2013年03月16日(土) 汗かき地蔵尊、薬師堂ほか(志摩市大王町) (車、徒歩)
絵かきの町・大王町の散策にて大慈寺の『てんれい桜』を楽しんだ後、汗かき地蔵尊へ向かった。
石段を登ると
そこには、宝篋印塔と汗かき地蔵尊。
こちらが、汗かき地蔵尊。
汗かき地蔵 鎌倉時代の頃、漁をしていた漁師惣左衛門の網に 同じ大石が三度も掛かってきたので不思議に思い、 持ち帰り浜辺に置いておきました。この石に無礼を 働くものがいると必ずその者に悪いことが起こるの でした。そしてこの石は後になって尊像の形へと 変わっていったという伝説のお地蔵様です。 この地蔵尊には不思議な力が宿っています。 それは世の中に起こる良い出来事、悪い出来事を 汗を流し、その色によって告げるのです。 吉事が起こるときには喜んで白い汗をかき、 反対に悪いことが起きるときには人々に代わって 苦しみ、黒い汗を流すのです。江戸時代、志摩の 殿様が大病に罹り、この地蔵様を念ずると忽ち 全快しました。以来信仰はますます広まり、 また村民にも多くの霊験を授けました。今でも 吉凶があるたびに汗をかかれます。2月24日 の初縁日には町中にて盛大なお祭りが行われて います。
そしてさらに境内の奥へ向かうと、
右手に思案地蔵尊。
御堂の中には地蔵真言を書いた紙が貼られている。
「オンカカカビ サンマ エイ ソワカ」
思案地蔵 このお地蔵様、変わったしぐさをしていますが、 実は悲劇が秘められた地蔵菩薩なのです。それは 天保元年(1830)に起こった波切騒動と呼ば れるもので、大王島の沖で幕府の御城米を積んだ、 千石船が難破した事から端を発しました。翌日、 漁に出た村人が沈んだ船を発見し積み荷の米を 持ち帰りました。しばらくしてその事件を捜査に 来た幕府の役人達は夜更けに覆面をして村に 潜入したため、村人達は盗賊と間違えて役人達を 退治してしまいました。そうしたことで幕府は 庄屋や村人達十四人を処刑してしまいました。 事を哀れんだ村の和尚がほとぼりの冷めた頃、 地蔵尊を彫り、この騒動の犠牲者を弔ったと 伝えられています。
そして最奥には薬師堂がある。
薬師堂には薬師真言を書いた紙が貼られていた。
「オンコロコロ センタリマトオギ ソワカ」
薬師堂の左手には石階が見えた。
さらに左の奥へと進むと、そこにも石階が続いていた。
石階を登りつめるとそこには
鍾霊堂が建っていた。
ここからもう一つの石階の先へと向かおうとすると
左手に見えたのはこの風景だ。
別の石階の先はここへと通じていた。赤い鳥居が見える。
近づくと「厄除」の扁額が掛けられていた。
そして、その先には、祠と
その上には屋根が掛けられていた。ここは拝殿のようだ。
そして、この付近から右手を見下ろすと大慈寺の本堂および鐘楼の屋根が見えた。
先ほど、見上げた場所だ。すると大慈寺の塀、鐘楼越しに見えていた高台の建物はこの拝殿だったことになる。納得。
赤い鳥居をくぐり返すとその先には役行者大権現が・・・。
以上で境内を後にし、波切漁港へと戻った。
【 20130316 の記録 】
- 絵かきの町・大王町の散策
→ 大慈寺の『てんれい桜』(志摩市大王町)
→ 汗かき地蔵尊、薬師堂ほか(志摩市大王町) - 平成24年度横山ビジターセンター講演会
→ 横山石神神社(志摩市阿児町)