2013年02月09日(土) 舞い始め(神社境内)(村松町の御頭神事) (車、徒歩)
伊勢市村松町の宇氣比神社では、朝から「御頭さんのお飾り付け」、「昼の年酒(ねんし)」、「神事式典」、「年酒の式」が執り行われ、いよいよ御頭舞いが開始された。
村松町には初代の御頭と昭和57年に製作された御頭がある。なお、初代の御頭については伊勢市史第8巻(民俗編)のP.405に次の記述がある。
村松町の古い御頭収納櫃に「奉再興住吉大明神御頭ノコト 永正十六年巳(己か)卯五月二十日 今度御頭ノあごニ書付有之候 今度再興ニ付此所へ写シ書ス」等、いくつか記されているという。また村松のサイミョウ竹(鉾竹ともいう)の剣先の中央には、「住吉大明神」と書かれている。村松町に保存されている御頭は、宮川の上流の多気郡大台町上楠から流れてきたと伝えられており、実際対象末期まで、上楠から赤酒樽を持って、お参りに来たという(『村松の四季』)。
つまり初代の御頭は永正十六年(1519年)以前に製作されている。500年ものだ。また、御頭さんお飾り付け(村松町の御頭神事)で紹介した「サイミョウ竹」について、さらには「住吉大明神」の名も見られる。このように御頭のあごに書き付けられていた「住吉大明神」の名がサイミョウ竹や幟に書かれているのだろう。
なお、「御頭ノあごニ書付有之候」とある書付については、本記事で写真を掲載する。
そろそろ境内での舞い始めが・・・。境内で舞われるのは初代の御頭で、神社から外へ出て、辻舞いや「山の神」の境内で舞われるのは新しい御頭だ。宇氣比神社での初代の御頭の舞いは貴重だ。
ここでは、先に宇氣比神社の本殿に対して舞う「宮の舞」、続いて神宮遥拝所前で神宮に向って舞う「大神宮の舞」が舞われる。
「年酒の式」の後、社務所前の盛砂から松葉が抜かれ、
盛砂が均された。「宮の舞」の始まりだ。舞手が拝殿へ向かい
初代の御頭へ・・・。
御頭に息が吹き込まれた。御頭は立ち上がり拝殿を出ると拝殿に向かって拝礼した。
その後、社務所前へ移動した。
御頭は宇氣比神社の本殿に向いて立つと
神楽師が奏する楽に合わせて「宮の舞」が始められた。
「宮の舞」は七越こしの舞い。七起こしの舞は「八岐大蛇(やまたのおろち)」が須佐之男命(すさのおのみこと)に退治される様子を表したもので県下最古の神楽であるそうだ。詳細は御頭さんお飾り付け(村松町の御頭神事)にある「御頭神事特集号(2)村松町会祭礼保存会」が参考になる。
「宮の舞」が始まる前に各段の意味を頭にいれたつもりだったが、舞いが始まると撮影に集中してしまい、今何段目を待っているのかなどまったく分からなくなってしまった。
ここでは「宮の舞」のパチリを数点。
以上で「宮の舞」が終了した。
続いて、御頭神社前に置かれて袋が運ばれ、
その中の砂で盛砂が作られると中央に松葉が挿された。
先ほどと同様にその盛砂が均されると
御頭は先ほどとは逆の向き、御頭神社側の鳥居の先にある外宮を拝むように立ち、
「大神宮の舞」が開始された。
「大神宮の舞」の見どころは、【六段】
【六段】 成敗された大蛇が、苦しみまわり昇天するまでの様子。(切り裂かれた尾から、天ムラ雲剣が出てきたと言われている。)一年に一回だけ、宇氣比神社での大神宮への奉納舞いでのみ舞われる。(御頭神事特集号(2)村松町会祭礼保存会より引用)
とある。
ここで興味深かったのは先に紹介した古い御頭収納櫃にある書付と符合すること。
まさに、「奉再興住吉大明神御頭ノコト 永正十六年巳(己か)卯五月二十日 今度御頭ノあごニ書付有之候」の通りだ。
そして、最後に
町内会長から刀が手渡されると刀を使用した舞い、悪魔祓いが執り行われた。
舞いを終え、刀が町内会長に戻されると
お互いが深々と頭を下げ、「大神宮の舞」が終了した。
この後、初代の御頭と新しい御頭が入れ替わり、新しい御頭が「刀抜き行事」へ向かいためのやりとりがあるそうなのだが、私はその場面を確認する前に刀抜き行事の現場である甚平坂(村松町民会館前の火の見櫓付近)へ向った。(次回は境内でのやりとりを見てみよう!)
【 20130209 の記録 】
- 御頭さんお飾り付け(村松町の御頭神事)
- 神事式典、年酒(ねんし)の式(村松町の御頭神事)
- 舞い始め(神社境内)(村松町の御頭神事)
- 刀抜き(村松町の御頭神事)
- 辻舞い(村松町の御頭神事)
→ ツムギ火入れ(村松町の御頭神事) - 山の神での舞い~悪魔祓い(村松町の御頭神事)
【参考】