2013年01月12日(土) 丸興山庫蔵寺 (徒歩)
金剛證寺~丸山道~近鉄 船津駅 にて金剛證寺から丸山道を下り、鳥羽レストパークを経由して丸興山庫蔵寺へ到着した。
丸興山庫蔵寺については、後から登場する「丸興山庫蔵寺の由来」説明板を参照されたし。
寺務所の裏手から正面へ回り込むと太陽の光が眩しかった。
まず、左手には
「庫蔵寺のイスノキ樹叢」の説明板。
この辺に生えている木々もイスノキなのだろうか?
この説明板の右側にはウメの木。
木の根元には「臘梅の木」とある。
木の枝を見ると
ふくらみ始めた蕾。確かにロウのような黄色だ。これが花開くとさらにロウらしく見えるのだろう。
さらに右へ移動すると
魔尼水と刻された水受け。
私もこの水を柄杓ですくい、両手に・・・。御利益を頂いた気がした。
続いて山門に注目すると
竹の棒が多数。ここまで登ってきた参詣者が置いていったものか? 下るために置かれているのか?
門の屋根に視線を移すと飾り瓦、ここにも
あちらにも。よく見るとまだまだ・・・。
山門の隣には高木がある。
説明板によるとコツブガヤ。 詳細はこちらを参照、
やっと本堂へ。山門をくぐるとその正面に建っているのが本堂だ。
丸興山庫蔵寺の由来等については本堂の隣に説明板が設置されている。
この本堂と後から紹介する鎮守堂は国指定の重要文化財だ。
本堂でお参りした。
本堂の左側にはこの木柱。
本堂からさらに左手へ先ほど紹介したコツブガヤの前へ移動すると鐘楼と裏山へ登る石段がある。
まず鐘楼の正面へ向かうと
何と、蘇民将来子孫家門の桃符が付けられたしめ縄が取り付けられていた。
このしめ縄は一年間掛けられているのだろうか?
また、鐘楼には次の「鐘楼修復について御協力をお願いします。」
確かに、老朽化がかなり進んでいる。少額ながら、チャリン。
鐘楼を後にすると鎮守堂への石段へ向かった。
石段の登り口には次の?が建っている。これは何だろう。
梵字が刻されているようだが、まったく読めない。
石段を登ると折り返す踊り場には覆屋の中に小さな社。しめ縄が掛かっていた。
さらに石段を登ると本堂、鐘楼が俯瞰できる。
もしかすると条件次第では海が見えるかもしれない。
庫蔵寺からどこまで見えるのだろうか? とネットで調べていたら「富士山が見える!」の記事を掲載したブログを発見。これら、
【参考】
さらに石段を登るとその先には小屋?
実は覆屋の中に鎮守堂が納られていた。お参り。
さらにその左には
火防の神 秋葉山祠がある。こちらでもお参り。神仏習合の状態が今も・・・。
寺務所に立ち寄ろうかと思ったが来客中(先ほどの車の方、さらに後からもう一台)のため控えておいた。本堂へ戻ると
その前にある山門をくぐった。
山門から見下ろすとこんな感じ。石段が落ちるようだ。
足元に注意しながら石段を下り、途中で振り返ってパチリ。
この門の名は『彩之門』。
門の正面はまさに本堂の正面だ。
さらに下ってから、またもや振り返ってパチリ。この石段は何とも荒々しい。
石段を下りきったところには
「不許肉五辛入門内」の石柱がある。
さらに、その隣には「鳥羽市指定天然記念物 丸山庫蔵寺境内の樹叢一帯」。
改めて山門『彩之門』への石段を見上げて、パチリ。
このあとは、彦滝大明神へ向かうため石畳と石段の丸山道を下った。
【 20130112の記録 】
- 自宅~朝熊岳道~金剛證寺
→ 「通町の能」説明板(伊勢市通町)
→ 加努弥神社および五十鈴川左岸から望む朝熊神社、鏡宮神社の社叢 - 金剛證寺
- 金剛證寺~丸山道~近鉄 船津駅
→ 丸興山庫蔵寺
→ 彦瀧大明神
→ 河内神社(鳥羽市河内町)
→ 八幡神社(鳥羽市船津町)