2010年08月28日(土) 磯の渡し跡、磯神社ほか (自転車)
高向大社で造営状況を確認 した後、豊浜大橋(赤い橋)を渡り、宮川の左岸へと進んだ。
豊浜大橋を渡り、右折すると下り坂となり国道23号線の宮川大橋の下をくぐる。通過して振り返りパチリ。
進行方向に向き直すと、右手に石碑が見える。
近づくと石柱には「磯の渡し」と彫られている。昔、宮川には橋が無く、「柳の渡し」、「桜の渡し」とこの「磯の渡し」、つまり「渡し」が宮川を渡りお伊勢さんへ向かう唯一の交通手段であった。そのため、川が増水すれば川止めとなり足止めされたが、明治30年に参宮鉄道が開通し、明治44年に度会橋、大正8年に宮川橋、昭和27年に豊浜大橋が開通し、宮川の渡しは姿を消したそうだ。
この場所を船(舟?)が行き来していたのか!
とインターネットで調べていたら、
伊勢志摩きらり千選 磯の渡し舟跡と写真 ( 伊勢市磯町 ) に掲載されていました。
宮川から外城田川方面へ走ると、中橋の手前で、右手に社叢が見える。あれが磯神社だ。ただし、左手にも社叢が見える。まずは磯神社へ向かった。
外城田川の右岸堤防を走り、社叢を目指すと細い路地へと吸い込まれた。社叢の角を左折するとこの風景が現れた。鳥居が見える。神社だ。
近づくと、まさしく磯神社だった。
鳥居をくぐり、社域へと入った。
右手の手水舎には井戸らしきものもある。
L字型に配置された鳥居を進むと、その先には社殿が見える。
社殿の手前左には御神木である大楠が立っている。
楠の根元からは新芽が伸びており、今年の3月に強風で倒された鎌倉八幡宮の隠れ銀杏が思い出された。そして、勝手に生命力をいただいた気分になった。
楠の前には由緒等が記された立派な案内板がある。なぜか、その下には使用済の砲弾が建てられている。この辺は戦争被害が酷かったのだろうか?
社殿の前には社名が彫られた石柱があるが、この書体が独特である。今まで神社名を記すものでは見たことがない書体だ。
また、青竹に固定された注連縄も珍しい?
社殿は千木が内削で、鰹木が6本である。
社域を出ると正面に社務所とその左手には
次の石柱がある。第87代伊勢神宮大宮司であった大中臣公宗(おおなかとみ の きんむね)?
その左隣には磯つつじ公園がある。噴水が出ていたが他に人はいなかった。
磯神社の鳥居を出て、右へ向かうと突き当たりに山神さまが祭られている。
逆に、磯神社の鳥居を出て、左へ向かい道なりに進むと、川のそばに鳥居が見える。何のための鳥居なのかと思案していたところ、磯神社の拝殿でいただいた「磯神社」の案内に垢離場(倭姫命上陸地跡)と書かれていた。
また、この案内書によると「お木曳行事」で内宮へ陸曳きするのは唯一「磯町」だけだそうだ。しかも、最も太い内宮正殿の「御扉木」用材を曳くそうだ。
これで、磯関係へのめぐりは完了なので、後はこの周辺をぶらぶらと走った。先ほど見えていた別の社叢を目指した。途中、住宅の屋根に隠されて見失ったが、野生の勘で見つけだした。そこは、豊玉神社だった。
豊玉神社を後にして、海岸方面へと向かった。道路の右手にこんもりとした丘に墓石らしきものが乱立していた。見慣れない風景なので、辺りを観察したところ、ここは古墳であった。
丁塚古墳。
この案内板には次の通り記されている。
この古墳は、径29m、高さ4mの円墳ですが、地籍図、字名からは水郷をもった前方後円墳とも考えられている。(中略、読み取れず)須恵器が出土しており、六世紀前後の築造とされ市内でも最古の古墳とされる。
付近には、?ンジョ塚、中塚、中塚南、東、下稲葉等の古墳が明治初期まで散在(現在破壊)しており、しない古墳分布の一画を形成していた。
なお、墳頂部からは経筒が出土しており、平安時代末期に経塚として再利用されたことにより、経塚古墳とも呼ばれている。
さらに走ると、左手に伊勢乗馬センターが見えてきた。この辺で右手には別の社叢らしき緑が見えた。
思わず交差点を右折した。稲刈りをしている田の脇を走ると左手に八玉神社が現れた。社殿が小さい?
社頭に鳥居がない。
小さな新しい社殿が、
その右隣では、工事中。どうも新しい社殿を造営中のようだ。
社域をでて海へと向かうと、道の脇に次の光景が現れた。何かに半紙が貼られている。神社の造営と関係があるのか?それとも別の理由か? まったく分からない。
人通りもなく、疑問を残しながら海へと向かった。
「海は広いな大きいな~」
海の風景を堪能し、国道23号線の側道へ出ようととりあえず海から離れた。今度は黄金色の海が現れた。やっと、稲刈りが始まっている。例年ではお盆の前後には終わっているので、今年は10日前後遅いようだ。私の勤務先の近くで稲刈りをしていたおばさんによれば「今年は穂が出るのが遅かったから」と言うことだ。
またまた、社叢を見つけたので寄り道した。
やっと国道23号へ出て、宮川大橋まで戻ってきた。行きはこの橋の下をくぐったが、帰りは橋の上だ。あれに見えるは「磯の渡し」跡である。高さが変わると見え方もずいぶん変わるものだ。
宮川大橋から伊勢湾方面を望むと、宮川の大きさを感じることができる。自動車だとあっという間に通りすぎてしまうが、自転車や徒歩が自由に立ち止まれるのがいい。橋の上で何度立ち止まっただろう。よく見ると川岸付近にペットボトルが浮いていたが、川の水は透き通り奇麗だ。
半紙が貼ってあるのは、地元で葬儀があり、道祖神の葬儀の行列(墓地まで)がその道を通ることがあるからです。
匿名さん
ご教授いただきありがとうございます。
そのような理由だったのですか、納得です!