2013年02月17日(日) 五身懸祭 – 神酒・弓射・万歳楽神事、苗松行事ほか(川添神社) (車、徒歩)
川添神社での散策(大台町)にて境内を散策していたが、社務所の前で動きがありそうだったので、参道ではなく外周の道路を歩いて正面の鳥居までやってきた。
鳥居の先、社務所前はすでに人で埋め尽くされていた。その人混みの中に舞姫、弓射当番者の姿が見えた。そろそろ参進だろうか。
五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)では大台町史を引用したので、ここでもまずは大台町史を引用。
大台町史 通史(平成八年三月三十一日発行) PP.680-681より引用 ○川添神社とごみかけ祭り (前略) 午後一時、氏子総代を先頭に伶人、兄弟当番、団子持 ち、酒カメ持ち、肴籠持ち、小榊持ち、神職、舞姫、氏 子会役員、氏子の順に列をつくって神前に向かう。 神前では楽の音とともに神殿の開扉、献膳、祝詞の後、 小学校高学年の児童による「浦安の舞」「乙女の舞」等 が奉納される。玉串奉典の後、献酒が行われる。このこ ろ一般参列者にも御神酒が振るまわれるが、この酒の肴 は、籠に入れた生大根を切った物で、大昔の先祖の慎ま しやかな生活をしのんで、今に至るまでそのまま継承さ れている。この献酒は七回行われるが、四献目が終わる と、兄当の弓射がある。境内の三0メートルほど離れた 杉の大木に立てかけられた的には、直径一メートルほど の丸の中に「太」の字が書かれている。この「太」の意 味は不詳であるが、非常に大きいこと、立派なことの尊 称といわれている。弓射は三回行われるが、まず真ん中 にあたることはない。続いて瑞垣の周りの参詣者に榊の 小枝が配られ、二人の先達が大きく頭上に扇子を振りか ざし、「マダラーク マンザイ」「マダラーク マンザ イ」と大声で叫ぶと、氏子がこれに和して榊の小枝で瑞 垣をたたきながら、「マンザイ」と和す。この「マダラ ーク マンザイ」とは「曼荼羅神よ万歳」の意味で、印 度の神(聖像)、すなわち大日如来を中心とする曼荼羅 の諸仏の加護を祈り、諸仏の報徳による五穀の豊作はも とより、諸作物の豊かな生長を念願する叫びといわれて いる。この「マダラーク マンザイ」を十数回繰り返す と、再び献酒が五~七献行われ、その後、弟当の弓射、 そして再び「マダラーク マンザイ」が繰り返される。 二回目の万歳楽が終わると撤饌・苗松行事に移る。境 内の一隅には三方から新縄で固定された苗松が用意され ている。この松は一一段以上の奇数段の枝のついた雄松 である。やがて氏子総代を先頭に神主以下が「マダラー ク マンザイ」と唱えながら、日の丸の扇子を頭上にか ざしながらこの松を三回回る。その直後、松を支えた縄 が切られ、松は倒される。するとつめかけた参詣者は苗 松に群がり、松の穂先につけられた神幣を奪い合うが、 この御幣を田の水口に立てると豊作が疑いないといわれ ている。その後投げ餅があり、式典は終わる。
続いて、先の散策で見つけた「五身懸祭の祭典次第」を紹介しておこう。大台町史への掲載のための取材時と現在とでは所々に変化が見えておもしろい。
五身懸祭 祭典次第 ◎ 手水 ◎ 参進 ◎ 修祓 (大麻)(塩湯) 一 宮司一拝 二 開扉 三 献饌 四 祝詞奏上 五 舞楽奉納(舞姫退出) 六 献酒神事 四献 七 弓射神事 二射 八 万歳楽神事 四回唱和 九 献酒神事 三献 十 弓射神事 二射 十一 万歳楽神事 三回唱和 十二 玉串奉奠 (宮司=祭員列拝) (弓射者) (先達=当番組列拝) (総代長=総代列拝) (来賓) 十三 撤饌 十四 閉扉 十五 宮司一拝 ◎ 宮司挨拶 ◎ 総代長挨拶 ◎ 苗松行事 ◎ 餅投げ行事
ここでは、「五身懸祭の祭典次第」に従い、五身懸祭を紹介する。
【手水】、【参進】
手水がどこでどのように執り行われたかは不明。
しばらくすると参進が始まりそうだったので、先ほど来た外周の道路を戻り、大杉の近くへと向かった。
大杉から境内へ続く小道の途中から参道を遠望、右手には弓射の的が見えた(丸に太の文字)
参進は先導者に続き、宮司、神職、
さらに舞姫、
その後ろに先達、弓射当番者、ホデ・・・・
石階の前に移動してパチリ。
先達は盛り上げ役。
弓射当番者は今年の豊作を占う重大な仕事を控えている。
【修祓】
まずは、修祓を受けるために宮司をはじめとして舞姫等が祓所へ参列した。
しばらくして修祓が始まろうとする頃には祓所の周囲はこんな感じだ。祓所に足を踏み入れる人も・・・、大変な状況だ。これも奇祭と言われる所以かもしれない。
祓所の近くでは拝観できないと判断し、取り巻く人がいない遠く離れた場所からパチリ。ここなら後の神事の拝観にも適している。神職により祓詞が白された後、
御饌が準備されている建物が大麻で祓われた。
神前にお供えされた神酒も、
続いて、宮司、神職、
舞姫、
・・・が祓われ、続いて順次塩湯で清められた。
修祓が終了すると祓所から神前(本殿前)へと移動。ホデも移動、
酒甕、
酒肴の籠も移動。
さらに榊も・・・。
【宮司一拝】
祭員、参列者も神前へ着座すると、まずは全員が宮司に合わせて拝礼、宮司一拝。
【開扉】
続いて、開扉。御鑰(みかぎ)と御匙(みひ)が宮司に手渡されると宮司は本殿へ。
「ウォオー」と警蹕(けいひつ)の後、御扉が「ぎ、ぎっ、ぎー・・」と音をたてて開けられた。
その間、道中行列で練り歩きを盛り上げた先達はしばしの休息。
一方、今年の豊作を占う弓射という重大な任務を控えている当番者はどうでしょう?
【献饌】
御扉が開かれると続いて献饌、先ほど祓われた建物の中から多数の御饌が手渡しで本殿へと運ばれた。
神酒と酒甕。
こんな物も、卵40個?
献饌はしばらく続いたので拝観者の雰囲気をパチリ。
祓所の中にも拝観者。
【祝詞奏上】
献饌の後、宮司により祝詞が奏上された。この間私も低頭していたので写真はなし。
耳を澄まして祝詞の文言を聞いていたら「としごいの・・・」とあった。「祈年」、つまり一年の豊作をお祈りする。今朝、外宮にて祈年祭を拝観したばかりだった。
【参考】
同じ祈年祭とはいえ祭場が変われば雰囲気も大違いだ。神宮の祭典は国(日本)や世界を対象としたものであるが、地域の神社は氏子を対象にしており生活感があり馴染みやすい。神宮の祭典は厳粛で凛としているが、このような地域の神社のお祭りは柔らかい雰囲気の中に進められ、対照的だがどちらも捨てがたい。
【舞楽奉納】
続いて舞姫による舞楽奉納。舞うのは小学校の5年生だそうだ。
【舞姫退出】
奉納を終えた舞姫はホッとしたことだろう。お疲れさま。
【献酒神事 四献】
続いて献酒神事。
お供えしたお下がりを頂くのだろう。神職により次々に注がれた。
【舞姫退出】
献酒神事が進むなか、舞姫が石階を下り、参道を社務所へと向かっていた。
【弓射神事 二射】
献酒神事が終了すると弓射神事が始まった。先ほど確認しておいた場所へ移動してパチリ。左手に弓を射る場所があり、
右手に的がある。
拝観者は斜面が気になるようだ。
ここでは弓射当番者は兄当(エトウ)、弟当(オトウ)の順で、それそれが二本の矢を射る。まずは、兄当(エトウ)から。
二本の矢を放ったが、二本とも少し距離が足りなかった。
続いて、弟当(オトウ)の番だ。当番者が現れる前に先達が拝観者を盛り上げ始めた。
少し、ふらつきながら登場した弟当(オトウ)。演技なのか?
矢が弦にはまらない・・・?
係の助けを借りてうまくいくかと思えば、
谷へ落ちそうになった? これは演技か? 本気か? どちらでも場を盛り上げた。
そして、構えて・・・・・・・
なんと、二本目の矢が
見事命中!
これで豊作間違いなし。この後同じ弓射が繰り返される。都合八本の矢が放たれることになるが、その中で一本でも当たればいいそうだ。
【万歳楽神事 四回唱和】
今年の豊作が約束された弓射神事が終わると舞台はこちらへ移った。万歳楽神事だ。
拝観者に榊が手渡され、さらにホデから団子が外された団子が授与された。
団子の授与を終えると、「マダラーク マンザイ」の掛け声に呼応して榊を手にした人はその榊で地面を打った。(この時、撮影に集中していて掛け声を聞きそびれてしまった。何といっていたのだろう?)
榊で御白石をパンパン。
先達が声をあげていた。
【献酒神事 三献】
続いて、献酒神事が繰り返された。
【弓射神事 二射】
さらに、弓射神事も・・・。 兄当(エトウ)、
弟当(オトウ)、
ともに命中はなかった。先ほどの一本が今年の命中矢だった。
【苗松行事のための苗松】
弓射神事の間に苗松神事で使用される苗松を確認した。川添神社と祖霊神社の間、前方に十三段の雄松が立てられていた。三脚の支えと新縄三本で。
その一本をたどると
こちらの木に結わえられていた。
【万歳楽神事 三回唱和】
弓射神事に続き、最後の万歳楽神事が開始された。ホデからどんどん団子が外された。
子供たちの視線は団子・・・・・・・・・
少女たちは小榊を受け取り、
団子も・・・。後ろ姿でもうれしそうに見えた。おじさんの笑顔のせいだろうか?
団子をズームでパチリ。
酒も振る舞われていて、その肴として配られているのが生大根の短冊だ。
【玉串奉奠】
万歳楽神事が終わると玉串奉奠。
ふと、ホデに視線をやると、当然のことながら団子は皆無だった。
【撤饌】
以上で神事は終了となり、撤饌。
その間もおじさんが酒をふるまってくれた。私は車なので丁寧にお断りし、代わりに一枚パチリ。ごちそうさまでした。
その頃、神酒も撤饌となった。
【閉扉】
撤饌の後、本殿の御扉が閉じられた。
【宮司一拝】
その後、宮司一拝。私もともに一拝。
【宮司挨拶】、【総代長挨拶】
【苗松行事】
神事が終了すると行事が続いた。最初の行事が苗松行事。ちなみに川添神社社務所が発行している略記、五御懸祭の説明書きには「苗松神事」と表記されているが、祭典次第を優先し、ここでは「苗松行事」と表記した。
苗松行事とは十三段(枝が十三本)の黒松を先ほどのように三脚と三本の新縄で支え、宮司と先達、弓射当番者らが「マダラーク マンザイ」と唱えながら三周する。三周を終えると縄が切られ、黒松が倒れる。その先端には御幣が付けられており、参詣者がその御幣を取り合う。その御幣を田の水口に立てると豊作が疑いないとのこと。
神事の後、挨拶を終えた宮司、他が
黒松の回り、
三周を終える頃、三脚を固定していた縄が切られた。
その先端には確かに御幣が・・・。
ほどなく倒れると・・・・
その先端には参詣者が集まった? この角度からはよく見えなかった。
誰かが御幣を掲げ、TVカメラに向かっていた。
彼だ。おめでとう! ところで、「田んぼはあるの?」
【餅投げ行事】
苗松行事も終了すると、最後はお楽しみの餅投げとなった。餅まきではなく、餅投げ。言葉から想像するとかなり痛そうな行事だが・・・
そろそろ始まる頃になると、決められたように全員がしゃがみ込んでいた。地面に落ちた餅を拾うためだとのこと。受ける側の準備は完了だ。
そして、投げる側も準備ができると
餅投げが始まった。
名前は「餅投げ」でも実態は「餅まき」だった。怪我人がでなくてよかった。
かなりまかれたようだが、最後はおばあちゃんに手渡し。あったかい。
以上で、神事も行事もすべてが終わり、川添神社の五身懸祭は終了となった。餅投げ行事が終わると多くの拝観者は足早に参道を戻った。
私もほとんど単独行動していたが、大台町観光協会および宮川流域ルネッサンス協議会が後援し、「大台町ふるさと案内人の会」の筒井 敏(宮川流域案内人)さんが主催する
「宮川流域案内人とともに 川添神社の奇祭・五身懸祭を見よう!!」
に参加していることを思いだし、筒井さんを探して日進公民館まで先導していただいた。
日進公民館へ到着すると筒井さんにお礼も述べて帰途についた。
帰宅後に団子をいただいた。その前にパチリ。
奇祭と期待して拝観した五身懸祭、私にとってはそれほど奇祭とは感じられなかった何をもって奇祭とされているのだろう。でも、よくよく考えてみると・・・、
そうか、神前に玉串として奉奠される榊を地面に叩きつけることは通常じゃないか。確かに奇祭だ。また、氏子が積極的に係わる、いや氏子主体の神事が多いのもその理由なのだろう。あと、お酒の量?
とにかく、参加型の祭典は楽しい!!
【 20130217 五身懸祭の記録 】
- 日進公民館~出張遺跡(大台町)
- 五身懸祭 – 道中練り歩き(川添神社)
- 川添神社での散策(大台町)
- 五身懸祭 – 神酒・弓射・万歳楽神事、苗松行事ほか(川添神社)