2013年02月17日(日) 日進公民館~出張遺跡(大台町) (車、徒歩)
今日はある目的で大台町新田にある日進公民館を訪れた。
その目的とは、バス停の近くにある掲示板にもポスターが貼られていた五身懸祭(ごみかけまつり)を拝観すること。これは大台町栃原にある川添神社の祭典だ。
五身懸祭の詳細については後の記録に譲るとして、それではなぜ私が大台町栃原ではなくこの場所、大台町新田にある日進公民館を訪れたのか?
それは、大台町観光協会および宮川流域ルネッサンス協議会が後援し、「大台町ふるさと案内人の会」の筒井 敏(宮川流域案内人)さんが主催する
「宮川流域案内人とともに 川添神社の奇祭・五身懸祭を見よう!!」
に参加するためだった。
集合場所が日進公民館、集合時刻が11時30分。実は余裕を持ちすぎて1時間前に到着してしまった。こちらが日進公民館の建物、なんと立派なことか。また、この前には広い駐車場がある。
まだ誰もおらず中へ入ることもできなかったのでどうしようか?と考えたところ、先ほど通ってきた道路沿いの案内板を思い出した。それは出張(でばり)遺跡の案内板だ。
あの場所に遺跡があることは何年も前から知っていた。しかし、このルートはいつも目的地への通過点であり、車を停めて遺跡を見学することを考えたことがなかった。30分程度あれば往復できるだろう。そうと決まればすでに足は出張遺跡へ向かっていた。何年越しの実現だろうか。
日進公民館を出て日進小学校の裏手を過ぎると右手の斜面を延び上がるような茶畑。思わずパチリ。
この後、道なりに左へのカーブを下ると玉城、度会・伊勢の分岐へ出る。
度会・伊勢方向(右)へ進み坂道を上りきるとそこは宮川に架かる田口大橋の左岸、北西詰だ。
ここで振り返ると
視線の先には出張(でばり)遺跡への案内板がある。いつもこの案内板に気づきながらもスルーしていたのだ。
矢印に従うとほどなくこの説明板にたどり着いた。20~30mだろうか。
出張遺跡一万五千年程前の遺跡で、ナイフ形石器 や石やりが出土した三重県下で最も古い遺 跡である。打製石器はチャート製のものが 多いが、奈良県から運ばれたサヌカイト製 の物もある。まとまった集落跡はまだ発見 されていないが、狩猟や川漁、木の実を集 めて暮らしていたと思われる。
出張遺跡の風景はこんな感じで、
案内板、説明板等がなければ全くその存在を確認することができない場所だ。でも、1万5千年前にこの場所で人類が生活していたと考えると、この場所にはどれだけ人々の人生が積み重ねられてきたのだろう。目を閉じて想像の世界を彷徨ってしまった。
説明資料は日進公民館でいただけると書かれていたので戻って確認しようと思い、日進公民館への帰路についた。
同じ道を戻るのも芸がないので、宮川左岸沿いの細い道を進むと何故かこの辺に多くのカメラマンが待機していた。(後で分かったことだが、五身懸祭における新田地区の今年の当番者の自宅が近くにあるからだった。)
私はそんなことも知らず、その場所にあった掲示板をパチリとしてから日進公民館へ戻る(集合する)ために先を急いだ。
次の分岐では日進公民館へ近づくと思われる方向へ進むと先ほど歩いて来た車道と合流した。ここでも来た道を避けて、旧道を進んだ。
順調に進むと右手に大台町立日進小学校の校門があった。
小学校校門の右手には「下新田集会所」があり人がいることは確認したのだが声をかけることはしなかった。ところが実はこの集会所こそ、新田地区から川添神社へ向かう五身懸祭の道中行列の出発点だったのだ。(今年はこの場所が出発点だが、来年は当番者が変わるため出発点も変わるそうだ。)
さらに、国道42号方向へ進み
阿弥陀寺の前を通りすぎると
この掲示板の手前で右へ折れて日進公民館へ戻った。
日進公民館へ戻るとこの看板を発見。
大台町役場日進出張所も兼ねている、いや逆か。大台町役場日進出張所が日進公民館も兼ねているからこんなに立派な施設になっているのだろう。ひとり合点した。
【 20130217 五身懸祭の記録 】
- 日進公民館~出張遺跡(大台町)
- 五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)
- 川添神社での散策(大台町)
- 五身懸祭 – 神酒・弓射・万歳楽神事、苗松行事ほか(川添神社)