2013年03月31日(日) 横輪桜(伊勢市横輪町) (車、徒歩)
今日は空の機嫌が悪かった。でも、花見シーズンは始まっている。来週はすでに予定が入っているので桜を愛でられる日は残り少ない。
午前中は自宅でゆったりと過ごしたが、午後になると私のお出掛け虫が騒ぎだした。空には厚い雲が垂れ込めていたが花見に出かけることにした。
さて、どこへ? 実はチャンスをうかがっていた場所があったのだ。そこはこのパンフレットにある伊勢市横輪町。
また、パンフレットによると、この地だけに咲く桜があり、『横輪桜』と呼ばれている。さらに、
全国でここだけに咲く珍しい桜 横輪桜の特徴は、ソメイヨシノより数日遅く開花し 花の大きさも2~3倍大きく、濃いピンク色の大輪 が年を重ねるごとに増えることです。また、古木は おしべの変化によって花びらが12枚ほどに増える ものもあります。
と説明されている。世界でここにだけ咲く桜だ。雨の桜も趣きがあるだろうと雨具を携帯して出発した。
サニーロードを南下、横輪口交差点を左折し道なりに進むと「郷の恵 風輪」に到着。駐車場に車を駐めると先ほどのパンフレットを広げて現れた『桜蛍巡りマップ』を参考にして横輪町を散策することにした。
駐車場から「郷の恵 風輪」の脇を通り、宮山へ向かうと登り口にて次の道標にであった。「棚田」!
昨日は「坂本棚田」を訪れていた。
まったくの偶然ではないのだろう。桜よりも棚田が優先され、棚田の矢印の方へ歩を進めた。道なりに進むと右方向に石垣が見えた。
右手に墓地がある場所で次の道標。「山頂・棚田→」へ向かった。
この辺でも右手には棚田が見える。かなりの草・・・。
さらに進むとこちらにも棚田(?)がある。草だらけだが、今も利用されているのだろうか?
丸太で土留めされた階段を上ると
左手には自動で閉じる扉が準備されていた。ここから宮山へ入れるが、ここでも獣対策だ。
扉を引き身体を滑り込ませてから手を離すと扉は自動的に閉じられた。扉を押すことしかできない動物は山から出ることはできても山へ入ることはできない。
さらに山へ上ると
右手に先ほどの棚田が見えた。
ズーム。
さらに、ズーム。
階段を上りきるとこの場所へ出た。
道標に従って
山頂を目指そうとすると、
神社跡の標柱が目に留まった。
この辺からの眺望をパノラマでパ~~~チリ。
パチリ。
山頂への階段をさらに進むと
次の道標へ到着。
山頂には展望台があり、その前には
次の説明板が建てられていた。
横輪風と石垣 横輪町は山に囲まれた谷間であるため、特に冬季 には風が山間を激しく吹き抜けることから、この 地域では横輪風と呼ばれています。この横輪風を 防ぐために「石積み」の技術が発達しました。 現在も「住宅を守る石垣」や「棚田の石積み」が 残され、それが横輪町の里山風景のひとつになって います。
展望台の上からの眺望もパノラマでパ~~~チリ。
パチリ。
先ほどの道標へ戻り、「見はらし場」を目指した。
「見はらし場」へ下る途中で桜を発見。
しかし、まだ花の数は少なかった。
桜蛍巡りマップに紹介されている桂林寺周辺をズームでパチリ。ここからだと桜の花を確認することはできなかった。
さらに下り
「見はらし場」へ到着。
そして「見はらし場」からもパノラマで、パ~~~チリ。
最初の道標へ戻るため、別の扉を押して宮山を後にした。
扉の外には次の案内板が建っていた。
宮山(みややま) 明和8年(1771)10月5日 横輪村と矢 持村の庄屋が会議で、矢持上村の熊野神社を横輪 向山に分社し、お宮さんを建立したことから宮山 と呼ばれるようになりました。明治42年当時、 沼木村の5地区(横輪・矢持・上野・円座・神薗) にあった各神社が一つに合祀され、現在は沼木神 社として、上野町に祀られています。 宮山は、散策しやすい円形の小高い山で、山頂 より集落を一望出来ます。春には横輪桜が咲き乱 れ、秋には棚田に稲穂が稔り、里山が紅葉する姿 は大変美しく目に映ります。
そして、こちらが地域活性化のための交流拠点として整備された『郷の恵 風輪』。
町内には次の幟が多数立てられていた。
駐車場へ戻るとその片隅には三本の横輪桜が大切に管理されていた。
横輪桜 横輪町にのみ存在することから、この地域では 横輪桜と呼ばれています。横輪桜には江戸時代 後期に、桂林寺にあったものを村人が持ち帰り 増やしたものとされています。 この桜は雄しべが変化した花びらが1枚以上あ る花が混在し、12枚以上の花びらをもつ花も あり、年を重ねるごとに花数が増し、樹全体が 花で覆われるようになります。開花時期はソメ イヨシノより数日遅れますが、新芽が伸び始ま ると同時に、濃いピンク色で香りのある大輪の 花を咲かせます。なお、平成23年に専門家の 調査により今まで知られていない新しい園芸品 種であることがわかりました。
現状では花見には一週間ほど早く、
約一週間後が満開、さらにその後一週間が楽しめるだろうとのことだった。
今年は4月7日(土)と4月16日(日)に「横輪桜まつり2013」のイベントが予定されている。
【参考】
- 横輪桜の里<郷の恵・風輪> (公式ホームページ)
先ほどの「桜蛍巡りマップ」を手に横輪町を散策するため郷の恵 風輪をスタート。
横輪公民館前バスのりば、
その後ろの説明板には横輪町について説明があった。
横輪町(よこわちょう)の特色 横輪町と矢持町は、昔の文献によると覆盆子谷 (いちごだに)と記されており、それがなまり一 宇郷谷(いちうごうだに)と呼ばれるようになり ました。 その昔、壇ノ浦の合戦(1185)に破れた平 知盛は、従者30名を率い一宇郷一帯に隠れ住み、 飛滝谷(とびたきだに)に「飛竜山観音禅寺( ひりゅうざんかんのんぜんじ)」を建立したのが 横輪の集落の発祥と言われています。 当時、飛滝谷は幾度となく天災に見舞われたこ とから、今の地に移り住んだとされています。 横輪町は、寒暖の差が激しく、四季をとおして 様々な草花を楽しむことができます。特に春先に は全国でも横輪町のみに咲く歴史を秘めた「横輪 桜」が雅な姿を見せます。また、石垣、ホタル、 小川等の里山風景も豊富に残されています。 周辺には、谷間を流れ落ちる名勝「飛滝」や、 清流横輪川の流れに侵食されて出来た岩場「おせ ん淵」等があります。それらを巡るハイキングコ ースを散策しながら、森林浴で心身を癒すことが 出来ます。 また、横輪町中心に、「弘化山桂林寺(こうか ざんけいりんじ)」が建立されており、観音堂に は、室町時代の著名は仏師≪定栄(じょうえい) ≫作の「厄落とし」で有名な、十一面観音は安置 されています。
横輪川に架かる共栄橋を渡り、
矢持町へ向かってしばらく歩くと
左手に「飛滝」の案内板がある。この先にも桜が植えられているそうなので
先へ進むと右手に・・・ かなり多数が・・・。しかし、まだ時期が早かった。
来た道を戻り、「桜蛍巡りマップ」の(4)横輪川へ下った。
こちらでも全く花の姿は見られなかった。桜が花を付け、もう少し流れる数量が増えれば最高の場所になるだろう。
ふと、視線を振ると、なんとミツマタを発見。昨日はミツマタ三昧だったが、これも偶然ではないのだろうか?
近づいてパチリ。
パチリ。
ミツマタとの出会いに後押しされるように桂林寺へ向かった。「桜蛍巡りマップ」の(6)付近を右折したが桜は?
先へ進むと右手には立派な石垣。
そして、左手には先ほど登った宮山が見える。
ここから進行方向に石垣が見えた。
石垣に近づくと側面の塀が古い状態で残されていた。
その塀に近づこうとすると、散歩に出かけるおばちゃんが話しかけてくれた。
いろいろなお話を伺った。
まずは、石垣にはこの石垣を積んだ石工の銘が刻まれていること。こちらだ。「石工安造」
二つ目は、今年は桜の花が少ないこと。その理由はウソ(鳥)がかなり多くの蕾を食べてしまったからだそうだ。すると、満開になっても歯抜けになる部分も出てくるのだろう。
そして、三つ目は
桂林寺への石段の手前
正面の石垣にある。
石垣の落成時に上人が紀年銘を刻したものだそうだ。
なお、石垣に刻された理由等については先ほど紹介した 横輪桜の里<郷の恵・風輪> (公式ホームページ)に新聞記事が掲載されていた。
【参考】 横輪桜の里<郷の恵・風輪> (公式ホームページ)より
桂林寺にお参りした後
境内を散策させていただいた。
桂林寺の境内を出ると横輪桜を見上げてから先へ進んだ。
立派な石垣が多い。
途中で、左手の路地へ入るとそこには横輪川にコンクリート板で橋が架けられていた。増水すれば潜り橋になるのだろう。
川から元の道へ戻り、先を急いだ。
横輪橋で横輪川を渡ると「郷の恵 風輪」を目指した。ここは車で走ってきた道だ。
道路の両側には路駐防止のために工事用コーンが並べられていた。
荒堀橋を渡ると
「郷の恵 風輪」の駐車場へ到着した。
駐車場にもこんな説明板があった。
横輪桜と桂林寺をパチリ、パチリ。
今年は横輪桜を見ることはできないだろう。来年は満開の横輪桜を見てみたい。
横輪を後にした。
サニーロードの横輪口交差点にて横輪町の入口の看板をパチリ。