2013年02月23日(土) 中堤から一色町への散策(伊勢市通町、一色町) (徒歩)
栄通神社例祭 奉納 通り能(伊勢市通町)の拝観を終え一時帰宅することにした(結局、ずっと帰宅することになった)が来た道を戻るのが好きではないため、別ルートを歩くことにした。
通町公民館に立ち寄った後、国道23号線方向とは逆方向、つまり五十鈴川方向へ歩き始めた。
ここからさらに先へ進むとそこは堤防道路のように堤になっている。
ここは中堤と呼ばれており、以前二見街道(国道42号線)からここまで歩いたことがある。次の写真はこの場所から二見街道方向を望んだものだ。
なお、以前に中堤を歩いた記録は次の通り
【参考】 中堤に関する記録 (神宮巡々)
で、この時は中堤の存在は確認したものの、この場所に堤が存在する理由は分からなかった。
ところが、昨年お3月に次の資料「一色歴史年表・解説(一色町自治会)」を入手したところ
P.7 に中堤に関する説明が記されていた。
中堤は、隣村(通村)との境界線で長い争いの歴史があるが、古くは陸地と一色島を結んだトンボロ現象による道であったと考えられる。
とある。
【参考】
このことを知ってからもなかなか歩く機会がなかったが、やっと中堤の再訪が実現した。今日は自宅へ向かうために二見街道方向とは逆方向へ進んだ。
緩やかに蛇行する堤を進むと
堤の五十鈴川寄りに次の標識と説明板が建っていた。中堤は一色町と通町の境界なので、これらは一色町側に建てられていることになる。
「中堤 是より全長八百米」は二見街道側の端に建てられているものと同じだ。ただし、ここには次の説明板もあった。
中堤 この堤は、昔[古代]には、一色島と陸地を結んだ 海の中道だった。その形状から、いわゆるトンボロ現 象で出来たと考えられる。 周囲が農地化してから、一色村[町]と通村[町] の境界線となったが、かっては激しい境界争いの史実 が残っている。 干潮時に、海の中に現れたこの堤[道]を渡って一 色島へ来た人のロマンが漂う。 是より全長800m 平成二十一年三月建一色町自治会
一度、二見街道方向、全長を確認してから中堤を背にして歩き始めたが
もう一度振り返ってパチリ。アスファルト舗装と土道の境目が中堤の開始位置なのだろうか?
しかし、振り返るとこの先のアスファルト舗装路も湾曲していて中堤が続いている雰囲気だった。
中堤を後にすると一色大橋へ向かった。今まで歩いたことがない道路であるが勢田川の川下へ向かえばいいので何となく感覚で進んでも問題ない。しばらくすると大橋跡にでた。
大橋跡から直接、勢田川沿いへ出ようとも考えたが、今日は歩いたことがない道を歩くこととし、一色保育園の矢印に従った。
ほどなく、一色保育園が現れた。保育園の建物の壁面を見ると
「戦後の一色分校跡」の説明板が掛けられていた。
一色保育園を後にしてさらに進むと突き当たりに「一色まちあるきマップ」が見えた。
このマップと先ほど紹介した一色歴史年表・解説(一色町自治会)を元に一色町内の徹底散策も面白いと思った。今度計画してみよう!
そんなことを考えながら、入り組んだ道を進むと一色神社に出た。ここは一色能の奉納を拝観した場所だ。
【参考】
手水舎で心身を清めてから拝殿にてお参りした。
その後、一色神社の神樹である「長寿の樹」にも・・・。
この後、一色大橋を渡り帰路についた。が、興味深い光景を発見。
【 20130223 の記録 】
- 伊勢三座に思いを馳せながら栄通神社へ向かう
- 栄通神社例祭 奉納 通り能(伊勢市通町)
- 中堤から一色町への散策(伊勢市通町、一色町)
- 老人クラブ、中学生共同の堤防壁画制作(伊勢市神社港)