど来た参道を戻らずに、さらに先へと(左)進んだ。
その先には宮川が流れ、以前は熊野街道の三瀬の渡し場があった場所。
以前ここへ来た時は対岸に「熊野古道伊勢路」の幟と「三瀬の渡し場跡」の看板があった。
【参考】
- 滝原めぐり 2010年05月09日(日)
周辺を探してみると対岸の上流(左)側に
船だけを確認することができた。
看板等は流されたのだろうか?
たしか2010年10月に宮川流域エコミュージアムの流域案内人企画行事で「三瀬の渡し」を体験できる「熊野古道伊勢路を行く」が企画されたので申し込んだことがあるが、増水のために行事が中止となり渡し船に乗ることはできなかった。今後、渡し船に乗ることはできるのだろうか?
下流(右)側には
以前にも確認できた小さな滝が落ちていた。
河原から多岐原神社へ戻る途中でパチリ。
多岐原神社を通り過ぎ、石垣を右へ巻く途中、木々の切れ間から垣間見えた多岐原神社。
車へ戻ると国道42号線まで来た道を戻り、瀧原宮を目指した。
国道42号線を南下し、瀧原宮前交差点を左折するとそこには「道の駅 木つつ木館」と大駐車場がある。ここに車を駐め、第一鳥居から参道を歩いた。
参道の途中、少し傾いている常夜燈があったのでビックリ! これだ。
ほどなく瀧原宮へ到着。
御由緒書きの後半にピンクのテープが張られていた。「これより先にはトイレはありません。」
普段は見ない提灯を横目に見ながら鳥居をくぐった。
木漏れ日を感じながらの参道は心地よい。
火除橋を渡ると
右手に御手洗場がある。せっかくなのでこちらへ・・・(他の参拝者は直進していった。)
苔むした切り株を左に見ながら石階を下ると
そこには頓登(とんど)川の流れ。両手で川の水をすくうと身が引き締まる冷たさ。これだけで心身が清められた。
坂道を戻ると参道の先、右手には宿衛屋があり、左手には忌火屋殿。
さらに、その先の右手には修祓所、
修祓所では、祈祷のための大麻と御塩、その他御神酒が準備されていた。
修祓所を過ぎるとそこはまさに内宮の参道を思わせる雰囲気。
そして斎庭に出る直前、左手には参拝順を示した立札がある。
その指示の通り
1.瀧原宮
瀧原宮にてお参りを終えると次にお参りする瀧原竝宮を望んだ。
2.瀧原竝宮
次は瀧原宮の右手へ
3.若宮神社
4.長由介神社(川島神社を同座)
すべてにお参りを終えると新御敷地を確認した。ただ、面積と覆屋の数を考えると瀧原竝宮と瀧原宮のため?
しかし、よく見ると最奥には斜め奥へと延びる石階がある。
もしかして斜面の上にも御敷地がありそこへ若宮神社、長由介神社が移るのだろうか? 御遷宮を向かえれば分かることだ。楽しみ!
お参りを終えて参道を戻り、行きで撮り忘れた忌火屋殿をパチリ。
さらにその隣に仮設されている手水場をパチリ。通常の手水石は奥に見える。
以上で、お伊勢さん125社 滝原めぐりを終え、家路についた。